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White Paper: MMT 翻訳の舞台裏 その2

 サイト経済学101に翻訳をアップしたときの舞台裏。
 その1はこちら

さて、わたくしの専門(笑)は文学作品における言葉なのですが、たとえばある一人の詩人に注目する場合、その時代およびその中での詩人の言語空間の位置づけを把握せずにある一つの詩だけを解釈しようとしても意味がありません。

provision という言葉は一般的にはかなり odd な部類だと思いますが、だからこそモズラー研究においては注目しなければならない。

本人へのインタビューも大事だし、他の個所におけるその用例を探して参考にするのですね。

2020年のこのインタビューは参考になるでしょう。

Eureka Report ‘The money story’ told by a father of MMT

これは一級の資料です。
これが存在する以上、これを読まずして White paper を翻訳するのは無謀と言ってもいいかも(笑

実に面白い
奴隷制度に関して
I mean, there’s different ways to provision government. We pretend to be more civilised for this course of taxation.

これも面白いですね。

MMTを伝道したいならここ↓は暗唱できるくらいにしておきたい(笑

But for me, the story begins with a state that wants to provision itself. You’ve got a government, in this case, it was Pompei and I’ll tell that story in a minute, but the government wants to provision itself, it wants people in the military, it wants a public health department, it wants public education and it wants all kinds of things, a legal system… There’s been some determination that that somehow serves public purpose. You’ve got a government that needs to provision itself with people and food for the cafeteria and weapons and whatever it needs – so how do you do that?
That’s how the money story starts for me. What happened was, as a point of logic, that’s where the money story starts. What they do is, sure, they can come up with a currency but how do you get anybody to accept it, as Minsky had said, “Anybody can come up with money, it’s how do you get anybody to accept it.” The United States can come up with this new thing called the dollar, but there’s nothing for sale with a dollar price tag on it when you first come up with your new currency…

ここも…

Right, so what you do is you establish a tax liability. That’s what comes first. First is a desire to provision yourself, to be able to have soldiers and judges and lawyers, so the next step to do that is to put a tax liability on and something that nobody has.

チャーネバの money monopoly 論文における政府でも、マネーだの財政支出そのものだのが目的なのでなくて、消防士がいる社会が provision されるという話なんですね。
それ抜きにマネーの話をするのはおかしいだろ?とモズラーは言っている。

なるほど

このインタビューは2020年4月ですが、ちょうど時期もWhite paper と一致していて格好の解説になっていますよね。
同じように、先日のヘッドホンによるインタビューも公開されれば貴重な資料になる。

あ、こんなのもあった。

ここに注目

CL: I see your point. Why is there demand for fiat money, then, if it has no intrinsic value?
WM: Let’s start at the beginning… The government wants to provision itself. It wants soldiers. It wants a legal system. It wants to move goods and services that are currently in the private sector to the public sector.

「国を形作る」っていう感じか

ここにも出てくる “We pretend to be more civilized.”

”I liked the idea that the world understands things one way when in fact it’s another way – which is what he was talking about.”

確かに文学に限らず時代や社会のコンテクストの中で汲み取らないと浮かび上がってこないものがありますね。

翻訳における言葉の問題についてこんなつぶやきが流れてきました

翻訳って、原文がその空間でどのように受け取られるか、また、どのような意図で発せられたかを理解したうえで、訳語が翻訳先言語の空間でどのように受け取られるかを考慮すべきなんですよね(笑

カントもそうなのですが、モズラーの気持ちとしては「主流の言説は現実と異なっており、現実を分析すると主流の言っていることとあべこべになっている」ということをlogicを起点に論証しようとしているわけです。
そのようなテキストの翻訳を「主流101」を標榜するサイトに載せる行為の政治性もまたあるんですよね。

モズラーがよく言う base case って何?

さて、White Paper もそうですがモズラーは「変動相場制、ゼロ金利固定、JGPの三つがMMTのベースケースである」みたいによく言います。

ぼくとしては base case というより  floor/ground case みたいに言うべきじゃないかしらと思ったり。

そういえば base case という言葉もまあ odd  だけれども、どちらかといえば経済学的、投資家的な思考かもしれません。
こんな説明を見つけました。

https://yhec.co.uk/glossary/base-case-analysis/

”A base case analysis usually refers to the results obtained from running an economic model with the most likely or preferred set of assumptions and input values.”

この定義はぴったりですよね。

経済分析が未来を考えることであるなら、それは必然的に複数のシナリオを比較することになります。
このとき基準がぜったいに必要になって、それは投資も同じ。

投資の場合は国債利回りが基準レートになりますよね。投資理論の最初に教わる。

政府が何らかの社会を provision したいとして、消防士が欲しいとか法整備が必要とか政策はいろいろありえるけれど、プラス金利を設定するという政策はまったく意味が分かりませんよね。JGをしない意味もわからない。

これをそのまま注釈に書いておいてもいいかもしれませんね。

よいことを思いついたかも。

日本の読者のためにこのような注を入れたいのだけどこれでよいでしょうか?と、モズラーおじさんに聞く!

了解です(笑)

たぶん most likely or preferred には違和感を覚えてくれると思うんですよね。
論理的、観念的なものというか。
わたくしは ウェーバーの ideal types が近いと思っているのですが’(おじさんは知らないだろうな)回答が楽しみです。

preferred ではあるかもだけれど most likely ではないものね。それがハッキリしたらよいな。

おじさん、Base case だけでめちゃくちゃツイートしてるんですねぇ

“base case for analysis”

そこまでがセットみたいですね

for purposes of と強調する時も

“Inflation comes from modifications of that structure.“という説明の仕方からも、インフレや失業の発生は、base case(基準事例?規範事例?)からdeviateすることに起因すると読めるのかなぁと

「MMTは失業をなくすためにJGを提唱している」(prescripitive)じゃなくて「JGというbase caaseが欠けていることが失業の残存をもたらしている」

あることの analysis のためには base case として set of assumptions and input values がいるでしょ、ってことだと思っています。

full empolyment が base case だとすると、失業の残存はそこからの乖離として把握されることになりますよね。

ですね、full employmentがbase caseでなければ“residual”なんて言葉は普通つけないですものね。

ですねえ

そうすると、主流派やリフレにとってはNAIRUの存在がbase caseなのかなと考えてみたり

NAIRUはかつての代表的指標だったけれども今はそうではないのでその批判は当たらないと思われてしまうでしょう。
MMTだけが full employment、job gurantee をベースケースとしていると言った方が広くて強いです(笑)

パレート最適とか、厚生の最大化とか言う人が多いでしょう?

さきほどゲーテちゃんさんが紹介なさったモズラーのつぶやきの二番目ですが、ここから始まっています。

金利の支払いを起点にインフレになるメカニズム

MKC Buckaroo (大学内通貨)は今も続いているわけですねえ

へえ
Denison University

もう一つの Franclin Franc というのを検索したら、なんかインタビューが見つかった!

めちゃめちゃおもしろい

MM: What is your view on the proposals to use the job guarantee as part of the Green New Deal and employ those who are going to be rendered unemployed by shutting down coal mines or oil rigs in the ocean and employ them, presumably in a job guarantee program? Do you think that makes sense?

WM: I consider myself a progressive, okay. To me, that’s not a progressive way to provision the public sector with labor. If you want to hire these people, just hire them! Hire the coal miners to do whatever you want them to do. Don’t put them in a job guarantee at ten Euro an hour. If the regular public service job is €30, just hire them a 30 Euro. The whole point is not to undercut the base scale of the public sector. Once you fully provision the public sector with the green new jobs wherever you want, then the rest of those people you want to transition into private sector, they’re the ones in the job guarantee.
And then you conduct a fiscal policy, you give government grants, loans or whatever you want to do to get the private sector to hire them. If you don’t want them in the private sector, if you want them in the public sector, just hire them.

