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「質」と「量」をめぐって(パート2:MMTの「質的」議論)

 前回に引き続き英語の quality ドイツ語の Qualität という言葉と、現代日本語の「質」という言葉の意味の差異について考察しています。

 前回はマルクスの資本論にちょっとだけ触れたわけですが、今回この件を一度ちゃんと書いてみようと思ったきっかけはマルクス関係ではなく、ケルトンの最近のブログエントリでした。

 ローハン・グレイさんがゲスト参加しています。

 これがちょっと面白かったので、翻訳して経済学101にアップしようかなーと思ったのですね。しかし…

 ここでグレイのセリフの中に qualitative という言葉が出てきて、ワタクシそこで考えてしまったというわけ。

 ケルトンのエントリの内容は、あるバズっている Podcast 番組を題材にケルトンとローハンが楽しく一緒に論評を加えるという形です。

 番組のホストはジョン・スチュワートという人で『ザ・デイリー・ショー』という風刺ニュース番組の司会をする人で、日本で言えばビートたけしや太田光のようなポジションの人。ゲストがトーマス・ホーニグというエコノミストで、カンザスシティ連邦準備銀行の副議長を務めたこともあるエコノミスト。

 この中でスチュアートはとても鋭い突っ込みをしていて、それが、ケルトンが「財政赤字の神話」で書いた話と本質的に同じだったという話なのです。ケルトンが引用しているのは以下の箇所です。

“If we really want to make the national debt disappear, there are more painless ways to go about it. The most straightforward option is to do it the way Lonergan described. Simply let the central bank buy up government bonds in exchange for bank reserves. A pain- free transaction that turns yellow dollars back into green dollars. It can be carried out using nothing more than a keyboard at the Federal Reserve.”
(本当に国家債務をなくしたいなら、そんな苦痛をともなわない方法がある。一番わかりやすいのは、ロナガンが説明した方法だ。中央銀行が準備預金と引き換えに全部の国債を買い上げるのだ。黄色いドルを緑のドルに転換する、なんの痛みもない取引だ。それは連邦準備銀行でキーボードを操作するだけで実行できる。)

chapter three of The Deficit Myth.

国債を廃止すればいいじゃんという話

 この「国債財高が心配ならいつでも廃止できるよ!」というレトリックはケルトンがしばしば使うやつで、自分が翻訳したものでは、たとえば2019年2月21日、クルーグマンとの論争から。

さらにFEDは今や、金利目標のため債券に依存すること(公開市場操作)はなくなっている。準備金残高に対して目標金利の利子を払っているだけだ。ならば国債を廃止すれば良いではないか? 私たちは借金を完済できるのだから。「明日」にでも。

「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」

人びとへのローンを減らしたい(Just make fewer loans.)

 そしてその話は、教育ローンや住宅ローンなど人びとへの貸出も減らしたいという話が続くんですね。そこが日本に流布する「うそうそMMT」と違うところ。

 上のローハンのセリフをもう一度引用します。

 Just make fewer loans.

 日本に流布する”うそうそMMT”ではよく「万年筆マネー」とか言って「銀行はゼロから預金を作る!」「信用創造を理解しろ!」とかズレたことばかりを強調する。

 それは、マネーサプライの増加→物価の上昇(インフレ)→好景気、のような「量」、quantity の議論です。MMTとしては、そういうのをやめて、quality、「IOUの種類」ごとの話をしましょうよっていう議論をしたい。

  量の議論である”うそうそMMT” でいくと「銀行貸出」は貨幣量を増やすのでそれは良いことという話になっちゃう。やれやれ。

 でもMMTの主張はむしろ逆で貸出を減らそうという議論なんですよね。マネーには種類と階層があるわけ。

ここの qualitative credit regulation、これは信用の種類を絞るという規制、ということですか?

単にマネタリーベースや「金利=国債利回り」を目標にするのではなく、MMTはIOUの性質、種類によって対処が違うだろという話をしたいわけですよ。
国債金利はゼロでいいし、統合政府の負債の量はまったく問題にならない。一方、住宅ローンや教育ローンはローン自体を減免して減らすような処置が必要だ、というように。

やっぱり教えてもらわないと全く分からないですね(^^ゞ

qualitative credit regulation を直訳すると「質的信用規制」でしょうけれど、 ローハンが具体的に言っていることは「銀行に電話して住宅ローンを縮小させる」とか「ローンの種類を変えていく必要があるんだ」みたいな話なわけで、この qualitative は「種類ごとの」みたいに翻訳すべきだと思いますね。 「具体的な」でもいいんじゃないかとすら思うくらい。

なるほど

単純翻訳だけだとうまく伝わらないことはよくありまして、話題は違いますが先日もこんなことが。ご参考にツリーを見てみてください

https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

(もし上のリンクが作動しなければこちらで)
https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

何回も読んで、やっと分かったような気がしました。
文脈とか背景とかが分からないと理解するの難しい・・・!

そうか、この物価をめぐる議論って論理の順序の話だと言えるわけだけど(税を先に考えて財政支出を論じるのではなく、財政支出を先に論じて税を設計する)、ここでもやっぱりMMTは、財政支出について「財政支出額」とか「一般物価」のような quantitative な議論をするのではなくて qualitative な議論こそをするべきと言っているのだ、と言えますね。

たとえば「物価が上がったから…」という話は定量的かもしれないけれど、じゃあどうすればいいかというときに「金利を上げる!」みたいな超乱暴な話になりがち。

そして政策金利とは実は金融資本へのベーシックインカムでした!金利を上げるとは、それを増やすということに。

物価が上がったなら、じゃあ価格が上がった物品は具体的に何?を調べるべきなんです。
燃料費かな?医療費かな?、とかね。それが quality の議論だということ。

前回の話で、quality の語源( qualis )は「何」とか「どんなもの」という意味なのでした。

そうそう


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