ホーム » 2022 » 4月

月別アーカイブ: 4月 2022

対話19:モデル、翻訳、資本論のヘラクレイトス

”人間はたしかに思考する動物であり、人間にとっては生きるとは食べることと共に思考することなのである”

”「表現する」などとは思い上った絵空事にすぎない”

”論理学もそうであるが学というものは元々持って廻るのが仕事なのである”

大森荘蔵著「思考と論理」ちくま学芸文庫

さて、ここである。

注65「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。)この箇所へのラサールの注,二二四ページの注三は,貨幣を,まちがって,単なる価値章標だとしている

マルクス『資本論』第一巻,S. 120

ドイツ語原本

ヘッドホンが見つけてくれた、そのラッサールの本、224ページの注3

さらにこの次のページまでまたがるこの長ーい注記3は、たしかにマルクスの言う通り、貨幣を価値標章としてみている。
ただ、この注は何に対する注かというと。。。
(翻訳は deeplにて)

Dinge gegen Gold und des Goldes gegen die Dinge mit dem Umtausdy dieser in Feuer und des Feuers in diese vergleidyen , da ihm ja das Feuer – und es ist für das Vorliegende gleichgültig , ob als stoffliches Element , oder audy als dieses nur , weil es ihm die reinste Darstellung des sich selbst aufhebenden Werdens war – das ideelle allen Elementen und Dingen zu Grunde liegende einheitliche Substrat war , so daß durd , die Umwandlung des Feuers — burd seine Bewegung , sich selbst aufhebend in die Wirklidykeit zu treten – alles sinnliche Dasein , die Welt der realen außereinander seienden Unterschiede , erzeugt wird und diese Viel heit der realen Untersd , iede beständig wieder in jene ideelle Einheit des Feuers wie in einen Saamen negativ zurüdgewandelt wird.
(というのも、彼にとって火は–物質的な要素としてか、あるいはこれだけとしてかは現在のところ無関心だが–、自己消滅する成り行きの最も純粋な表現であり、すべての要素やものの根底にある理想的な統一基質だったからである。というのは、火の変容によって、つまり自己相殺的に現実に入り込もうとするその運動によって、すべての感覚的存在、互いに離れて存在する現実の差異の世界が生み出され、この現実の差異の多重性は、種子に戻るように、絶えず火の理想的統一体に否定的に変容されるからである。)

注3の方はだからそれほど重要ではないとして(面白いけれど)、こちらの部分。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。

ちょいとややこしいのだけど、ここはプルタルコスがヘラクレイトスを論じている箇所についてラッサールがいろいろ論じているのです。

プルタルコスによるギリシャ語の部分

, ώς γαρ εκείνην φυλάττουσαν εκ μέν εαυτής τον κόσμον , εκ δε του κόσμου πάλιν αυ εαυτήν αποτελεϊν , πυρός τ ‘ ανταμείβεσθαι πάντα , φησίν ο Ηράκλειτος , και πύρ απάντων , ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός · ούτως ή της πεντάδος προς εαυτήν σύν οδος

この直前の箇所、ラッサールはこのプルタスコスのギリシャ語をドイツ語に翻訳している。

マルクスの引用は大月書店版ではこう。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」

資本論原本は、こう。

(65) “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

ところが! 原文には “Aus dem …” と言う文字はない!

意味としてはこの個所なのだろう。
”das Feuer aus Allem , gleich wie gegen Gold die Dinge und gegen die Dinge das Gold”