ここ、公務員雇用(含グリーン雇用)とJG雇用の区別のQ /Aとしてバッチリの回答ですね。

JGはpublic options

Molser はそういわず base case と言っている感じがします。そこは彼の特徴じゃないかな。

政府に何かやりたい目的があるならただ hire すればいい。
JGは residual な失業が対象ってかんじかな。

なるほど“rest”と“residual”は同じことを指しているのかしら。 

語源的には別系統だったような気がしますが、論理的な意味合いはほとんど同じではないでしょうか。

しかしこれ面白いな。
翻訳しよっかな(笑

おじさんから返事来ました

もはや「著者に確認したところ、…」でこのまま注釈に含めてもよいのでは感

GJ!
やっぱインタビューだいじやね。
質問文みせてよ(笑

JKの拙いいんぐりっしゅを見せるのは恥ずかしいですわ:のぞき見している顔:

いえいえ、ありがとうございます。
素晴らしいやりとり。

さらに。

おじさんは親切

:ハート:

言葉が通じ合った瞬間を目撃しました

彼のような宇宙人には媒介者が必要なんですよやっば。

今回わたくしに声をかけてくれたのを嬉しく思いましたがイメージを大きく超えた収穫がありました、

個人的にはalianというよりcosmic manという感じを受けます。世界を広げてくれる人。

言葉のユニークさが、ですね。
経済学の本はほとんど読んでいなかったらしく。

モズラーおじさんとゲーテちゃんの言葉が噛み合った瞬間を目撃したワンね。

次回は後日談。

なんとわれわれの提案でモズラーおじさんが White Paper を修正することに
\(^o^)/

White Paper: MMT 翻訳の舞台裏 その1

先日公開したこちらの舞台裏

sorataさんやヘッドホンさんにも協力いただいて↑のリンクのとおり作業しています。今ファイナルドラフトとして形になってきたのですが、よかったらこちらの翻訳についてにゅんさんにもチェックをお願いできないでしょうか?モズラーの文章は結構慎重に訳したほうがいいなと思っており、特ににゅんさんからアドバイスいただけると大変ありがたいです。可能な範囲でご検討いただければ幸いです。

ゲーテちゃんからお声がかかったのでモズラーの翻訳見に行きますね

white paper ってなんだろうね問題を考え込む。

注を入れると、そのことがかえって誘導として働く。

ふむふむ

white paper は同文化圏の人には white なのだろうけれど、そうでないわれわれには white ではない。けれど日本語はかなりの程度英語文化圏の影響を受けていますよね。

引用
”外資系企業のマーケティング担当者がいつも悩んでいるのが、日本人はなんでホワイトペーパーをダウンロードしないんじゃろう?ということなんじゃ。まぁ嫌いなんじゃな。そんなものをダウンロードするなら電話で営業を呼んで話を聞くワイ、という人が多いんじゃよ。”

これわかるなー

同じ単語を使っているつもりでありながら物事の理解の仕方が逆になっている面があるんだよね。
そういう人たちに white paper という概念を説明するということは翻訳においていちばんむつかしいことの一つだと思う。

ぼくとしては翻訳そのものよりも、こうしたメタな理解のズレを伝えたいと思うようになっていて、だから自分としては翻訳そのものにはあまり手を出さなくなっているんですよね。

なぜ basic とか principle ではなく white paper と言った方がしっくりくるのか?
これは currency を money という言葉を使わずに tax credit でしょと説明する感覚と似ていると思う。というか同じモズラーさん。

The purpose of this white paper is to publicly present the fundamentals of MMT.

やっぱ ”public” という感覚がベースなんですよね。これは日本ではものすごく希薄だと思います。
反対にアングロサクソンではものすごく強いですよね。

公私の区別

うーん、公私といえば公私なのだけど、じゃあ私って何だろう。
公でないものが私?

How is the Public Debt Repaid?

When US Treasury securities mature, the Fed debits the securities accounts and credits the appropriate reserve accounts.  Interest on the public debt accrues to the securities accounts and the Fed credits reserve accounts to pay that interest.

There are no taxpayers or grandchildren in sight when that happens.

ここで考えてしまうのは、Repaid の訳し方かなあ
こういうところでいちいち悩んでしまうので手を出しにくかったんですよね。

公的債務はどのように返済されるのか?
→ 公的債務の償還はどのように行われるのか?
とした方がよい気がする。

しかし repay という単純な単語が「償還」でいいのだろうかとも思う。
そもそも repay とは何なのか、payとは何なのか。

debt is repaid と言ったら、負債にペイをしたということだけれど。

ここでも debit, credit が出てくるなあ。

ある銀行のバランスシートの一部のイメージ

the FED debits the securities accounts は、この securities accounts の数字を減らすということですね。
ただそれだけだと銀行はたまらない(笑)

だからFEDは同時に
credits the appropriate reserve accounts
つまり、the (appropriate) reserve accounts の数字を増やす。 

どうして appropriate という一語が付いているか?
それは別の銀行の reserve account を増やすのではなくて、debit された serurities を持っている銀行の reserve だよということをわざわざ言っているわけだ(笑)

経理の感覚としては、引き落としと振込というよりは、一発の振替処理なんですよね。

↑を踏まえると「適切な準備預金口座」より「関連する〜」「然るべき〜」にしてみようかなと。

「然るべき〜」、いいですね♡

MMT recognizes that taxation, by design, is the cause of unemployment, defined as people seeking paid work, presumably for the further purpose of the US Government hiring those that its tax liabilities caused to become unemployed.

(当初の案)
MMTの認識では、課税は、設計上必然的に失業(=有給の仕事を探している人々)を引き起こし、さらには米国政府が人々を雇用するために、彼らに租税債務を課して失業させていると推定される。

presumably
recognize からの presume なわけですね

「MMTは次のように認識する。課税は必然的に失業(=有給の仕事を探す人々)を引き起こす。」

by design は 、by accident ではなく本質的にそうであるということやね。

だからここまでは presume されたことではない、直接的な認識。
「おそらく、米国政府が税のために失業した人々を雇用するためであろう。」
「おそらく、米国政府が税のために失業する人々を雇用するためであるはずだ。」 

これは puresume ですね。
「おそらく」を省略してみる。
「米国政府が税のために失業する人々を雇用するためであるはずだ。」
これでいいはず。

論理的な推論の結果であることが表現できればよいわけです。

5. If people, on average, want to earn more than what’s required to pay taxes, goods, services and assets will be offered for sale in sufficient quantity to obtain those extra dollars.

ここに on average という句をちゃんと入れるのがよいのである(笑

たとえば貯蓄が十分あるから稼ぐ必要はないと考えている人もいるわけです。人々の平均を把握すればよい。
これは分子運動論と似ていると思う。
個々の分子の挙動でなく、平均が温度に現れる、みたいな。

6. State spending in excess of taxes- deficit spending- provides the dollars desired to be saved.

(案)
6. 税金を超える国家支出-赤字支出-は、貯蓄されることを望むドルを提供する。 国家が税収以上の支出(赤字支出)を行うことで、同額のドルが提供され、貯蓄需要を満たす。

ぱっと見て和訳が長いけれどそうする必然性はあるのかな?と考えてみる。

「国は税金を超える支出、つまり赤字支出をすることにょって、貯蓄として欲求されるドルを供給する。」

ああ、ここは二つの言い方で迷っているのかな。

ぼくなら受け身にするかどうかでちょっと考えるかな。
「国が税金を超える支出、つまり赤字支出をすることにょって、貯蓄として欲求されるドルが供給される。」

9. When securities are purchased, the Fed debits reserve accounts and credits securities accounts which are also at the Fed.

(案)
証券(米国債)が購入されると、FRB は準備金預金口座から引き落とし、同じくFRB にある証券口座に振り込む。

「証券(米国債)が購入されると、Fed は準備金預金口座の数字を減らし、同じくFRB にある証券口座の数字を増やす。」
こうやってしまってよいでしょう。

creditの説明でchange the number to a higher numberと書いていますね

After spending is authorized by Congress, the Treasury instructs the Federal Reserve Bank to credit the recipient’s bank account (change the number to a higher number) on the Fed’s books.  <Note: The accounts of Fed member banks are called reserve accounts and balances in those accounts are called reserves.>

そうそう

debitはそうしたら,change the number to a lower numberとなるはず

こうしたらどうか。
「証券(米国債)が購入されると、Fed は準備金預金口座の数字を減らし(debet)、同じくFRB にある証券口座の数字を増やす(credit)。」

MMT recognizes that a positive policy rate results in a payment of interest that can be understood as “basic income for those who already have money.”

(案)
MMTの認識では、プラス金利政策がもたらす利払いは、「すでにお金を持っている人のためのベーシックインカム 」と見なすことができる。

微妙に変えたい。

「MMTは次のように認識する。正の金利政策は金利の支払いを伴うが、それは「すでにお金を持っている人のためのベーシックインカム 」と見なすことができる。」

MMT recognizes that with the government a net payer of interest, higher interest rates can impart an expansionary, inflationary (and regressive) bias through two types of channels — interest income channels and forward pricing channels. This means that what’s called Fed “tightening” by increasing rates may increase total spending and foster price increases, contrary to the advertised intended effects of reducing demand and bringing down inflation.
(案)
MMT的理解では、政府が正味(プラス)の利払いを行っている場合、金利の上昇は、利子所得の経路と先渡し価格の設定(forward pricing)の経路という2種類の経路を通じて、拡張的、インフレ的(かつ逆進的)なバイアス(bias)をもたらす可能性がある。 このことが意味するのは、金利の引き上げによるいわゆるFRBの「金融引き締め」は総支出を増加させ、物価上昇を助長する可能性があるということである。これは、需要を減らしてインフレーションを低下させるという、〔FRBが〕宣伝、意図した効果とは正反対である。

全体に良いと思うけれど、〔FRBが〕なのかな?

