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モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑥MMTのミクロ的基礎(その3)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第六回。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly (ここ)
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

前回シリーズ5では、 III. The Source of the Price Level の最後のところが宿題になった感じワンね。意味が取りにくい。

ここはわかってしまえば別にむつかしくないのですが、ここ、ほとんどの人が意味を取りそこなうと思います。
今までの先入観から自由になって素直に解釈することがまずできないからです。

(さらに…)

対話13「saving desire(貯蓄欲求)は政府行動の関数だ」ヘッドホン

>(元々は,前回の記事に続いて「101」その2?を書くつもりでいて,しかも書く内容としては限定を加えてはいなかったものの,例えば「機能的財政」(Functional Finance)という話を「関数(函数)」(function)の話と結びつけて書いてみようなどと思っていた。)

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑤MMTのミクロ的基礎(その2)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの五回目。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly (ここ)
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

シリーズ② Introductionシリーズ③で I. The MMT Money Story を読み、シリーズ④では
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly
のところのタイトルの「モノポリー」を説明し、それからすこし先走って独特な「price level」観というかそのイメージを提示しました。

これワンね

あらゆる商品が含まれる 「price level」 のイメージ
(さらに…)

対話12 「納税にしか使えない通貨を発行して納税しないと追い出されるという仕組み」ですって?

えっとー、タックスドリブンマネーの話は、JGと結びつけないと、価格の安定性に繋がらない

レイは、タックスドリブンマネーの考えはクナップやイネスにあったけれど、彼らには通貨の価格の安定性に関する議論が欠けていて、そこを最後の雇い手などの、緩衝在庫アプローチが補っている、と考えるわけです。

そういう思考はカントにすらあったわけよね

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する④MMTのミクロ的基礎(その1)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの四回目。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly (ここ)
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

シリーズ② Introductionシリーズ③I. The MMT Money Story を読みました。
今回はこの部分。

II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly
II. MMTのミクロな基礎-公的独占としての通貨

この節は六つのパラグラフがあるので順を追って読みますがまずはタイトルから

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する③MMTの貨幣論

の続きです。

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読していきましょうというわけですが、次のような構成になっています。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story (ここ)
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

いよいよ本文の精読に入ります。今回は I. The MMT Money Story のところを。

まず The MMT Money Story というタイトルですが、story を「物語」とするよりも、これこそ「論」というべきだと思いました。
というのは、円やドルのような「国定通貨」というものは、税制度と財政支出が一体となって運用されるシステムにおいて観測されるものだという把握をするからです。

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する② イントロダクション

前回に続き、この文章を頭から精読していきましょう。

https://docs.google.com/document/d/1RXiqZU0aT6i1xOqwTmNw-Y0h0H4FMuElTjc-A0GqlUw/edit

今回はイントロダクションの部分です。DeepLによる機械翻訳をぶら下げています。

きっかけ
Introduction (ここ)
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

Introduction

The purpose of this chapter is to present a framework for the analysis of the price level and inflation. MMT (Modern Monetary Theory) is currently the only school of economic thought that, in direct contrast to other schools of thought, specifically identifies and models both the source of the price level and the dynamics behind changes in the price level with MMT offering a unique understanding of inflation as academically defined as part of its general framework for analysis that applies to all currency regimes.
本章の目的は、物価水準とインフレの分析の枠組みを提示することである。MMT(現代通貨理論)は、他の学派とは対照的に、物価水準の源泉と物価水準の変化の背後にある力学の両方を具体的に特定しモデル化した、現在唯一の経済思想である。MMTは、すべての通貨体制に適用されるその分析のための一般的枠組みの一部として、学問的に定義したインフレに関する独自の理解を提供している。