かなり違う。

だからここは「ヘラクレイトスはこう言った」というプルタルコスのギリシャ語のドイツ語への翻訳をマルクスが(ラッサールではなく)行ったということになる。

そうであれば、田上説のようにラッサールを腐したいだけ?と考える人も出てくる。

しかし、 “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

これ資本論のこの個所にあまりにもピッタリなのである。

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

金の財貨たち、そして財貨たちの金のように

ホスペル クルスー クレーマタ カイ クレーマトーン クルソス

あ、やはり!(今見つけた英語版の記述を見て

英語版だとギリシャ語の引用だ。

Güter は品物でいいかな。 金の品物、品物の金

クレーマタ、というのは必要とされるもの、という感じがありますね

商品の流通過程で、W(Ware、商品)は必ずG(Geld、貨幣)の形態をとる。 Wのまま持ち手が変わることは、ない。

左の人はW-Gとして手放し、右の人はG-Wとして受け取り、右の人がさらに手放すときはW-Gになる。

なるほど!

aus Gold Güter und aus Gütern Gold. この aus が大事やね。英語の from。

ギリシャ語原文の感じからするとなかなか aus とはドイツ語翻訳できないのではないかな。マルクスの表現だと思う。

”言ってみれば規則は連続的で境界が曖昧なアナログ型ではなく人為的に境界を明瞭に引いたディジタル型なのである。このきっぱり割り切れた規則に従う時に我々は有無をいわせぬ「必然性」を感じるのである‴
大森荘蔵

しなければならない、と、違いない、に区別を設けた日本語

それらを区別する必要を感じない英語圏must

「ルールに従う」(ジョゼフ・ヒース)

あれは規則に従うことが人類の基本性質なのだという話だったとおもうけど大森の方がいいなあ

ヒースってそもそも何者です?

むつかしい質問

『ルールに従う』を翻訳された瀧澤さんによる紹介
20世紀の人間科学・社会科学を再考するジョセフ・ヒース『ルールに従う』を訳して

ゲーム理論なんかとはとても相性がいいね。

○○さんがよくヒースの名前を上げているものでして★

最初に彼に関わったのは彼がブログに上げていたヒースの「翻訳」がめちゃくちゃだったからだった…

めちゃくちゃ、ですか

ある箇所の意味を取り違えると、その取り違えた意味でもって全体を独自に解釈しちゃう傾向が強くて。

ふむふむ

僕が翻訳するときは、どうも私の読んでいる物の多くが、一世代以上前の、かっちりとした日本語のもの、が多いせいか、日本語としての流暢さはあまり反映されてない、という自己認識を持っていますね

一文に百文字や二百文字くらいは当たり前に含まれるような日本語ですね。

ヘンな翻訳だったら噛みついていたと思うけど… と思ってMonopoly Moneyのやつを眺め直す

第一感として受動態を受動態で訳す不自然を感じないでもないかな

あと名詞を名詞、動詞を動詞に律儀に変換している。

そうですね

その律儀さも、翻訳する時の私の体力に応じて、緩むときがありますけれど

原文との対応は、しやすいという、文献学的な?翻訳かな、と思っています

The model … illuminates its option to act as an employer of last resort.

これを

「(そのモデルは),最後の雇い手として振る舞う政府の選択肢を明らかにする」

となさっているけれど、悩むところですね。
英語と日本語で語順が違うから…

モデルは明らかにする、政府の選択肢を。それは最後の雇い手としてふるまうという選択肢だ。

「最後の雇い手として振る舞うという、政府の選択肢を明らかにする」 かな

nyunさんの7つの嘘の翻訳は,直訳的ではない感じがしましたね

修士論文を書くときに,参考にさせてもらいました★

わたくし流なら 「政府が,最後の雇い手として振る舞う選択肢の存在を明らかにする」

原文のニュアンスを再現したいなら、こんなふうに変えるのが有効なことが多いのは確か。

なるほど

構造の再現ではなく,意味の再現というわけですか

その言い方はよく考えると不適切かもしれない。 語順を変えるとは、構造を変えることになってしまう?