それは主流の思考形式であって元をたどるとケインズでは?と今思った。

政策金利の上昇→貸出の抑制 というストーリの出所

念頭にあったのは戦費調達論の方でした

金利をインセンティブにして支出を繰り延べさせることによってインフレを抑制する。

Furthermore, forward pricing is a direct function of the Fed’s policy rate, and with a policy of a positive term structure of interest rates, the forward price level increases continuously at the policy rate, which is the academic definition of inflation.

(案)
さらに、先渡し価格の設定(forward pricing)はFRBの政策金利の直接的な関数であり、プラス金利の期間構造の政策では、先渡し価格(forward price)の水準はその時の政策金利に応じて継続的に上昇する。以上がインフレーションの学問上の定義となる。

このカッコの使い方がナイス。

which is 、は、「以上は」かなあ。
「以上はインフレーションの学問上の定義である。」
そうであるはずだ、みたいな。

MMT understands that a permanent 0% policy rate is the base case for analysis for a floating exchange rate policy.
(案)
MMTでは、政策金利が恒久的に0%であることが、変動相場制の分析の基準となるケース(base case)であると理解される。

むつかしいね(笑
do not accelerate の主語は asset prices ですか。
このままでいいか。。。

The Job Guarantee works to promote price stability more effectively than the current policy of using unemployment, by better facilitating the transition from unemployment to private sector employment, as private employers don’t like to hire the unemployed. 

やりにくいねここも
JGPになったら unemployment はなくなるわけで。

就業保証は失業を用いるという現在の政策よりも効果的に物価の安定を促進するために機能する。失業から民間部門の雇用への移転をより上手に容易にすることによって。なぜなら民間の雇用主は失業者を雇いたがらないからだ。

そんな感じで工夫しましょう

この white paper のやりかたにはやはり資本論みを感じてしまう

資本論が商品から始める必要があったように、MMT story は1から始まらないといけないですよね。

「税は財源ではない」的なMMTの説明方法並びに受容のされ方について,モズラーはなんとも言えない感じだと言ってましたね

spending first という表現はどうなんだろうね

税や国債で支出するための収入を得て,それから支出するという物語に対しては「シークエンスが逆で先に支出で後で回収(プラス借入)だよ」というカウンターをぶつける,が,そもそもその物語を相手にしないならば「初めに租税ありき」ということでMMTを始める

その通りだね

understanding modern money の出だしは taxes drive money の章じゃなかったけか

話はそれるかもだけど、税と言われたときに、課税されることを思い浮かべる人と、徴税されることを思い浮かべる人がいそう。

1 Introduction
2 Money and Taxes: The Chartalist Approach

あとマルクスみを感じるのは the driving force という言葉かなあ。
力学的?というか。
market forces とか
だから天文とも似てくるわけだよ

「経済的諸形態の分析では,顕微鏡も化学試薬も役にはたたない。抽象力がこの両方の代わりをしなければならない。」(マルクス『資本論』第一巻,S.12)

あーそれそれ
presumeって抽象力ですから。

資本論のs.31とは、フランス語版の Vor- und Nachwort

初版が1867、第二版が1873、フランス語版が1875

モズラーも Soft currency economics を改訂して、さらに white paper なるものをあとで出すわけだよね。
乱暴を承知で言うと、経済学批判から資本論に結晶純化していく過程は Soft currency economics が white paper に凝縮されるのと被って見えているなあ。

クリスタル

wikipedia の white paper のxxです。

「A white paper is a report or guide that informs readers concisely about a complex issue and presents the issuing body’s philosophy on the matter. It is meant to help readers understand an issue, solve a problem, or make a decision. A white paper is the first document researchers should read to better understand a core concept or idea.」

もしかしてゲーテちゃんさんはこういうのをご覧になって「研究者が最初に見るべき…」とされたのですかね。
研究者に限定することは全くないと思われます。

white paperは「ホワイトペーパー」としつつ、ウィキの一文目を活用して注釈はこのようにしたいと思います。
訳注:ホワイトペーパーとは、複雑な問題について読者に簡潔に伝え、その問題に対する著者の考え方を提示する報告書や手引書のことをいう。

>就業保証は失業を用いるという現在の政策よりも効果的に物価の安定を促進するために機能する。失業から民間部門の雇用への移転をより上手に容易にすることによって。なぜなら民間の雇用主は失業者を雇いたがらないからだ。

ちょっと踏み込んだ言い回しにしてみますが、これでどうでしょう↓

(案)就業保証は、失業を用いるという現在の政策よりも効果的に物価の安定を促進する形で機能する。就業保証があれば、失業したとしても民間部門の雇用に移りやすくなる。というのも、民間の雇用主は失業中の人を雇うことを好まないからである。

就業保証があればそもそもunemploymentは存在しないだろうというコメントを受けて、「失業したとしても」(一時的に解雇されても)としてみる。

後はモズラーがthe unemployedという言い方をわざわざしてくれているので、「失業中」、つまり失業状態であるという言い方にすれば、職歴のブランクがあることが問題なのだというニュアンスが出るかなと。

unemploymentは「今の職を失う」という現象(dynamic)、「失業者」という状態(ステータス)(static)の2通りがあり得るので、そこをどう反映させるかというのが問題意識です。 (編集済み) 

前者の事象自体は生じるが、就業保証があれば後者の状況に陥ることがない。民間に再就職することは失業ブランクがある時よりもJGの職歴があった方が有利である、的な。

dynamicとstaticという対比を現象と状態とするのは面白いですね

履歴効果というやつですか>民間に再就職することは失業ブランクがある時よりもJGの職歴があった方が有利である

そうですね。そういう話は経済学勉強しない人にも伝わる話だよなと。モズラーの文章は難しい面もありますが、white paperである以上はなるべく一般の人に読みやすくしたいですね。

ここはモズラーに修正を要求してもよいと思いますね。

 transition from unemployment to private sector employment

transition は物理的な相変化(phase transition)、たとえば氷→水→水蒸気のイメージ

氷が失業、水がJGP、水蒸気が民間雇用というそれぞれの状態みたいに考えると。

氷から水蒸気に持っていくのに必要なエネルギーは、水から水蒸気のときよりもたくさん必要になる。
by better facilitating the transition from unemployment to private sector employment
ここは
by better facilitating the transition to private sector employment でよくね?とか
ああ、このままでいいんか
the transition from unemployment to private sector employment をましな実装にすることで、というつもりなのだろう。

「民間雇用への移動が容易になることで」「民間雇用への移動を容易にすることで」

物理の例えはわかりやすいですね。H2Oの状態変化がスムーズになるよ的な。 (編集済み) 
氷からいきなり水蒸気に変わるには相当のエネルギーがいるが、水から水蒸気に変わるはより小さいエネルギーですむ。
学校の物理の成績酷かったんでうまく説明できないですが笑
仕事探す労力もエネルギーですしね
JGPがあれば失業→JG雇用が保証されるので大変省エネですし

物理や化学や工学ではバッファーを置くというのは普通なんですよね。衝撃を緩和する緩衝地帯を設けるという。

バッファー国家という概念もあります
大国が隣国を併合しない理由の一つです
直接にぶつかるのは恐ろしい

大きなクッションに飛び乗る時にバフッってなるやつだよね。

それですね

The US government, for all practical purposes, spends as follows:
After spending is authorized by Congress, the Treasury instructs the Federal Reserve Bank to credit the recipient’s bank account (change the number to a higher number) on the Fed’s books. <Note: The accounts of Fed member banks are called reserve accounts and balances in those accounts are called reserves.> 

(案)
米国政府は、実際には次のように支出する。
議会で支出が承認された後、財務省はFRBに対し、受取人の銀行口座に振込むよう指示する(数字をより大きい数字に変更する)。 <原注:FRB加盟銀行の口座は準備預金口座と呼ばれ、その残高を準備預金〔訳注〕と呼ぶ>。
〔訳注:日本の日銀当座預金に当たる〕

on the Fed’s books というのが気になりませんか?
自分の推測だとここ、recipient が口座を持っている銀行がFedに持っている口座の勘定、つまりリザーブの数字を増やすことの説明を意図していると思うんですよね。

あれ、これ訳抜けてますね、、、

こうしてみますか「…受取人の銀行がFRBに持っている口座に入金する(credit 数字を増やす)よう指示する。<原注:上記のようなFRB加盟銀行の口座を準備預金口座(reserve accounts)といい、その残高を準備預金(reserves)と呼ぶ。>」

「入金」「振込」という言葉は使いたくない気がします

あくまで「数字を増やす(credit)」の方がいいと思うんですよね。

そうすると、冒頭

MMT began as a description of Federal Reserve Bank monetary operations and accounting, which are best thought of as debits and credits to accounts as kept by banks, businesses, and individuals.MMTはまず、連邦準備銀行(FRB)による金融オペレーションと会計処理を説明するものとして始まった。これらは、銀行、企業、個人が保有する口座の引落/振込として考えるのが最適である。

ここもひと工夫?

debit(数字を減らすこと)/credit(数字を増やすこと)
とか?
うーんそうすると、銀行、企業、個人の口座の数字も統合政府が動かしているというビューで統一したいのかな。
そこまで含めて
on the Fed’s books?
ぼくなら本人に確認するかな。

やはりこの credit の対象がどこまでを含むのか、つまり、銀行の reserve と the recipient の deposit の両方と受け取っていいのかどうか?