I was asked to do a chapter on ‘inflation’ under the textbook definition which is ‘a continuous increase in the price level.’ However, under close examination this turns out to be elusive at best. At any point in time the price level is presumably both static and quantitatively undefinable. That’s why even the most sophisticated central bank research uses abstractions, the most familiar being the Consumer Price Index (CPI) which consists of selected goods and services designed to reflect a cost of living rather than ‘the price level.’ Nor can central banks determine a continuous rate of change of this abstraction. They can only tell you how the CPI has changed in the past, and they can attempt to forecast future changes. Even worse, they assume the source of the price level to be entirely historic, derived from an infinite regression into the past that, in theory, predates the birth of the universe.   
私は、「物価水準の継続的な上昇」という教科書的な定義の下で、「インフレ」の章を担当するよう依頼されました。しかし、よくよく調べてみると、これはよくてもつかみどころのないものであることがわかった。どの時点でも、物価水準は静的であり、定量的に定義できない。そのため、最も洗練された中央銀行の研究であっても、抽象的な表現を使っている。最も身近なものは消費者物価指数(CPI)で、これは「物価水準」ではなく、生活費を反映するように設計された特定の財やサービスから構成されている。また、中央銀行はこの抽象的な指数の連続的な変化率を決定することはできません。中央銀行ができるのは、CPIが過去にどのように変化したかを伝えることと、将来の変化を予測することだけである。さらに悪いことに、中央銀行は物価水準の源泉を、理論的には宇宙誕生以前の過去への無限後退に由来する、完全に歴史的なものであると想定しているのである。

うん、前回 I. The MMT Money Story を予習しておいてよかったかもですね

機械翻訳の日本語はこなれていないけれど、まあいいかな? 
ほかの経済学とは違うんですよ、というところはやはり資本論に似ていますね。

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する①

総目次

きっかけ(ここ)
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

きっかけは…

わーい(*^▽^*)
今日の勤務が終わったら、明日あさっては休みなので、読んでみます!

DeepLに通してサラッと読みました。
確かにこれはマルクスの前に確認すべき議論ですね。

どう感じたか、そのへんをもうちょっとくわしく?

貨幣価値と実物価値を結びつける議論だと感じたので

翌日

ここに機械翻訳(DeepL)を併記したものを置きました。

https://docs.google.com/document/d/1RXiqZU0aT6i1xOqwTmNw-Y0h0H4FMuElTjc-A0GqlUw/edit

”私はこれまでの著書で、プラス金利政策を「すでにお金を持っている人のためのベーシックインカム」と呼んできたが、そのように述べたところで、政治的な支持は全く得られない。”
このすでにお金を持っている人の為のベーシックインカムという言い回しは最近もモズラーさんがツイッターでおっしゃってましたね。

これに出てくるthe tax credits税額控除ってなんのことなんですか?

税額分供給される通貨、みたいなニュアンスですかね? 

イントロからじっくり読んでいきたいのだけど、まずは the tax credits から考えてみましょうか

イントロにつづく、I. The MMT Money Story という項は全体の話の前提条件なわけですが、シンプルなこれ

 1.Imposition of coercive tax liabilities
 2.State spending 
 3.Payment of taxes and purchase of state securities

これが骨格で、それをもう一度(agein)別の言葉で肉付けした説明をしちるわけですね(1~5)。

the tax credits という言葉は、肉付けした方の1と2で提示されています。

機械翻訳はこうなっている。
「税金の負債は、設計上、商品やサービスの売り手を生み出し、それと引き換えに適切な税額控除を求めますが、後者は定義上、失業者なのです。」

さて、シンプルバージョンの1~3は、肉付けバージョンの1~5の対応は後者の番号に´を付けて表記するとこういうことになりますか。

  1 が1´~2´
 2が3´
 3が4´~5´

ということで the tax credits という語は1の「強制的な税負担の賦課( Imposition of coercive tax liabilities )」とはどういうことか、の説明の中でまず現れます。

なるほど

1’「impose(課している)」のは誰に対してかと言えば、people (人々)ですがそれは明らかなので省略されています。
The state imposes tax liabilities (on the people) with penalties for non-payment.
と読むしかない。

続くここですが
The tax credits required for the payment of taxes are units of the state’s currency

(これ、tax だけでも意味は通るところですが)まずは語源から考えて、 credit はラテン語の「信じる」という意味の動詞 credere だから「税の信用」と解釈してみましょう。

「税の信用」了解です!

