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対話22:インフレーション、モズラーの言う「タームストラクチャ」

某月某日

”Taxation is part of the process of obtaining the resources needed by the government. The government has an infinite amount of its fiat currency to spend. Taxes are needed to get the private sector to trade real goods and services in return for the fiat money it needs to pay taxes. From the government’s point of view, it is a matter of price times quantity equals revenue.”
Mosler[1996/2012], Soft Currency Economics II, p.68
「租税は政府が必要とする資源を獲得するという過程の一部である。政府は支出するための無限な量の命令通貨(fiat currency)を有している。租税は民間部門に,租税を支払うために必要となる命令貨幣(fiat money)を求めて実物の財やサービスを交換させるために必要とされる。政府の観点からすれば,価格×量=収入,ということが問題なのである。」(Mosler[1996/2012], p. 68,邦訳は引用者による)

この最後の文はモズラー構文というか(笑

ぼくが訳すと、
「政府の観点からすれば、重要なのは価格と量でありその積が税収と等しくなる。」

つまり、みんなが気にするのは税収だけれども、それは結果だというわけ。

こんな説明はどうだろう。
モズラーのインフレーションはデノミ、デノミネーションのことである。

従来の紙幣、たとえば1,000,000nyunのお札を新紙幣1.000nyunに切り替える。
これがデノミですね。

これは、すべての商品の価格を一斉に10000分の一という一定比率で切り下げるということを意味します。

これは物差しが変わるだけで経済の実態には基本的に無関係。
そりゃメニューコストはあるけれど、理論上、思考上の話と理解してください。

ここで大きな注意点がありまして、純粋デノミならば金利も同じ割合で切り下がっていいやんという話になる。

(ここは説明がいるかな)

たとえば年利10パーセントの貸借の成立は、現在のお金と将来のお金の等価交換、インディファレントな水準で決定されるやりとりです。 

貸し手は将来の110を今の100で買うという意味で買い手であり、同様に借り手は売り手であると。
この時の価格はどうして変わらないの?という理屈です。
このように金利は時間が関連する商品で、その分他とは性質が違いますね。

モズラーの物価水準の論考で、ブライスレベルとタームストラクチャーに話を分けざるを得ないのもこの事情によります。

こういうインフレーション経済であるとして

商品と商品の距離が価格、みたいなイメージ。

デノミをしたときに、その後の膨張度はどうする?という問題です

金利が変らなければ、再膨張する経済 

これって、下の図のようにすることだってできるわけです

そしてデノミが可能であるということは、そもそもこの傾き(インフレ)は人為的なものだったという証拠でもある。
金利をゼロにすれば水平になるじゃん!と工学屋なら普通に思うでしょう(笑

わたくしが思うに。
利子というものを何か自然なものと考えるか、剰余価値の分配の一形式と考えるかに尽きると思うんですよね。

「宇野『原論』は,どこまでも「他者」としての資本を主体とする論理構成を貫きながら,その最終部を,恐慌論や階級闘争論で終わるのではなく,資本主義の物神性をあらゆる人間(自己)の意識に内在化する「国民所得」によって閉じることになる。
「利子と地代と賃金と,そして企業利潤とは,いわゆる国民所得の基本的なるものといってよいであろう。他の所得はこれから派生するものと見ることが出来るのであるが,しかしこの国民所得観こそ資本主義社会の物神崇拝的性格をそのまま反映するものに外ならない。」(宇野著作集 第一巻 五一八頁)

「現に労働賃金を資本の利子と同様の所得とするとき,マルクスのいわゆる『搾取する労働』と『搾取される労働』との区別は抹殺せざるを得ないし,労働者の労働力が資本として機能し,その賃金が資本の一部から火払われるという関係は見失われざるを得ない。」(同 五一九頁)」(青木孝平『「他者」の倫理学』社会評論社,297-298ページ)