つまりこういう質問になりうますか?
Q1. Does this imply the view that the consolidated government changes the numbers of all the accounts kept by banks, businesses and individuals (on the Fed’s books)?
Q2. I want to clarify the range of this ‘credit’ operation. When you say ‘credit the recipient’s bank account’, does it include both the bank’s reserve account and the recipient’s deposit account?

うんうん

モズラーおじさんからレスポンスありました
The Fed only changes numbers on it’s own spreadsheets.
Reserve accounts are accounts member banks have at the Fed.

まぁ二つ目のコメントは文字通りのことしか言ってないのでストレートに読んでくれってことなんでしょうかね。

少なくとも一つ目と二つ目のコメントでは一貫してFedはFedのspreadsheets (or books)上の数字を操作するんだよ、と。

ということは基本的にはこれでよいですね。「銀行がFRBに持っている口座」もしくは「勘定」。

あとは入金、とか 振り込む、は避ける(というのはわたくしの希望)

そうしましょうか。「入金する(credit 数字を増やす)」→「数字を増やす(credit)」に。

やはり入金、振り込む、はモノとしてのイメージが強くなりますかね。printing moneyとかと同じで。せっかくwhite paperから始めるのだからchange numbersをbaselineにすると。

モズラーがこう言っていたのを思い出しました。”The dollars don’t “come from” anywhere or “go to” anywhere.”

https://dailycaller.com/2021/10/22/mosler-alarm-national-debt-is-misguided/https://dailycaller.com/2021/10/22/mosler-alarm-national-debt-is-misguided/

にゅんさんが言ってたのは振込と引き落としに分けるんじゃなくて、振替の一括処理なんだということでしたっけ。そうするともう一つの箇所↓はこうかなと。

MMT began as a description of Federal Reserve Bank monetary operations and accounting, which are best thought of as debits and credits to accounts as kept by banks, businesses, and individuals.
(案)
MMTはまず、連邦準備銀行(FRB)による金融オペレーションと会計処理を説明するものとして始まった。これらは、銀行、企業、個人が保有する口座の振替処理(debits and credits=数字の上げ下げ)として考えるのが最適である。

ええ、ここまで突っ張ったら
口座の振替処理→口座に記録されている数字を変える処理
くらいかなあ(笑

まぁ「振替」にはこだわりないですね、少し簡潔に「口座の数字を変える処理」としてみます

あとHow is the Public Debt Repaid?の宿題返しですが、提案としてはこうです。
「満期を迎えた公的債務はどのように処理されるのか?」

ここですね

How is the Public Debt Repaid?
(案)
満期を迎えた公的債務はどのように処理されるのか?

When US Treasury securities mature, the Fed debits the securities accounts and credits the appropriate reserve accounts. Interest on the public debt accrues to the securities accounts and the Fed credits reserve accounts to pay that interest.There are no taxpayers or grandchildren in sight when that happens.

(案)
米国財務省証券(米国債)が満期になると、FRB は証券口座の数字を減らし(debit)、然るべき準備預金口座の数字を増やす(credit)。 公的債務の金利は証券口座に発生し、FRB はその金利を支払うために準備預金口座の数字を増やす(credit)。以上の取引の際には、納税者も将来世代も一切登場していない。

タイトルのところで原文にない「満期」を補っておられるわけですね。

しかし。。。
人々が気にしているのは満期の時にどうなるか、ではなくてみんな漠然と公的債務がどうなるかを気にしていますよね。
それに対してモズラーは元本部分と金利部分がどのように処理されるかをそれぞれ述べているという流れ?

そしてこの書き方は、利付債の場合と割引債の場合の両方を包含しているんです。
利付債の場合、利子は契約に基づいて満期になる前に支払われますよね。

そんなこんなで「公債の償還はどのように処理されるのか?」くらいがよいかなと?

よし!それで行きましょう笑

「ボトムアップ」というのが出てきますが,これはどうしましょうかね(→底を上にするということから,「逆さま」という意味が出てくるらしいのです)

Bottoms Up!という口語表現は「乾杯!」を意味する模様
https://eow.alc.co.jp/search?q=%22from+the+bottom+up%22

裁量的支出による呼水では完全雇用を達成する前にインフレが悪化するという話でしたよね。トリクルダウンの対比でボトムアップがあるという理解です。注釈までつけるほどではないとは思いますが、the bottom upの前についているfromを汲み取りますかね。「ボトムアップから」もしくは「ボトムアップの方向から」にするとか。()で「逆さま」を入れると「〔トリクルダウンとは〕逆さま」と入れたくはなりますが。

多くのサラリーマンには「ボトムアップ」で通じそうではあるけれど、考えると悩みますね。

民主的なJGPであれば最低待遇が労働者側の力で決まるのに対し、JGPがない場合、それは資本側の都合で決まる。

JGPがなく雇用者が利潤率をめぐる競争をしているとき、経営は同じ水準の労働者を安く雇うほど有利になる。最低雇用水準がこのメカニズムで決まるのが「トップダウン」だとして。
対して、JGPがある場合はすでに最低条件が決まっているJGP労働者をいかに確保するかの競争になる。

この図で、JGPがない場合は上からの圧力に対して法的規制で歯止めをかける感じになりますね。

from the bottom upの訳はもう少し考えてみますかね。圧力はヒントになりそう。

バッファストック(緩衝材庫)、これはわざとかな?
よいセンスかもしれない。

バッファストックと緩衝材庫両方の言い方がなされているので、という議論からこうなりました。就業保証も()書きでジョブギャランティーと併記してます。

「バッファストック(緩衝材-庫)」とするか、訳注を入れるか?

いろいろ考えているところ

全体的に翻訳を改訂したのをアップしました。

account を 「口座」でなく「勘定」としてみたのは一つのポイントです。
ここはどうしてこうしたの?という説明をしていませんが、気になるところは議論しましょう。
accout については、下のようなスプレッドシートの一行一行を彼がそう呼んでいるからです。 

たとえばここ

When US Treasury securities mature, the Fed debits the securities accounts and credits the appropriate reserve accounts.

たとえばここでなぜ appropriate が入るかを考えたりすると、彼の脳内イメージがわかってきます。
この一語がないと、他にたくさんある  reserve accountたちではなく、その account であるということを表現できない。

コンピュータープログラムでどのように credit や debit の命令を記述するかというと。まず以下の一行指令を書いたら
 credit A bank’s securities account
次の行の指令で
 debit the same bank’s bonds account
と書いてセットにしておく必要がありますね。

the same bank’s を入れておかないと解釈できなくてエラーになるか、あるいは「指定しない場合は上の行と同じ銀行の勘定とする」という事前の宣言またはルールが前提になっている。 

T-accounts

確かに、その説明で行くと「口座」ではかち合わない感じですね

>T-accounts
T勘定ですね

確か金ピカ本にも「T勘定」が登場していたかと

日本の日常的な経理で「〇〇勘定」て言ってますしね。
これまでぼくもずっと「口座」で訳してたわけですが(笑

ここですが

After spending is authorized by Congress, the Treasury instructs the Federal Reserve Bank to credit the recipient’s bank account (change the number to a higher number) on the Fed’s books.  
(案)
支出が議会で承認されると、財務省はFRBに対し受取人の銀行の勘定の数字を増やす(credit)よう指示する。

末尾のon the Fed’s booksの扱いはどうしましょうね。確かに元の「FRBに持っている」という言い方は「口座」に合わせた表現になっているので邪魔になるのはわかるのですが。他方で、おじさんのいう「The Fed only changes numbers on it’s own spreadsheets. / Reserve accounts are accounts member banks have at the Fed.」のニュアンスをどう訳文に落とし込むかなぁというのが悩みどころです。「FRBの帳簿上にある(受取人の銀行の勘定)」だとちょっとぎこちないので、「FRBの会計において表示される(〜)」としてみるか。
シンプルに「FRB上の〜」でもいいかもしれませんが。ちょっと自信がありません。

ここはあまり考えたのではなく、元の翻訳に引っ張られましたね。どうしましょう。
books でなくspreadsheets とするようにおじさんに頼みましょうか。

試案
財務省はFRBに対し、受取人の銀行の勘定の数字を増やす(credit)よう指示する。その勘定はFRBの帳簿上にあるものだ。

バッファストックに戻りますが、「緩衝予備軍」だと物々しいですかねぇ笑 産業予備軍と混同されそうですし。

今のぼくの意見は「バッファストック」というカタカナが最善かなあ。マルクスの労働予備軍は、労働なし従って給与なしで社会保障で生きる人たち。

うーん、そうですねぇ。頑張りたいところですが、これだけで1ヶ月悩みそうな気がするので笑 幸いバッファとストックなるカタカナ語はまだ伝わるでしょうし。これは一仕事終えてからの宿題にしたいと思います(ストックとはなんぞやというのは興味深いテーマですし)。