うーん

The teacher imposed a homework on the students.
先生は生徒たちに宿題を課した

このとき homeword credits とは何でしょうね?

宿題の信用??

この credits が 要請している(require している)条件とは何でしょうか?

宿題をすること?

学生に宿題をさせること

そして先生は後日証拠を求めますよね、たいていの場合(笑)

図工の宿題だったら絵とか造形物とか、国語や社会だったら文字で書かれたオブジェクトを制作することが要請されますよね。条件になっている、というか。

なんか分かったかも。税金をちゃんと払いましたよっていう証拠ですか??ちゃんと払ったからもう払わなくていい証拠みたいな。

そして当たり前なんですが、先生に証拠を示すことまでが宿題と言う制度の条件になっていますよね。

なるほど

同じように the tax credits が要請する(条件にしている)のは the payment of taxes 、税の「支払い」であり、それがその国の通貨建てであることであると。  

だから the tax credits は「(政府によって)税を課されている状態」のように解するといいだろう、というのが一つ。

もう一つは、簿記で貸方(あるいは貸方に書く)が credit 、借方(あるいは借方に書く)が debit なわけですが、この credit の意味ともシームレスにつながるんですよね。

人々はそのバランスシートの貸方(BSの右側つまり負債側)に「税債務」をいきなり書き込まれてしまうわけです。

調べてみました

では2’を見てみましょう

2. The tax liabilities, by design, create sellers of goods and services seeking the appropriate tax credits in exchange,

in exchange にも注目です。
「税を課されている状態」を解消しないと罰を受ける(1’)ので、それを避けるため、商品かサービスを売って、それらと交換にこの状態を解消するためのものを得ようとする。

そうすると、tax credits=税を課されている状態を解消するもの、罰を受けずに済むもの

罰を与えてますね

これがMMTの「基本モデル」になっているわけです。

通貨を作ってもまだモデルは動かない。税を課した上で、その通貨で支出することがモデルの始まりであると。

名刺バージョンもありますよね。これはクーポンバージョンですね。

いわばモズラーは「『通貨制度が動いている』とは1から3、あるいは1’から5’という意味ですね」と言っているわけ。分析哲学であり、資本論のマルクスにとても近いと思いますね。

なるほど~

”しかし経済学的な形態の分析には、顕微鏡も化学の試薬も役立たない。その代わりに抽象の能力を活用しなければならない。ブルジョア社会において経済的な細胞形態となるのは、労働生産物の商品形態あるいは商品の価値形態である。この学問に馴染みのない読者には、こうした分析がつまらない詮索にみえるかもしれない。たしかにこの分析はつまらない詮索ではある。しかし顕微鏡を使った解剖学がつまらない詮索にみえるとすればのことである。”(資本論第一版への序文)

マルクスが資本論でやったことも商品の”分析”から始まりますので、そういう意味でなるほどと思いました。

そうですね!

(*^▽^*)

そのへんでいろいろ書きたいことはあるのですが(「モデル」って何だろうとか)それは置いておいて、せっかくなので credit あるいはラテン語の credere と「借りる」「貸す」について少し分析してみようと思います。

上の宿題の例で、宿題という制度というのは成果物の制作が条件になっていましたが、信用にも同じような条件があると思うんですよね。

成果物がないなら宿題をやったとはみなされないように、何らかのブツが介在しない「信用」というものも考えにくい。

たとえば「AさんはBさんに傘を借りている(=BさんはAさんに傘を貸している)」という事態は、「BさんはAさんを信用している(AさんはBさんに信用されている)」を含んでいるし、それを返却したらその状態(信用している/されている)はとりあえず終わる、みたいな。

