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対話19:モデル、翻訳、資本論のヘラクレイトス

”人間はたしかに思考する動物であり、人間にとっては生きるとは食べることと共に思考することなのである”

”「表現する」などとは思い上った絵空事にすぎない”

”論理学もそうであるが学というものは元々持って廻るのが仕事なのである”

大森荘蔵著「思考と論理」ちくま学芸文庫

さて、ここである。

注65「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。)この箇所へのラサールの注,二二四ページの注三は,貨幣を,まちがって,単なる価値章標だとしている

マルクス『資本論』第一巻,S. 120

ドイツ語原本

ヘッドホンが見つけてくれた、そのラッサールの本、224ページの注3

さらにこの次のページまでまたがるこの長ーい注記3は、たしかにマルクスの言う通り、貨幣を価値標章としてみている。
ただ、この注は何に対する注かというと。。。
(翻訳は deeplにて)

Dinge gegen Gold und des Goldes gegen die Dinge mit dem Umtausdy dieser in Feuer und des Feuers in diese vergleidyen , da ihm ja das Feuer – und es ist für das Vorliegende gleichgültig , ob als stoffliches Element , oder audy als dieses nur , weil es ihm die reinste Darstellung des sich selbst aufhebenden Werdens war – das ideelle allen Elementen und Dingen zu Grunde liegende einheitliche Substrat war , so daß durd , die Umwandlung des Feuers — burd seine Bewegung , sich selbst aufhebend in die Wirklidykeit zu treten – alles sinnliche Dasein , die Welt der realen außereinander seienden Unterschiede , erzeugt wird und diese Viel heit der realen Untersd , iede beständig wieder in jene ideelle Einheit des Feuers wie in einen Saamen negativ zurüdgewandelt wird.
(というのも、彼にとって火は–物質的な要素としてか、あるいはこれだけとしてかは現在のところ無関心だが–、自己消滅する成り行きの最も純粋な表現であり、すべての要素やものの根底にある理想的な統一基質だったからである。というのは、火の変容によって、つまり自己相殺的に現実に入り込もうとするその運動によって、すべての感覚的存在、互いに離れて存在する現実の差異の世界が生み出され、この現実の差異の多重性は、種子に戻るように、絶えず火の理想的統一体に否定的に変容されるからである。)

注3の方はだからそれほど重要ではないとして(面白いけれど)、こちらの部分。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。

ちょいとややこしいのだけど、ここはプルタルコスがヘラクレイトスを論じている箇所についてラッサールがいろいろ論じているのです。

プルタルコスによるギリシャ語の部分

, ώς γαρ εκείνην φυλάττουσαν εκ μέν εαυτής τον κόσμον , εκ δε του κόσμου πάλιν αυ εαυτήν αποτελεϊν , πυρός τ ‘ ανταμείβεσθαι πάντα , φησίν ο Ηράκλειτος , και πύρ απάντων , ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός · ούτως ή της πεντάδος προς εαυτήν σύν οδος

この直前の箇所、ラッサールはこのプルタスコスのギリシャ語をドイツ語に翻訳している。

マルクスの引用は大月書店版ではこう。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」

資本論原本は、こう。

(65) “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

ところが! 原文には “Aus dem …” と言う文字はない!

意味としてはこの個所なのだろう。
”das Feuer aus Allem , gleich wie gegen Gold die Dinge und gegen die Dinge das Gold”