内的な論理を再構築する、という感じになるのかなあ

「合成語や稀語を含めて、上に述べた種類の語のそれぞれを適切な仕方で用いるのは重要なことであるが、とりわけもっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。」
アリストテレス「詩学」

そこで粒子と矢印のモデル\(^o^)/

対話18:「内心のIOU」と貨幣の誕生0

前回の対話に先行する、ある日の対話

今日は長女が友達からヤモリをもらって、おかえしにドジョウをあげるという取引をしていました。

ほうほう どんな展開だったかわかりますか?

ちょうどいま、物物交換にもIOUが働いているよねという文を書こうと思っていまして

(さらに…)

対話17:「内心のIOU」と貨幣の誕生

どう思われますかね?助言をば。

ひとめ「ツリーが長い!」と思いました(笑

(さらに…)

対話16:ゲーテ、ハイゼンベルグ、パラドックス

ゲーテを最初から読むなら、どんな順番から読めばいいでしょうか?

これはむつかしい。
あえて色彩論!

小説なら、ファウストかなあ

(さらに…)

貯蓄運用こそが産出を奪う(モズラー)

 ゲリラ翻訳サイト「道草」が見えなくなってしまったのを契機にモズラーの The 7 Deadly Innocent Frauds of Economic Policy(命取りに無邪気な嘘)から、その六番目をここにあらためて訳出します。

 みんなが貯蓄しようとすると消費が落ち込む(だから消費を奨励!)というのが主流経済学の所謂「倹約のパラドックス」ですが、いやいやいやいや貯蓄はそれ自体投資の結果であり、さらに、それを運用すること自体が肝心の産出を台無しにしているじゃないかという深い話です。

 日本の社会保障制度がいったい何をやっいるかを根本的に考える機会に。

 以前の翻訳時は訳者の理解がすごく甘かったのですが今回は格段に良くなっているはず。


Deadly Innocent Fraud #6:

 We need savings to provide the funds for investment.

Fact:

Investment adds to savings


命取りに無邪気な嘘 #6:

 投資に先立って貯蓄しなければならない

事実:

投資が貯蓄を生み出す


 Second to last but not the least, this innocent fraud undermines our entire economy, as it diverts real resources away from the real sectors to the financial sector, with results in real investment being directed in a manner totally divorced from public purpose. In fact, it’s my guess that this deadly innocent fraud might be draining over 20% annually from useful output and employment – a staggering statistic, unmatched in human history. And it directly leads the type of financial crisis we’ve been going through.

 嘘は残すところあと二つとなったが、これは大事だ。この嘘がこの経済全体を蝕んでいるために、実物資源が実業界から金融部門に流用され、実物投資は公共の目的からかけ離れたものになってしまっているからだ。私の見立てでは、この嘘のせいで有用な産出と雇用から20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない驚異的な規模だ。そしてまた、いま経験中の金融危機を直接導いたものは、これなのだ。

It begins with what’s called “the paradox of thrift” in the economics textbooks, which goes something like this: In our economy, spending must equal all income, including profits, for the output of the economy to get sold. (Think about that for a moment to make sure you’ve got it before moving on.) If anyone attempts to save by spending less than his income, at least one other person must make up for that by spending more than his own income, or else the output of the economy won’t get sold.

 経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は、必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。もし誰かが消費を所得以下に抑えるならば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、必然的に産出物に売り残りが生じることになる。

Unsold output means excess inventories, and the low sales means production and employment cuts, and thus less total income. And that shortfall of income is equal to the amount not spent by the person trying to save. Think of it as the person who’s trying to save (by not spending his income) losing his job, and then not getting any income, because his employer can’t sell all the output.