確かに、ちゃんと返してくれると信用するから貸すことができますものね。

返さなくてもいいなら贈与になりますし。

銀行の貸出も、利子コミコミの「返済」を期待して貸し手が借り手にクレジットする(預金を借手のの借方に記帳(debit)し、貸方に負債を記帳(credit)する)わけです。
これを credit creation、信用創造と言ってもべつにいいでしょう。でもジャパンの某界隈でよくある表現、「信用創造とは銀行貸出で預金が創造されるという意味である」みたいなよくある言い方はつまらないし、ただの言い換えじゃんって思うんですよね。何の意味があるのかさっぱりわからない。
そういうものの考え方ではMMTやマルクスはまるっきりわからないと思います。

銀行の貸し出しだけじゃなくて、信用創造は日常を観察すれば人に物を貸すときにだって起こっているし、特別なことではないということですか?

そう思いますし(傘を貸す、とか)そういう言葉を使いたいなら別にいいけれど、いったいなんで使っているの?という感じです。

そんなふうに独自の用法を定義したりする前に、その言葉がどのように使われているかの分析が先でないと議論が宙に浮くのではないでしょうか。マルクスが言ったように知識に先立つ知識が欠けている。

ちょっとケルトンの The Deficit Myth からも一つ。
borrowing という言葉が引用符で囲まれて ”borrowing” になっています。

よく「政府の “borrowing(借入)”」 っていうけれど、それってドルと債券の両替のことですよね、みたいな。

これは言葉の定義ではなく、実際に使われている言葉の分析なわけですよ。

bond(国債):利付の債権、USドル:利なしの債権
の交換

この挿絵は分かりやすいですね

某月某日雑談

私の見るところ, 数学的形式に対するスピノザの迷信は, 既に一つの眼眩ましであり, きわめて非哲学的なまやかし(幻想)です. 十五の定義と公理とを探求すると, エチカの第一部全体はひっくり返ってしまいます. そのような撒き砂は, どんな建物も, 紙づくりの建物ですら支えられません
(1785年10月28日付けのヤコービ宛書簡…ハーマン)

数学の確実性の全体は, その言葉, またその記述の本性に依存しています. しかしながら全ての証明において不可欠なことは, 物理的には不可能な形而上学的点, 線, 平面の詩的恣意について考えることです
(1785年2月11日付のシェフナー宛書簡…ハーマン)

数学に達するには, 神の顕現を待つしかない
(ノヴァーリス)

「数学は偏見を取り除くことはできない. 我執をおさえることも, 党派心をなだめることもできない. 数学には道徳的なことはいっさい何もできない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳299ページ)

「数学だけが確実なものだという話を聞くが, 数学は他のどの知識や行為よりも確実だというわけではない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳297ページ)

「数学は罪状の立証, 有罪の認定を目ざすものであるから, すぐれた頭脳は数学をおもしろく思わない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳300ページ)

おはよー

おはようございます(ノ´・ω・)ノ

おはようございます。 職場の人の家族に陽性者が出たらしく、検査に行ってきます ( ´・ω・`) 2年ぶり3回目

本人じゃなくて家族に陽性者って時点で、なのね

家族と濃厚接触者となってるスタッフとの濃厚接触者、らしいですわ。この検査で1度陽性反応出て、何もないまんまなんで信ぴょう性がイマイチですが。

上にある、数字に対するゲーテの言葉が滲みますね

ゲーテの時代から人って変わらないものなんだなぁ(´-ω-`)

ちょうどその頃から科学信仰が勃興し始めたんやね

これが面白くて

ハーマン→ヘルダー→ゲーテ

あ、「資本論をちゃんと読む」に初コメント\(^o^)/
引用

興味深い記事だと思いますが、一つ疑問があります。
それは石倉先生の「オリジナルの議論を、一貫したものと把握する」ということと、前の記事の石川先生の「マルクスを信用貨幣として読む」ことは真逆だということです。後者はマルクスの本意と離れて独自に解釈をしていると考えられます。
マルクスは信用貨幣についても述べていますが、1篇2章(岩波版だと第一巻165頁)に「金*は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」(*貨幣としている版もある)と述べており、マルクス自身が資本論の体系において、労働価値説(商品貨幣論)と信用貨幣論という矛盾を抱えていると考えます。
これを矛盾のないように解釈するには、結局オリジナルをものを再構成して解釈し直すしかないと考えます。