かなり違う。

だからここは「ヘラクレイトスはこう言った」というプルタルコスのギリシャ語のドイツ語への翻訳をマルクスが(ラッサールではなく)行ったということになる。

そうであれば、田上説のようにラッサールを腐したいだけ?と考える人も出てくる。

しかし、 “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

これ資本論のこの個所にあまりにもピッタリなのである。

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

金の財貨たち、そして財貨たちの金のように

ホスペル クルスー クレーマタ カイ クレーマトーン クルソス

あ、やはり!(今見つけた英語版の記述を見て

英語版だとギリシャ語の引用だ。

Güter は品物でいいかな。 金の品物、品物の金

クレーマタ、というのは必要とされるもの、という感じがありますね

商品の流通過程で、W(Ware、商品)は必ずG(Geld、貨幣)の形態をとる。 Wのまま持ち手が変わることは、ない。

左の人はW-Gとして手放し、右の人はG-Wとして受け取り、右の人がさらに手放すときはW-Gになる。

なるほど!

aus Gold Güter und aus Gütern Gold. この aus が大事やね。英語の from。

ギリシャ語原文の感じからするとなかなか aus とはドイツ語翻訳できないのではないかな。マルクスの表現だと思う。

”言ってみれば規則は連続的で境界が曖昧なアナログ型ではなく人為的に境界を明瞭に引いたディジタル型なのである。このきっぱり割り切れた規則に従う時に我々は有無をいわせぬ「必然性」を感じるのである‴
大森荘蔵

しなければならない、と、違いない、に区別を設けた日本語

それらを区別する必要を感じない英語圏must

「ルールに従う」(ジョゼフ・ヒース)

あれは規則に従うことが人類の基本性質なのだという話だったとおもうけど大森の方がいいなあ

ヒースってそもそも何者です?

むつかしい質問

『ルールに従う』を翻訳された瀧澤さんによる紹介
20世紀の人間科学・社会科学を再考するジョセフ・ヒース『ルールに従う』を訳して

ゲーム理論なんかとはとても相性がいいね。

○○さんがよくヒースの名前を上げているものでして★

最初に彼に関わったのは彼がブログに上げていたヒースの「翻訳」がめちゃくちゃだったからだった…

めちゃくちゃ、ですか

ある箇所の意味を取り違えると、その取り違えた意味でもって全体を独自に解釈しちゃう傾向が強くて。

ふむふむ

僕が翻訳するときは、どうも私の読んでいる物の多くが、一世代以上前の、かっちりとした日本語のもの、が多いせいか、日本語としての流暢さはあまり反映されてない、という自己認識を持っていますね

一文に百文字や二百文字くらいは当たり前に含まれるような日本語ですね。

ヘンな翻訳だったら噛みついていたと思うけど… と思ってMonopoly Moneyのやつを眺め直す

第一感として受動態を受動態で訳す不自然を感じないでもないかな

あと名詞を名詞、動詞を動詞に律儀に変換している。

そうですね

その律儀さも、翻訳する時の私の体力に応じて、緩むときがありますけれど

原文との対応は、しやすいという、文献学的な?翻訳かな、と思っています

The model … illuminates its option to act as an employer of last resort.

これを

「(そのモデルは),最後の雇い手として振る舞う政府の選択肢を明らかにする」

となさっているけれど、悩むところですね。
英語と日本語で語順が違うから…

モデルは明らかにする、政府の選択肢を。それは最後の雇い手としてふるまうという選択肢だ。

「最後の雇い手として振る舞うという、政府の選択肢を明らかにする」 かな

nyunさんの7つの嘘の翻訳は,直訳的ではない感じがしましたね

修士論文を書くときに,参考にさせてもらいました★

わたくし流なら 「政府が,最後の雇い手として振る舞う選択肢の存在を明らかにする」

原文のニュアンスを再現したいなら、こんなふうに変えるのが有効なことが多いのは確か。

なるほど

構造の再現ではなく,意味の再現というわけですか

その言い方はよく考えると不適切かもしれない。 語順を変えるとは、構造を変えることになってしまう?

内的な論理を再構築する、という感じになるのかなあ

「合成語や稀語を含めて、上に述べた種類の語のそれぞれを適切な仕方で用いるのは重要なことであるが、とりわけもっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。」
アリストテレス「詩学」

そこで粒子と矢印のモデル\(^o^)/


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