どうせ読者に考えさせるのだから合わない日本語にしてどうする?と思うんですね。

確かに。

次にこちらですが、

THE MMT ‘MONEY STORY’- A STATE DESIRING TO PROVISION ITSELF:
(案)
MMT「マネー物語」 :自身を表現せんとする国家

「自身を表現」というのは、国家が租税債務を課すことで生産を促し、「自国を形作る」という趣旨でしょうか?ここはhow a state provisions itself with goods and servicesの説明なのかなと。モズラーの名刺物語で言うと、「きちんと片付いた居心地の良い自宅」(ケルトン本)を表現せんとするおじさん、という感じですかね。

目指す社会を現実のものにするという感じだと思います。
どのような状態を目指すかは国家の選択になるわけで、十七条の憲法のようなものでもよいし、理想の仏教国を目指すでもよしい、アメリカの犬を目指すでもありでしょう。
生産との直接の関係はないと言ってよいかも。 

ヘッドホンさんがモズラーに会ったあとこう言っていました。

今日のモズラーで印象に残る台詞の一つは、

「失業率も小さく、ヘルスケアやインフラも他の国に比べて良いのに、成長率(gdp成長率)アップを求めて何がしたいの?」

11/9

この時ワンね

ビル・ミッチェルのブログから

ヘッドホンはノートはよ

そういえば書いていませんでしたね

政府が自己を provision する…
たとえば合衆国憲法の前文ですが。

We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.

これは書かれただけなら意味のない空文だけれども、これと整合的な政策が伴って初めてそれは provision されるというわけですね。

そういう国家観は日本人に希薄なところで、向こうから奇妙なものに見えるかもしれません。反対に、こちらは向こうの考えがなかなか理解できない。

我々の側は、1990年くらいからは「改革したい」「改革しなければならない」というのが政治のメインテーマになっていて、そのせいでますます資本の力が直接的に作用する社会に向かっているよね。わざわざ。

カイカクする国家を provison している

直近だと、反撃能力を備えた国家とかね。

2/nに続きます。
(次回はちょっと感動的だったところ)

対話22:インフレーション、モズラーの言う「タームストラクチャ」

某月某日

”Taxation is part of the process of obtaining the resources needed by the government. The government has an infinite amount of its fiat currency to spend. Taxes are needed to get the private sector to trade real goods and services in return for the fiat money it needs to pay taxes. From the government’s point of view, it is a matter of price times quantity equals revenue.”
Mosler[1996/2012], Soft Currency Economics II, p.68
「租税は政府が必要とする資源を獲得するという過程の一部である。政府は支出するための無限な量の命令通貨(fiat currency)を有している。租税は民間部門に,租税を支払うために必要となる命令貨幣(fiat money)を求めて実物の財やサービスを交換させるために必要とされる。政府の観点からすれば,価格×量=収入,ということが問題なのである。」(Mosler[1996/2012], p. 68,邦訳は引用者による)

この最後の文はモズラー構文というか(笑

ぼくが訳すと、
「政府の観点からすれば、重要なのは価格と量でありその積が税収と等しくなる。」

つまり、みんなが気にするのは税収だけれども、それは結果だというわけ。

こんな説明はどうだろう。
モズラーのインフレーションはデノミ、デノミネーションのことである。

従来の紙幣、たとえば1,000,000nyunのお札を新紙幣1.000nyunに切り替える。
これがデノミですね。

これは、すべての商品の価格を一斉に10000分の一という一定比率で切り下げるということを意味します。

これは物差しが変わるだけで経済の実態には基本的に無関係。
そりゃメニューコストはあるけれど、理論上、思考上の話と理解してください。

ここで大きな注意点がありまして、純粋デノミならば金利も同じ割合で切り下がっていいやんという話になる。

(ここは説明がいるかな)

たとえば年利10パーセントの貸借の成立は、現在のお金と将来のお金の等価交換、インディファレントな水準で決定されるやりとりです。 

貸し手は将来の110を今の100で買うという意味で買い手であり、同様に借り手は売り手であると。
この時の価格はどうして変わらないの?という理屈です。
このように金利は時間が関連する商品で、その分他とは性質が違いますね。

モズラーの物価水準の論考で、ブライスレベルとタームストラクチャーに話を分けざるを得ないのもこの事情によります。

こういうインフレーション経済であるとして

商品と商品の距離が価格、みたいなイメージ。

デノミをしたときに、その後の膨張度はどうする?という問題です

金利が変らなければ、再膨張する経済 

これって、下の図のようにすることだってできるわけです

そしてデノミが可能であるということは、そもそもこの傾き(インフレ)は人為的なものだったという証拠でもある。
金利をゼロにすれば水平になるじゃん!と工学屋なら普通に思うでしょう(笑

わたくしが思うに。
利子というものを何か自然なものと考えるか、剰余価値の分配の一形式と考えるかに尽きると思うんですよね。

「宇野『原論』は,どこまでも「他者」としての資本を主体とする論理構成を貫きながら,その最終部を,恐慌論や階級闘争論で終わるのではなく,資本主義の物神性をあらゆる人間(自己)の意識に内在化する「国民所得」によって閉じることになる。
「利子と地代と賃金と,そして企業利潤とは,いわゆる国民所得の基本的なるものといってよいであろう。他の所得はこれから派生するものと見ることが出来るのであるが,しかしこの国民所得観こそ資本主義社会の物神崇拝的性格をそのまま反映するものに外ならない。」(宇野著作集 第一巻 五一八頁)

「現に労働賃金を資本の利子と同様の所得とするとき,マルクスのいわゆる『搾取する労働』と『搾取される労働』との区別は抹殺せざるを得ないし,労働者の労働力が資本として機能し,その賃金が資本の一部から火払われるという関係は見失われざるを得ない。」(同 五一九頁)」(青木孝平『「他者」の倫理学』社会評論社,297-298ページ)

「一国で支配的な利子の平均率ー絶えず変動する市場率とは区別されたものとしてのーは,どんな法則によっても全然規定することのできないものである。この仕方では利子の自然的な率というものは存在しない。つまり,経済学者たちが自然的利潤率とか労賃の自然的な率とか言うような意味では,存在しない」(マルクス『資本論』第三巻,S. 374)

それぞれに、面白いですね。

モズラーは(MMTはと言ってもいいでしょう)資本の利子を労働賃金と同様の所得として見ていませんね。

「資本の利子」という言葉は少し気になります。
「資本の」を付ける意味はないような。

And every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.
Mosler[2010], Seven Deadly Innocent Frauds, p. 115
「そして政府が同じものに対してより多くを支払うたびに,政府はその通貨を下方に再定義していることになるのである。」(Mosler[2010], p. 115,邦訳は引用者による)

市場価格に従属する支出ならそうですね。

あと、先行する課税によって民間の購買力が奪われていて、それは通貨を上方に再定義する働きをしているってことになるか。

市場価格に従属しない支出の例…

おっと英語をよく見ていませんでした

「より多くを支払う」というのを「売れ残ったそれを買う」ようなことかなと解釈してしまったのだけれども、そうではなくて the thing に高値を付けるということでしたね。

ここで一晩寝る

今朝は

redefining its currency downward
という特徴的な表現のことを考えていました。
revaluing でも同じことを言えそうである。
devaluing なら、downward  は要らなくなるか。

”every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.”
「ある同じモノに対して政府がより多く支払うたびに、政府は通貨を下方に再定義しているのである」 

ジョブギャランティはどうだろう。
それまで失業状態だった(その労働への支払いはゼロだった)人の労働に「より多く支払う」のだから、それは通貨の下方再定義ということになりますね。

ジョブギャランティがある世界のことを考えるのはとても意義があることだと思う。
その労賃を動かすことは、他の全商品の価格を動かすということだから影響は甚大です。だからそう簡単には動かせません。

しかし金利は、それに比べれば、はるかに気軽に動かされている。

もしも金利がタームストラクチャ(この図で表される角度)の表現であるならば、全商品は時間の経過に従って価格が変っていなければなりません。

これは政府支出「every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.」とは対照的で、取引ごとにでなく、一斉に再定義し続けるという形をしている。
途方もないことに思えます。 

取引がなくても価格が変るのだから!

価格は動かない、でも、金利は支払われるとはどういうことだろう。
それは純粋に、貯蓄を持っているエンティティへの、持っている量に比例したベーシックインカムとなるだけだ。

ここで価格設定能力というものを考えると、それは、新しく自らが発行するIOUを受け取らせる能力と、すでに持っている他者のIOUを受け取らせる能力の二つを合わせたものですね。 

だから、タームストラクチャに従って価格が常に動いているわけではない現実世界においては、金利は「持てる者」の価格設定能力をさらに引き上げる働きをするものになる。

かくして通貨価値、とか、インフレーションっていったい何だろうね?となる。

政府が持っている価格再設定能力を放棄しつつ、それどころか持てる者の価格再設定能力を日々刻々とわざわざ強めている世界で「価格の変化」を測定し、それを自然現象を扱う物理学のように所与のデータとして扱うとは?