これは岩井克人「貨幣論」に書かれている話で、ぜひそちらもご覧いただければ面白いと思います。

http://deficitowl.starfree.jp/blog/nyun/kapital/?p=270#comment-4

第一巻のS. 106

まったくの間違い,半分の間違い,四分の一の間違いを正しく区別し,精査し,それぞれに対応する真実を示すのは,至難の業である
(ゲーテ)

池戸と藤巻と経世済民の騒ぎを見て、ウンザリした。

偽りには,それに関していつまでも無駄話ができるという利点がある。しかし,真実はすぐに役立てられなくてはならない。そうでないなら,そこに真実はない
(ゲーテ)

めっちゃ噛み合ってる(笑

ガミガミガミガミ★

銀河をまたにかけ始めたか★

こんなのもある

綴りがおかしい(笑

カワイイのにMTTだから使えない
ちび助君が喜びそうw

近日公開ー

ふむ

「金は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」

これを「労働価値説(商品貨幣論)」だ!というのは読者が勝手にやってくれていいのだけれど、それが「信用貨幣論」というのと矛盾するものであるという理屈はあるの? 「俺はそう思う」以外に

MMTerは別に誰もこれに反対しないと思うよね

Wie jede Ware kann das Geld seine eigne Wertgröße nur relativ in andren Waren ausdrücken. Sein eigner Wert ist bestimmt durch die zu seiner Produktion erheischte Arbeitszeit und drückt sich in dem Quantum jeder andren Ware aus, worin gleichviel Arbeitszeit geronnen ist.

なんだろうね、日本語空間の「信用貨幣論」信仰というか

マルクスも確かにKreditgeldという表現自体は使っていますけれど

MTT

逆におもろい

「以上に検討したように,『資本論』第1部でのマルクス貨幣論は,商品貨幣の前提に制約されながらも,貨幣を交換の媒介物としてしか見ない中立的貨幣観を克服して,一般的等価物としての社会的機能から生じる貨幣の形式的使用価値を含む枠組みに基づいて,商品の実現(「使用価値としての実現」と「価値としての実現」)としての販売(C-M)と「貨幣の使用価値の実現」としての購買(M-C)との非対称性を明らかにし,商品貨幣の貨幣的実現という独自の論点を提出した」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,89ページ)

「商品貨幣の前提に制約されながらも」これがわからないけれど,こないだ知った草稿で、マルクスの戦略が自分にはクリアになりました

と言いますと?

何かを説明するにはその対象を限定しなければいけないわけで「制約された」というより自ら限定したわけでしょ

「『資本論』第1部の貨幣論では,「金を貨幣商品として前提におく」と註記されているとはいえ,第3章第3節「貨幣」では,各種の信用貨幣(credit money; 銀行券,手形,小切手,等々)が計算貨幣と決算手段として用いられている現実の金融システムにも言及されている」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,85ページ)

なんでもいいんだよね、一般的等価形態を説明できれば。
その注記はどれだろう。

「簡単にするために,本書ではどこでも金を貨幣商品として前提する」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109)
Ich setze überall in dieser Schrift, der Vereinfachung halber, Gold als die Geldware voraus.

この論文では、簡単のために、金を貨幣商品として想定している。
deepl翻訳だとこうなるらしい

注記と言うか章の冒頭やね

なんでもいいのだから、何か一つに決めないと説明しようがないわけでねえ

Geldの分析はその前の節まで終わっているのよ。それを前提にここでGoldを選んだってわけ。

なるほど

GeldとGold…似た単語を使って継続性と断続性を同時に訴える

あはは

次の箇所は翻訳どうなってる?