 売れ残った産出物とは在庫の超過分であり、売上が低い分は産出と雇用のカットであり、従って総所得の減少だ。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。こう考えてみよう。貯蓄しようとする人は(収入以下の支出しかしないようにすることにいよって)失業し、 貯蓄しようとする人は(収入を使わないことで)職を失い、雇用主は生産物をすべて売ることができない分の収入を得ない。

 So the paradox is, “decisions to save by not spending income result in less income and no new net savings.” Likewise, decisions to spend more than one’s income by going into debt cause incomes to rise and can drive real investment and savings. Consider this extreme example to make the point. Suppose everyone ordered a new pluggable hybrid car from our domestic auto industry. Because the industry can’t currently produce that many cars, they would hire us, and borrow to pay us to first build the new factories to meet the new demand. That means we’d all be working on new plants and equipment – capital goods – and getting paid. But there would not yet be anything to buy, so we would necessarily be “saving” our money for the day the new cars roll off the new assembly lines. The decision to spend on new cars in this case results in less spending and more savings. And funds spent on the production of the capital goods, which constitute real investment, leads to an equal amount of savings.
I like to say it this way: “Savings is the accounting record of investment.”

 だからこのパラドックスは本当はこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようと決めると収入は減少し新たな純貯蓄は生まれない」。反対に、借金をして収入以上に支出しようと決めると収入が増え実物投資と貯蓄が促進される。極端な例で考えてみよう。国民全員が国内自動車業界に新型ハイブリッドカーを注文したとする。自動車業界も、突然それほど多くの車を製造することはできないので、私たちを雇用し、新しい需要を満たすべく、まず新工場を建てるための借金をする。つまり私たちは皆、新しい工場と設備(これらは資本財だ)で働き、所得を得ることになる。しかしまだ世界には買いたい車が存在していないので、新車が組み立てラインから出てくるまでは、得たお金を「貯蓄」しておかなければならない。新車を買おうと決めた結果、支出を減らし貯蓄を増やしている。そして実物投資である資本財の生産に使われる資金も、同額の貯蓄ということになる。これを「貯蓄は、投資の会計的記録である」と表現するのが気に入っている。

Professor Basil Moore

バシル・ムーア教授

I had this discussion with a Professor Basil Moore in 1996 at a conference in New Hampshire, and he asked if he could use that expression in a book he wanted to write. I’m pleased to report the book with that name has been published and I’ve heard it’s a good read. (I’m waiting for my autographed copy.)

1996年、ニューハンプシャーのカンファレンスでバシル・ムーア教授とこの話をしたところ教授は、こんど書こうと思っている本でこの表現を使っていいかとお聞きになった。その名前の本は出版され、聞いた話では面白いそうだ。(サイン入りコピーを待っているのだが)

Unfortunately, Congress, the media and mainstream economists get this all wrong, and somehow conclude that we need more savings so that there will be funding for investment. What seems to make perfect sense at the micro level is again totally wrong at the macro level. Just as loans create deposits in the banking system, it is investment that creates savings.

残念ながら、議会やメディア、主流の経済学者はこの点を完全に誤解しており、なぜか投資のための資金を確保するために貯蓄を増やす必要があると結論づけている。ミクロの世界では完璧に理にかなっているように見えることでも マクロで見るとまた全然違う。ちょうど銀行システムにおいて融資が預金を生み出すのと同じように、投資が貯蓄を生み出すのだ。

So what do our leaders do in their infinite wisdom when investment falls, usually, because of low spending? They invariably decide “we need more savings so there will be more money for investment.” (And I’ve never heard a single objection from any mainstream economist.) To accomplish this Congress uses the tax structure to create tax-advantaged savings incentives, such as pension funds, IRA’s and all sorts of tax-advantaged institutions that accumulate reserves on a tax deferred basis. Predictably, all that these incentives do is remove aggregate demand (spending power). They function to keep us from spending our money to buy our output, which slows the economy and introduces the need for private sector credit expansion and public sector deficit spending just to get us back to even.