というわけで、これはかつて物理学が直面した観測問題とかなり似ていると思う。

対話21:生存権とMMT?

お久しぶりです。

この話が回ってきてsorataさんと某所で短い会話をしました。

労働の対価はJGでそこを設定するとして、生存権に基づく保証にたいする対価ってMMTerのあいだで議論されてませんよね

うーん、どうだろ

>生存権の保証

(年齢や障害などで)働くことができない人、働く意思のない人に対して、JG賃金を下回る額で支給は必要ですよね?
その場合、支給は物価水準にどう影響するか?
が疑問なのです
果たしてそれはBIと区別がつくのか?

それがMMTerのあいだで議論されていないとは言えない、という立場をとってみます。

たとえば Levi の試算などでも healthcare や childcare はいつも含まれています。そうした社会保障について、彼らはむしろしょっちゅう語っているようにぼくには見えるんですよ。

あとはこうしたソーシャルケアの設計にかかっている。

ソーシャルケアを考えるということは、実は基本的生存権を考えるということと同じことのように思われてきます。

この金額はJG賃金を下回る必要はなくて、それはたとえば重い障害のある人の生活を考えるとすぐにわかると思います。そういう子供とか。

自分としてはスッキリしましたがどうでしょう(笑

働く気がない人はどうでしょう?

場合分けした方がいい…かな
上の、何もしなくても年収7000万円やその家族は放っておいて。

たとえばヤマギシズムのように社会と交わらずに自給自足したい集団もありえますね(労働はしています)。あと放浪の禅僧とか、そういう人を除くと問題は誰かが困っているときですね

困っていて、自分または周囲の人によって社会的包摂が必要とみなされる人で、働きたくない人はソーシャルケアの対象になると思います。 

すぐに思い浮かぶのは自閉症のひとたち。

自閉症に代表される発達障害者の就労支援をやっている人たちがいるのだけど、JGPってこれだよなって思うんですよね。

こういうの
https://tasuc.com/service/tryfull_lwc/

おまけの一言

 なんかJGPというものを変に批判したり、わざわざそれをMMTから切り離そうとして独自路線を突っ走ろうとする人たち、いるじゃないですか。

 彼らが現実の社会保障をまじめに考えているとはわたくしには見えない。上と重複するけれど、 政府に財政制約がないならば、ソーシャルケアを考えるということは、実は基本的生存権を考えるということと同じこと であり、反対に、基本的生存権を考えるということは、とりもなおさず基本的就労条件と社会保障の組み合わせを考えるしかないじゃん?

対話20:商品は「感覚的に超感覚的な事物」である(マルクス)

「歴史は本質的に精神の歴史であるが,これは《時間のなかで》経過していくものである。したがって,「歴史の発展は時間のなかへ落ちる」ということになる。けれども,ヘーゲルは精神の内時性をひとつの既成事実として指摘することで満足せず,精神が「非感性的な感性的なもの」として時間のなかへ落ちるということがどうして可能であるのかを理解しようと努めている」(ハイデッガー『存在と時間 下』ちくま学芸文庫,S. 428,邦訳409ページ)

「人間が自分の活動によって自然素材の形態を人間にとって有用な仕方で変化させるということは,わかりきったことである。たとえば,材木で机をつくれば,材木の形は変えられる。それにもかかわらず,机はやはり材木であり,ありふれた感覚的なものである。ところが,机が商品として現われるやいなや,それは一つの感覚的であると同時に超感覚的であるものになってしまうのである」(マルクス『資本論』第一巻,S. 85)

ein sinnlich ubersinnliches Ding

ん?

ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと)

ein sinnlich ubersinnliches Ding (資本論 S. 85)

これ「一つの感覚的であると同時に超感覚的であるもの」 なのだろうか

Es ist sinnenklar, daß der Mensch durch seine Tätigkeit die Formen der Naturstoffe in einer ihm nützliche Weise verändert. Die Form des Holzes z.B. wird verändert, wenn man aus ihm einen Tisch macht. Nichtsdestoweniger bleibt der Tisch Holz, ein ordinäres sinnliches Ding. Aber sobald er als Ware auftritt, verwandelt er sich in ein sinnlich übersinnliches Ding. Er steht nicht nur mit seinen Füßen auf dem Boden, sondern er stellt sich allen andren Waren gegenüber auf den Kopf und entwickelt aus seinem Holzkopf Grillen, viel wunderlicher, als wenn er aus freien Stücken zu tanzen begänne.

形容詞の語尾に注目。
この翻訳は sinnlich と ubersinnlich がどちらも Ding(もの)を修飾する形容詞であるかのように扱っている。

けど、それば文法的におかしくて、たとえば直前の ein ordinäres sinnliches Ding というところだと、ordinäres (ありふれた)と sinnliches (感覚的な)の二つはどちらも語尾が -es になっていてこの二つは形容詞で Ding を修飾しているということがわかる。

でも、 ein sinnlich ubersinnliches Ding の sinnlich は sinnliches になっていないから形容詞じゃなくて ubersinnliches にかかる副詞。

「かたちが変化しても材木はなお材木であって,「ごくふつうの感覚的事物」なのだ。それでも,おなじ机が商品として登場するや,それはすぐさま「感覚的に超感覚的な事物 ein sinnlich ubersinnliches Ding」となる」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,63ページ)

❤️

引用部冒頭の Es ist sinnenklar 、も「わかりきったことである」で間違いではないけれど sinnnen – klar 、「感覚的に明らかである」です。

「マルクスはここで商品とは「感覚的であるとともに超感覚的である」ものとも,「感覚的であるにもかからわらず超感覚的である」ものとも語っていない。「感覚的に超感覚的 sensible insensible, sensiblement suprasensible」と語っているのだ。この間の消息にデリダが注目するのは,やはり,それなりの読解であると言うべきだろう(デリダ,二〇〇七年,三一三頁)」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,71ページ)

❤️
デリダはドイツ語版を読んでいないか、母語ではないから気づかなかったかな

フランス語版を読んでいる可能性が高い?

フランス語版を読んでいることは確実

デリダ『マルクスの亡霊たち』藤原書店

とのこと

その翻訳は面白かったけど、今度は自分がデリダの原文を読めないので(笑

フランス語は学部時代に一年だけ触れたのみである私…

あ、まちがえた、デリダはちゃんと読めている(はずかしい)

上の、この個所の出展は何ですか?
「訳者」とは?

”ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと) ”

存在と時間,ちくま学芸文庫,細谷貞雄訳

ということはヘーゲルにもこの表現があるのか!

この注2の箇所です

その訳者注

ハイデガーが引用元を示していて,そこを訳者が探しに行ったら該当箇所が見つからないというのですが…

Die Geschichte, die wesenhaft solche des Geistes ist, verläuft »in der Zeit«. Also »fällt die Entwicklung der Geschichte in die Zeit«1. Hegel begnügt sich aber nicht damit, die Innerzeitigkeit des Geistes als ein Faktum hinzustellen, sondern er sucht die Möglichkeit dessen zu verstehen, daß der Geist in die Zeit fällt, die »das unsinnliche Sinnliche«2 ist.

1 Hegel, Die Vernunft in der Geschichte. Einleitung in die Philosophie der Weltgeschichte. Herausg. v. G. Lasson, 1917, S. 133.
2 a. a. O.

存在と時間の原著から引用

a. a. O.
am angegebenen Ort

注1と同じ個所と言う意味だから…

>Die Zeit ist wie der Raum eine reine Form der Sinnlichkeit oder des Anschauens, das unsinnliche Sinnliche, – aber wie diesen, so geht auch die Zeit der Unterschied der Objektivität und eines gegen dieselbe subjektiven Bewußtseins nichts an.