「金の第一の機能は,商品世界にその価値表現の材料を提供すること,または,諸商品価値を同名の大きさ,すなわち質的に同じで量的に比較の可能な大きさとして表わすことにある。こうして,金は諸価値の一般的尺度として機能し,ただこの機能によってのみ,金という独自な等価物商品はまず貨幣になるのである。/諸商品は,貨幣によって通約可能になるのではない。逆である。すべての商品が価値としては対象化された人間労働であり,したがって,それら自体として通約可能だからこそ,すべての商品は,自分たちの価値を同じ独自な一商品で共同に計ることができるのであり,また,そうすることによって,この独自な一商品を自分たちの共通な価値尺度すなわち貨幣に転化させることができるのである。価値尺度としての貨幣は,諸商品の内在的な価値尺度の,すなわち労働時間の,必然的な現象形態である」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109, /は段落の変わり目)

どうもありがとう!

資本論の時代は紙幣の時代が始まったばかり、ということを考慮するべきなんでしょうね。

商品たちから一般的等価形態が脱皮してゴールドが代表に選ばれたのだけど、もう一度脱皮して紙幣になり、電子マネーになったわけだ。

そこまでちゃんと書けという方が無理な注文だよね。 意識に現れる記号であることが示せれば十分じゃないか。

「マルクスのみが例外的に時代の洗礼を逃れうるはずはない。どんなに優れた人物であっても,200年前に生まれたという時代の制約は免れない」
(田上孝一『マルクス哲学入門』社会評論社,10ページ)

だとしても、草稿に見え隠れする洞察の深さよ

資本論草稿…

「この日本のどこかには,知られていないだけで,国民生活の具体的な問題を解決しようと日々努力している人々がいる。「日本経済学」は,そういう人々の実践の中に必ず宿っていて,その命脈をまだ保っている。本書の主張が正しければ,そのはずである」
(中野剛志『日本経済学新論』ちくま新書,430ページ)

「国民経済学」

「なおあらかじめ,ヘーゲルが近代国民経済学の立場にたっている,ということだけは示しておこう。ヘーゲルは,労働を人間の本質として,自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで,その否定的な側面を見ない。労働は,人間が外化の内部で,つまり外化された人間として,対自的になること[Fursichwerden]である。ヘーゲルがそれだけを知り承認している労働というものは,抽象的に精神的な労働である」
(マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫,邦訳199-200ページ)

「質」と「量」をめぐって(パート2:MMTの「質的」議論)

 前回に引き続き英語の quality ドイツ語の Qualität という言葉と、現代日本語の「質」という言葉の意味の差異について考察しています。

 前回はマルクスの資本論にちょっとだけ触れたわけですが、今回この件を一度ちゃんと書いてみようと思ったきっかけはマルクス関係ではなく、ケルトンの最近のブログエントリでした。

 ローハン・グレイさんがゲスト参加しています。

 これがちょっと面白かったので、翻訳して経済学101にアップしようかなーと思ったのですね。しかし…

 ここでグレイのセリフの中に qualitative という言葉が出てきて、ワタクシそこで考えてしまったというわけ。

 ケルトンのエントリの内容は、あるバズっている Podcast 番組を題材にケルトンとローハンが楽しく一緒に論評を加えるという形です。

 番組のホストはジョン・スチュワートという人で『ザ・デイリー・ショー』という風刺ニュース番組の司会をする人で、日本で言えばビートたけしや太田光のようなポジションの人。ゲストがトーマス・ホーニグというエコノミストで、カンザスシティ連邦準備銀行の副議長を務めたこともあるエコノミスト。

 この中でスチュアートはとても鋭い突っ込みをしていて、それが、ケルトンが「財政赤字の神話」で書いた話と本質的に同じだったという話なのです。ケルトンが引用しているのは以下の箇所です。

“If we really want to make the national debt disappear, there are more painless ways to go about it. The most straightforward option is to do it the way Lonergan described. Simply let the central bank buy up government bonds in exchange for bank reserves. A pain- free transaction that turns yellow dollars back into green dollars. It can be carried out using nothing more than a keyboard at the Federal Reserve.”
(本当に国家債務をなくしたいなら、そんな苦痛をともなわない方法がある。一番わかりやすいのは、ロナガンが説明した方法だ。中央銀行が準備預金と引き換えに全部の国債を買い上げるのだ。黄色いドルを緑のドルに転換する、なんの痛みもない取引だ。それは連邦準備銀行でキーボードを操作するだけで実行できる。)

chapter three of The Deficit Myth.