では無限の知恵を持っている我らの指導者たちは、消費の低迷で投資が落ち込むときにどうしているだろう。ぜったいこう決意する。「我々はもっと貯蓄しなければならない。そうすれば投資のためのお金が増えるだろう。」(私は主流経済学者たちがこれに異論を唱えるのを一度も聞いたことがない)。議会はこれを実現するために税構造を変え、貯蓄が有利になるようなインセンティブ設計をする。年金基金やIRAその他の税優遇機関が、税を繰り延べたい資金を積み上げ易くなるようにする。そうなれば簡単に予想できるように、そのインセンティブは総需要(購買力)を除去する方向に働く。つまり、われわれ自身が生産するものを購買するためにお金を使わないようにする機能を果たす。その結果経済が減速し、民間部門の信用債務が拡大し、公的部門は単に均衡を補うためだけの赤字財政支出を余儀なくされることになる。 

This is why the seemingly-enormous deficits turn out not to be as inflationary as they might otherwise be.

一見すると巨額の赤字が、そうでない場合と同程度のインフレしか齎さない理由はこれだった。

In fact it’s the Congressionally-engineered tax incentives to reduce our spending (called “demand leakages”) that cut deeply into our spending power, meaning that the government needs to run higher deficits to keep us at full employment. Ironically, it’s the same Congressmen pushing the tax-advantaged savings programs, thinking we need more savings to have money for investment, that are categorically opposed to federal deficit spending.

実際、われわれの支出を減らす(「需要漏出」と言われる)税制インセンティブ構造を議会が作り上げていることこそが、私たちの支出力を奪う当のもの、つまり、完全雇用を維持するための財政赤字水準を引き上げている当のものなのだ。皮肉なことに、税制を優遇し貯蓄プログラムを推進したい議員たち自身が、投資のために貯蓄が必要だと考えて財政赤字に断固反対するのである。

And, of course, it gets even worse! The massive pools of funds (created by this deadly innocent fraud #6, that savings are needed for investment) also need to be managed for the further purpose of compounding the monetary savings for the beneficiaries of the future. The problem is that, in addition to requiring higher federal deficits, the trillions of dollars compounding in these funds are the support base of the dreaded financial sector. They employ thousands of pension fund managers whipping around vast sums of dollars, which are largely subject to government regulation. For the most part, that means investing in publicly-traded stocks, rated bonds and some diversification to other strategies such as hedge funds and passive commodity strategies. And, feeding on these “bloated whales,” are the inevitable sharks – the thousands of financial professionals in the brokerage, banking and financial management industries who owe their existence to this 6th deadly innocent fraud.

そしてもっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この嘘6で誕生したプールで「その貯蓄は投資されなければならない」)は将来の受益者のために管理され複利運用される必要がある。問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何兆ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になっている。金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇用していて、大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。そして、これら「肥大化したクジラ」をエサに生きるのが、当然現れるサメたち – この第6の嘘によってその存在を負っている証券会社、銀行、金融管理業界の何千人もの金融専門家たちなのだ。


レイのMMT入門をグラフモデルで表記してみる:政府支出編

 「レイのMMT入門をグラフモデルで表記してみる 銀行貸出編」(前編後編)では原著の 3.4   Balance sheets of banks, monetary creation by banks, and interbank settlement のところをグラフモデルで表記してみました。

 まずこの図を見てください。

 この図は先日モズラーの「A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation 」という文章を精読した時に作った図をきれいに書き直したものです。元はこちらのエントリです。

(さらに…)

レイのMMT入門をグラフモデルで表記してみる:銀行貸出編(後)

こちらの続きです

今回の概要

 今回は、下の図の内容を一気に説明します。


 原著の3.4   Balance sheets of banks, monetary creation by banks, and interbank settlement のところの内容なのですが、本がなくてもわかるように努力したいと思います。

(さらに…)

レイのMMT入門をグラフモデルで表記してみる:銀行貸出編(前)

まあ、やってみましょう。原著の

3.4   Balance sheets of banks, monetary creation by banks, and interbank settlement 

のところです。

登場人物

・FRB(中央銀行)
・A銀行(A氏が預金口座を持つ)
・B銀行(自動車ディーラーが預金口座を持つ)
・X氏
・自動車ディーラー(A氏に自動車を売る)

(さらに…)