!!

das unsinnliche Sinnliche 、あるやん(笑

訳者の探し不足でしょうか

勘違いは時々ありますよね

そうですね

マルクスの ein sinnlich ubersinnliches Ding は意図的にひっくり返しているのか

僕もそう感じました

ハイデガーと熊野純彦を通じて,ヘーゲルとマルクスの対応を知る★

資本論を初期マルクスや後期マルクスとの整合性を取りながら読むのもいいけれど、そうした背景は背景ととしておいても「作品」資本論は突出しているのだから丁寧に読みたい。

とりわけ出だしは。

「ともあれマルクスも,著作の冒頭部分に神経をつかう著述家でした。あるいはマルクスこそとりわけそうだったと言っておいてもよいでしょう」(熊野純彦『マルクス資本論の哲学』岩波新書,4ページ)

「それにもかかわらず、机はやはり材木であり、ありふれた感性的なものである。ところが机が商品として現れるやいなや、それは感性的で超感性的なものになってしまうのである。」
—『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想 (角川選書)』佐々木 隆治著

「(マルクスは)商品を「一つの感性的・超感性的な事物」 ein sinnlich ubersinnliches Ding と呼んでいる」
—『資本論の哲学(平凡社)』廣松渉著

うーん

対話19:モデル、翻訳、資本論のヘラクレイトス

”人間はたしかに思考する動物であり、人間にとっては生きるとは食べることと共に思考することなのである”

”「表現する」などとは思い上った絵空事にすぎない”

”論理学もそうであるが学というものは元々持って廻るのが仕事なのである”

大森荘蔵著「思考と論理」ちくま学芸文庫

さて、ここである。

注65「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。)この箇所へのラサールの注,二二四ページの注三は,貨幣を,まちがって,単なる価値章標だとしている

マルクス『資本論』第一巻,S. 120

ドイツ語原本

ヘッドホンが見つけてくれた、そのラッサールの本、224ページの注3

さらにこの次のページまでまたがるこの長ーい注記3は、たしかにマルクスの言う通り、貨幣を価値標章としてみている。
ただ、この注は何に対する注かというと。。。
(翻訳は deeplにて)

Dinge gegen Gold und des Goldes gegen die Dinge mit dem Umtausdy dieser in Feuer und des Feuers in diese vergleidyen , da ihm ja das Feuer – und es ist für das Vorliegende gleichgültig , ob als stoffliches Element , oder audy als dieses nur , weil es ihm die reinste Darstellung des sich selbst aufhebenden Werdens war – das ideelle allen Elementen und Dingen zu Grunde liegende einheitliche Substrat war , so daß durd , die Umwandlung des Feuers — burd seine Bewegung , sich selbst aufhebend in die Wirklidykeit zu treten – alles sinnliche Dasein , die Welt der realen außereinander seienden Unterschiede , erzeugt wird und diese Viel heit der realen Untersd , iede beständig wieder in jene ideelle Einheit des Feuers wie in einen Saamen negativ zurüdgewandelt wird.
(というのも、彼にとって火は–物質的な要素としてか、あるいはこれだけとしてかは現在のところ無関心だが–、自己消滅する成り行きの最も純粋な表現であり、すべての要素やものの根底にある理想的な統一基質だったからである。というのは、火の変容によって、つまり自己相殺的に現実に入り込もうとするその運動によって、すべての感覚的存在、互いに離れて存在する現実の差異の世界が生み出され、この現実の差異の多重性は、種子に戻るように、絶えず火の理想的統一体に否定的に変容されるからである。)

注3の方はだからそれほど重要ではないとして(面白いけれど)、こちらの部分。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。

ちょいとややこしいのだけど、ここはプルタルコスがヘラクレイトスを論じている箇所についてラッサールがいろいろ論じているのです。

プルタルコスによるギリシャ語の部分

, ώς γαρ εκείνην φυλάττουσαν εκ μέν εαυτής τον κόσμον , εκ δε του κόσμου πάλιν αυ εαυτήν αποτελεϊν , πυρός τ ‘ ανταμείβεσθαι πάντα , φησίν ο Ηράκλειτος , και πύρ απάντων , ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός · ούτως ή της πεντάδος προς εαυτήν σύν οδος

この直前の箇所、ラッサールはこのプルタスコスのギリシャ語をドイツ語に翻訳している。

マルクスの引用は大月書店版ではこう。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」

資本論原本は、こう。

(65) “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

ところが! 原文には “Aus dem …” と言う文字はない!

意味としてはこの個所なのだろう。
”das Feuer aus Allem , gleich wie gegen Gold die Dinge und gegen die Dinge das Gold”

かなり違う。

だからここは「ヘラクレイトスはこう言った」というプルタルコスのギリシャ語のドイツ語への翻訳をマルクスが(ラッサールではなく)行ったということになる。

そうであれば、田上説のようにラッサールを腐したいだけ?と考える人も出てくる。

しかし、 “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

これ資本論のこの個所にあまりにもピッタリなのである。

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

金の財貨たち、そして財貨たちの金のように

ホスペル クルスー クレーマタ カイ クレーマトーン クルソス

あ、やはり!(今見つけた英語版の記述を見て

英語版だとギリシャ語の引用だ。

Güter は品物でいいかな。 金の品物、品物の金

クレーマタ、というのは必要とされるもの、という感じがありますね

商品の流通過程で、W(Ware、商品)は必ずG(Geld、貨幣)の形態をとる。 Wのまま持ち手が変わることは、ない。

左の人はW-Gとして手放し、右の人はG-Wとして受け取り、右の人がさらに手放すときはW-Gになる。

なるほど!

aus Gold Güter und aus Gütern Gold. この aus が大事やね。英語の from。

ギリシャ語原文の感じからするとなかなか aus とはドイツ語翻訳できないのではないかな。マルクスの表現だと思う。

”言ってみれば規則は連続的で境界が曖昧なアナログ型ではなく人為的に境界を明瞭に引いたディジタル型なのである。このきっぱり割り切れた規則に従う時に我々は有無をいわせぬ「必然性」を感じるのである‴
大森荘蔵

しなければならない、と、違いない、に区別を設けた日本語

それらを区別する必要を感じない英語圏must

「ルールに従う」(ジョゼフ・ヒース)

あれは規則に従うことが人類の基本性質なのだという話だったとおもうけど大森の方がいいなあ

ヒースってそもそも何者です?

むつかしい質問

『ルールに従う』を翻訳された瀧澤さんによる紹介
20世紀の人間科学・社会科学を再考するジョセフ・ヒース『ルールに従う』を訳して

ゲーム理論なんかとはとても相性がいいね。

○○さんがよくヒースの名前を上げているものでして★

最初に彼に関わったのは彼がブログに上げていたヒースの「翻訳」がめちゃくちゃだったからだった…

めちゃくちゃ、ですか

ある箇所の意味を取り違えると、その取り違えた意味でもって全体を独自に解釈しちゃう傾向が強くて。

ふむふむ

僕が翻訳するときは、どうも私の読んでいる物の多くが、一世代以上前の、かっちりとした日本語のもの、が多いせいか、日本語としての流暢さはあまり反映されてない、という自己認識を持っていますね

一文に百文字や二百文字くらいは当たり前に含まれるような日本語ですね。

ヘンな翻訳だったら噛みついていたと思うけど… と思ってMonopoly Moneyのやつを眺め直す

第一感として受動態を受動態で訳す不自然を感じないでもないかな

あと名詞を名詞、動詞を動詞に律儀に変換している。

そうですね

その律儀さも、翻訳する時の私の体力に応じて、緩むときがありますけれど

原文との対応は、しやすいという、文献学的な?翻訳かな、と思っています

The model … illuminates its option to act as an employer of last resort.

これを

「(そのモデルは),最後の雇い手として振る舞う政府の選択肢を明らかにする」

となさっているけれど、悩むところですね。
英語と日本語で語順が違うから…

モデルは明らかにする、政府の選択肢を。それは最後の雇い手としてふるまうという選択肢だ。

「最後の雇い手として振る舞うという、政府の選択肢を明らかにする」 かな

nyunさんの7つの嘘の翻訳は,直訳的ではない感じがしましたね

修士論文を書くときに,参考にさせてもらいました★

わたくし流なら 「政府が,最後の雇い手として振る舞う選択肢の存在を明らかにする」

原文のニュアンスを再現したいなら、こんなふうに変えるのが有効なことが多いのは確か。

なるほど

構造の再現ではなく,意味の再現というわけですか

その言い方はよく考えると不適切かもしれない。 語順を変えるとは、構造を変えることになってしまう?

内的な論理を再構築する、という感じになるのかなあ

「合成語や稀語を含めて、上に述べた種類の語のそれぞれを適切な仕方で用いるのは重要なことであるが、とりわけもっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。」
アリストテレス「詩学」

そこで粒子と矢印のモデル\(^o^)/

対話18:「内心のIOU」と貨幣の誕生0

前回の対話に先行する、ある日の対話

今日は長女が友達からヤモリをもらって、おかえしにドジョウをあげるという取引をしていました。

ほうほう どんな展開だったかわかりますか?

ちょうどいま、物物交換にもIOUが働いているよねという文を書こうと思っていまして

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対話17:「内心のIOU」と貨幣の誕生

どう思われますかね?助言をば。

ひとめ「ツリーが長い!」と思いました(笑

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対話16:ゲーテ、ハイゼンベルグ、パラドックス

ゲーテを最初から読むなら、どんな順番から読めばいいでしょうか?

これはむつかしい。
あえて色彩論!

小説なら、ファウストかなあ

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貯蓄運用こそが産出を奪う(モズラー)

 ゲリラ翻訳サイト「道草」が見えなくなってしまったのを契機にモズラーの The 7 Deadly Innocent Frauds of Economic Policy(命取りに無邪気な嘘)から、その六番目をここにあらためて訳出します。

 みんなが貯蓄しようとすると消費が落ち込む(だから消費を奨励!)というのが主流経済学の所謂「倹約のパラドックス」ですが、いやいやいやいや貯蓄はそれ自体投資の結果であり、さらに、それを運用すること自体が肝心の産出を台無しにしているじゃないかという深い話です。

 日本の社会保障制度がいったい何をやっいるかを根本的に考える機会に。

 以前の翻訳時は訳者の理解がすごく甘かったのですが今回は格段に良くなっているはず。


Deadly Innocent Fraud #6:

 We need savings to provide the funds for investment.