国債を廃止すればいいじゃんという話

 この「国債財高が心配ならいつでも廃止できるよ!」というレトリックはケルトンがしばしば使うやつで、自分が翻訳したものでは、たとえば2019年2月21日、クルーグマンとの論争から。

さらにFEDは今や、金利目標のため債券に依存すること(公開市場操作)はなくなっている。準備金残高に対して目標金利の利子を払っているだけだ。ならば国債を廃止すれば良いではないか? 私たちは借金を完済できるのだから。「明日」にでも。

「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」

人びとへのローンを減らしたい(Just make fewer loans.)

 そしてその話は、教育ローンや住宅ローンなど人びとへの貸出も減らしたいという話が続くんですね。そこが日本に流布する「うそうそMMT」と違うところ。

 上のローハンのセリフをもう一度引用します。

 Just make fewer loans.

 日本に流布する”うそうそMMT”ではよく「万年筆マネー」とか言って「銀行はゼロから預金を作る!」「信用創造を理解しろ!」とかズレたことばかりを強調する。

 それは、マネーサプライの増加→物価の上昇(インフレ)→好景気、のような「量」、quantity の議論です。MMTとしては、そういうのをやめて、quality、「IOUの種類」ごとの話をしましょうよっていう議論をしたい。

  量の議論である”うそうそMMT” でいくと「銀行貸出」は貨幣量を増やすのでそれは良いことという話になっちゃう。やれやれ。

 でもMMTの主張はむしろ逆で貸出を減らそうという議論なんですよね。マネーには種類と階層があるわけ。

ここの qualitative credit regulation、これは信用の種類を絞るという規制、ということですか?

単にマネタリーベースや「金利=国債利回り」を目標にするのではなく、MMTはIOUの性質、種類によって対処が違うだろという話をしたいわけですよ。
国債金利はゼロでいいし、統合政府の負債の量はまったく問題にならない。一方、住宅ローンや教育ローンはローン自体を減免して減らすような処置が必要だ、というように。

やっぱり教えてもらわないと全く分からないですね(^^ゞ

qualitative credit regulation を直訳すると「質的信用規制」でしょうけれど、 ローハンが具体的に言っていることは「銀行に電話して住宅ローンを縮小させる」とか「ローンの種類を変えていく必要があるんだ」みたいな話なわけで、この qualitative は「種類ごとの」みたいに翻訳すべきだと思いますね。 「具体的な」でもいいんじゃないかとすら思うくらい。

なるほど

単純翻訳だけだとうまく伝わらないことはよくありまして、話題は違いますが先日もこんなことが。ご参考にツリーを見てみてください

https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

(もし上のリンクが作動しなければこちらで)
https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

何回も読んで、やっと分かったような気がしました。
文脈とか背景とかが分からないと理解するの難しい・・・!

そうか、この物価をめぐる議論って論理の順序の話だと言えるわけだけど(税を先に考えて財政支出を論じるのではなく、財政支出を先に論じて税を設計する)、ここでもやっぱりMMTは、財政支出について「財政支出額」とか「一般物価」のような quantitative な議論をするのではなくて qualitative な議論こそをするべきと言っているのだ、と言えますね。

たとえば「物価が上がったから…」という話は定量的かもしれないけれど、じゃあどうすればいいかというときに「金利を上げる!」みたいな超乱暴な話になりがち。

そして政策金利とは実は金融資本へのベーシックインカムでした!金利を上げるとは、それを増やすということに。

物価が上がったなら、じゃあ価格が上がった物品は具体的に何?を調べるべきなんです。
燃料費かな?医療費かな?、とかね。それが quality の議論だということ。

前回の話で、quality の語源( qualis )は「何」とか「どんなもの」という意味なのでした。

そうそう