Fact:

Investment adds to savings


命取りに無邪気な嘘 #6:

 投資に先立って貯蓄しなければならない

事実:

投資が貯蓄を生み出す


 Second to last but not the least, this innocent fraud undermines our entire economy, as it diverts real resources away from the real sectors to the financial sector, with results in real investment being directed in a manner totally divorced from public purpose. In fact, it’s my guess that this deadly innocent fraud might be draining over 20% annually from useful output and employment – a staggering statistic, unmatched in human history. And it directly leads the type of financial crisis we’ve been going through.

 嘘は残すところあと二つとなったが、これは大事だ。この嘘がこの経済全体を蝕んでいるために、実物資源が実業界から金融部門に流用され、実物投資は公共の目的からかけ離れたものになってしまっているからだ。私の見立てでは、この嘘のせいで有用な産出と雇用から20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない驚異的な規模だ。そしてまた、いま経験中の金融危機を直接導いたものは、これなのだ。

It begins with what’s called “the paradox of thrift” in the economics textbooks, which goes something like this: In our economy, spending must equal all income, including profits, for the output of the economy to get sold. (Think about that for a moment to make sure you’ve got it before moving on.) If anyone attempts to save by spending less than his income, at least one other person must make up for that by spending more than his own income, or else the output of the economy won’t get sold.

 経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は、必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。もし誰かが消費を所得以下に抑えるならば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、必然的に産出物に売り残りが生じることになる。

Unsold output means excess inventories, and the low sales means production and employment cuts, and thus less total income. And that shortfall of income is equal to the amount not spent by the person trying to save. Think of it as the person who’s trying to save (by not spending his income) losing his job, and then not getting any income, because his employer can’t sell all the output.

 売れ残った産出物とは在庫の超過分であり、売上が低い分は産出と雇用のカットであり、従って総所得の減少だ。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。こう考えてみよう。貯蓄しようとする人は(収入以下の支出しかしないようにすることにいよって)失業し、 貯蓄しようとする人は(収入を使わないことで)職を失い、雇用主は生産物をすべて売ることができない分の収入を得ない。

 So the paradox is, “decisions to save by not spending income result in less income and no new net savings.” Likewise, decisions to spend more than one’s income by going into debt cause incomes to rise and can drive real investment and savings. Consider this extreme example to make the point. Suppose everyone ordered a new pluggable hybrid car from our domestic auto industry. Because the industry can’t currently produce that many cars, they would hire us, and borrow to pay us to first build the new factories to meet the new demand. That means we’d all be working on new plants and equipment – capital goods – and getting paid. But there would not yet be anything to buy, so we would necessarily be “saving” our money for the day the new cars roll off the new assembly lines. The decision to spend on new cars in this case results in less spending and more savings. And funds spent on the production of the capital goods, which constitute real investment, leads to an equal amount of savings.
I like to say it this way: “Savings is the accounting record of investment.”

 だからこのパラドックスは本当はこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようと決めると収入は減少し新たな純貯蓄は生まれない」。反対に、借金をして収入以上に支出しようと決めると収入が増え実物投資と貯蓄が促進される。極端な例で考えてみよう。国民全員が国内自動車業界に新型ハイブリッドカーを注文したとする。自動車業界も、突然それほど多くの車を製造することはできないので、私たちを雇用し、新しい需要を満たすべく、まず新工場を建てるための借金をする。つまり私たちは皆、新しい工場と設備(これらは資本財だ)で働き、所得を得ることになる。しかしまだ世界には買いたい車が存在していないので、新車が組み立てラインから出てくるまでは、得たお金を「貯蓄」しておかなければならない。新車を買おうと決めた結果、支出を減らし貯蓄を増やしている。そして実物投資である資本財の生産に使われる資金も、同額の貯蓄ということになる。これを「貯蓄は、投資の会計的記録である」と表現するのが気に入っている。

Professor Basil Moore

バシル・ムーア教授

I had this discussion with a Professor Basil Moore in 1996 at a conference in New Hampshire, and he asked if he could use that expression in a book he wanted to write. I’m pleased to report the book with that name has been published and I’ve heard it’s a good read. (I’m waiting for my autographed copy.)

1996年、ニューハンプシャーのカンファレンスでバシル・ムーア教授とこの話をしたところ教授は、こんど書こうと思っている本でこの表現を使っていいかとお聞きになった。その名前の本は出版され、聞いた話では面白いそうだ。(サイン入りコピーを待っているのだが)

Unfortunately, Congress, the media and mainstream economists get this all wrong, and somehow conclude that we need more savings so that there will be funding for investment. What seems to make perfect sense at the micro level is again totally wrong at the macro level. Just as loans create deposits in the banking system, it is investment that creates savings.

残念ながら、議会やメディア、主流の経済学者はこの点を完全に誤解しており、なぜか投資のための資金を確保するために貯蓄を増やす必要があると結論づけている。ミクロの世界では完璧に理にかなっているように見えることでも マクロで見るとまた全然違う。ちょうど銀行システムにおいて融資が預金を生み出すのと同じように、投資が貯蓄を生み出すのだ。

So what do our leaders do in their infinite wisdom when investment falls, usually, because of low spending? They invariably decide “we need more savings so there will be more money for investment.” (And I’ve never heard a single objection from any mainstream economist.) To accomplish this Congress uses the tax structure to create tax-advantaged savings incentives, such as pension funds, IRA’s and all sorts of tax-advantaged institutions that accumulate reserves on a tax deferred basis. Predictably, all that these incentives do is remove aggregate demand (spending power). They function to keep us from spending our money to buy our output, which slows the economy and introduces the need for private sector credit expansion and public sector deficit spending just to get us back to even.

では無限の知恵を持っている我らの指導者たちは、消費の低迷で投資が落ち込むときにどうしているだろう。ぜったいこう決意する。「我々はもっと貯蓄しなければならない。そうすれば投資のためのお金が増えるだろう。」(私は主流経済学者たちがこれに異論を唱えるのを一度も聞いたことがない)。議会はこれを実現するために税構造を変え、貯蓄が有利になるようなインセンティブ設計をする。年金基金やIRAその他の税優遇機関が、税を繰り延べたい資金を積み上げ易くなるようにする。そうなれば簡単に予想できるように、そのインセンティブは総需要(購買力)を除去する方向に働く。つまり、われわれ自身が生産するものを購買するためにお金を使わないようにする機能を果たす。その結果経済が減速し、民間部門の信用債務が拡大し、公的部門は単に均衡を補うためだけの赤字財政支出を余儀なくされることになる。 

This is why the seemingly-enormous deficits turn out not to be as inflationary as they might otherwise be.

一見すると巨額の赤字が、そうでない場合と同程度のインフレしか齎さない理由はこれだった。

In fact it’s the Congressionally-engineered tax incentives to reduce our spending (called “demand leakages”) that cut deeply into our spending power, meaning that the government needs to run higher deficits to keep us at full employment. Ironically, it’s the same Congressmen pushing the tax-advantaged savings programs, thinking we need more savings to have money for investment, that are categorically opposed to federal deficit spending.

実際、われわれの支出を減らす(「需要漏出」と言われる)税制インセンティブ構造を議会が作り上げていることこそが、私たちの支出力を奪う当のもの、つまり、完全雇用を維持するための財政赤字水準を引き上げている当のものなのだ。皮肉なことに、税制を優遇し貯蓄プログラムを推進したい議員たち自身が、投資のために貯蓄が必要だと考えて財政赤字に断固反対するのである。

And, of course, it gets even worse! The massive pools of funds (created by this deadly innocent fraud #6, that savings are needed for investment) also need to be managed for the further purpose of compounding the monetary savings for the beneficiaries of the future. The problem is that, in addition to requiring higher federal deficits, the trillions of dollars compounding in these funds are the support base of the dreaded financial sector. They employ thousands of pension fund managers whipping around vast sums of dollars, which are largely subject to government regulation. For the most part, that means investing in publicly-traded stocks, rated bonds and some diversification to other strategies such as hedge funds and passive commodity strategies. And, feeding on these “bloated whales,” are the inevitable sharks – the thousands of financial professionals in the brokerage, banking and financial management industries who owe their existence to this 6th deadly innocent fraud.

そしてもっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この嘘6で誕生したプールで「その貯蓄は投資されなければならない」)は将来の受益者のために管理され複利運用される必要がある。問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何兆ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になっている。金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇用していて、大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。そして、これら「肥大化したクジラ」をエサに生きるのが、当然現れるサメたち – この第6の嘘によってその存在を負っている証券会社、銀行、金融管理業界の何千人もの金融専門家たちなのだ。