「一国で支配的な利子の平均率ー絶えず変動する市場率とは区別されたものとしてのーは,どんな法則によっても全然規定することのできないものである。この仕方では利子の自然的な率というものは存在しない。つまり,経済学者たちが自然的利潤率とか労賃の自然的な率とか言うような意味では,存在しない」(マルクス『資本論』第三巻,S. 374)

それぞれに、面白いですね。

モズラーは(MMTはと言ってもいいでしょう)資本の利子を労働賃金と同様の所得として見ていませんね。

「資本の利子」という言葉は少し気になります。
「資本の」を付ける意味はないような。

And every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.
Mosler[2010], Seven Deadly Innocent Frauds, p. 115
「そして政府が同じものに対してより多くを支払うたびに,政府はその通貨を下方に再定義していることになるのである。」(Mosler[2010], p. 115,邦訳は引用者による)

市場価格に従属する支出ならそうですね。

あと、先行する課税によって民間の購買力が奪われていて、それは通貨を上方に再定義する働きをしているってことになるか。

市場価格に従属しない支出の例…

おっと英語をよく見ていませんでした

「より多くを支払う」というのを「売れ残ったそれを買う」ようなことかなと解釈してしまったのだけれども、そうではなくて the thing に高値を付けるということでしたね。

ここで一晩寝る

今朝は

redefining its currency downward
という特徴的な表現のことを考えていました。
revaluing でも同じことを言えそうである。
devaluing なら、downward  は要らなくなるか。

”every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.”
「ある同じモノに対して政府がより多く支払うたびに、政府は通貨を下方に再定義しているのである」 

ジョブギャランティはどうだろう。
それまで失業状態だった(その労働への支払いはゼロだった)人の労働に「より多く支払う」のだから、それは通貨の下方再定義ということになりますね。

ジョブギャランティがある世界のことを考えるのはとても意義があることだと思う。
その労賃を動かすことは、他の全商品の価格を動かすということだから影響は甚大です。だからそう簡単には動かせません。

しかし金利は、それに比べれば、はるかに気軽に動かされている。

もしも金利がタームストラクチャ(この図で表される角度)の表現であるならば、全商品は時間の経過に従って価格が変っていなければなりません。

これは政府支出「every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.」とは対照的で、取引ごとにでなく、一斉に再定義し続けるという形をしている。
途方もないことに思えます。 

取引がなくても価格が変るのだから!

価格は動かない、でも、金利は支払われるとはどういうことだろう。
それは純粋に、貯蓄を持っているエンティティへの、持っている量に比例したベーシックインカムとなるだけだ。

ここで価格設定能力というものを考えると、それは、新しく自らが発行するIOUを受け取らせる能力と、すでに持っている他者のIOUを受け取らせる能力の二つを合わせたものですね。 

だから、タームストラクチャに従って価格が常に動いているわけではない現実世界においては、金利は「持てる者」の価格設定能力をさらに引き上げる働きをするものになる。

かくして通貨価値、とか、インフレーションっていったい何だろうね?となる。

政府が持っている価格再設定能力を放棄しつつ、それどころか持てる者の価格再設定能力を日々刻々とわざわざ強めている世界で「価格の変化」を測定し、それを自然現象を扱う物理学のように所与のデータとして扱うとは?

というわけで、これはかつて物理学が直面した観測問題とかなり似ていると思う。

対話20:商品は「感覚的に超感覚的な事物」である(マルクス)

「歴史は本質的に精神の歴史であるが,これは《時間のなかで》経過していくものである。したがって,「歴史の発展は時間のなかへ落ちる」ということになる。けれども,ヘーゲルは精神の内時性をひとつの既成事実として指摘することで満足せず,精神が「非感性的な感性的なもの」として時間のなかへ落ちるということがどうして可能であるのかを理解しようと努めている」(ハイデッガー『存在と時間 下』ちくま学芸文庫,S. 428,邦訳409ページ)

「人間が自分の活動によって自然素材の形態を人間にとって有用な仕方で変化させるということは,わかりきったことである。たとえば,材木で机をつくれば,材木の形は変えられる。それにもかかわらず,机はやはり材木であり,ありふれた感覚的なものである。ところが,机が商品として現われるやいなや,それは一つの感覚的であると同時に超感覚的であるものになってしまうのである」(マルクス『資本論』第一巻,S. 85)

ein sinnlich ubersinnliches Ding

ん?

ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと)

ein sinnlich ubersinnliches Ding (資本論 S. 85)

これ「一つの感覚的であると同時に超感覚的であるもの」 なのだろうか

Es ist sinnenklar, daß der Mensch durch seine Tätigkeit die Formen der Naturstoffe in einer ihm nützliche Weise verändert. Die Form des Holzes z.B. wird verändert, wenn man aus ihm einen Tisch macht. Nichtsdestoweniger bleibt der Tisch Holz, ein ordinäres sinnliches Ding. Aber sobald er als Ware auftritt, verwandelt er sich in ein sinnlich übersinnliches Ding. Er steht nicht nur mit seinen Füßen auf dem Boden, sondern er stellt sich allen andren Waren gegenüber auf den Kopf und entwickelt aus seinem Holzkopf Grillen, viel wunderlicher, als wenn er aus freien Stücken zu tanzen begänne.

形容詞の語尾に注目。
この翻訳は sinnlich と ubersinnlich がどちらも Ding(もの)を修飾する形容詞であるかのように扱っている。

けど、それば文法的におかしくて、たとえば直前の ein ordinäres sinnliches Ding というところだと、ordinäres (ありふれた)と sinnliches (感覚的な)の二つはどちらも語尾が -es になっていてこの二つは形容詞で Ding を修飾しているということがわかる。

でも、 ein sinnlich ubersinnliches Ding の sinnlich は sinnliches になっていないから形容詞じゃなくて ubersinnliches にかかる副詞。

「かたちが変化しても材木はなお材木であって,「ごくふつうの感覚的事物」なのだ。それでも,おなじ机が商品として登場するや,それはすぐさま「感覚的に超感覚的な事物 ein sinnlich ubersinnliches Ding」となる」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,63ページ)

❤️

引用部冒頭の Es ist sinnenklar 、も「わかりきったことである」で間違いではないけれど sinnnen – klar 、「感覚的に明らかである」です。

「マルクスはここで商品とは「感覚的であるとともに超感覚的である」ものとも,「感覚的であるにもかからわらず超感覚的である」ものとも語っていない。「感覚的に超感覚的 sensible insensible, sensiblement suprasensible」と語っているのだ。この間の消息にデリダが注目するのは,やはり,それなりの読解であると言うべきだろう(デリダ,二〇〇七年,三一三頁)」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,71ページ)

❤️
デリダはドイツ語版を読んでいないか、母語ではないから気づかなかったかな

フランス語版を読んでいる可能性が高い?

フランス語版を読んでいることは確実

デリダ『マルクスの亡霊たち』藤原書店

とのこと

その翻訳は面白かったけど、今度は自分がデリダの原文を読めないので(笑

フランス語は学部時代に一年だけ触れたのみである私…

あ、まちがえた、デリダはちゃんと読めている(はずかしい)

上の、この個所の出展は何ですか?
「訳者」とは?

”ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと) ”

存在と時間,ちくま学芸文庫,細谷貞雄訳

ということはヘーゲルにもこの表現があるのか!

この注2の箇所です

その訳者注

ハイデガーが引用元を示していて,そこを訳者が探しに行ったら該当箇所が見つからないというのですが…

Die Geschichte, die wesenhaft solche des Geistes ist, verläuft »in der Zeit«. Also »fällt die Entwicklung der Geschichte in die Zeit«1. Hegel begnügt sich aber nicht damit, die Innerzeitigkeit des Geistes als ein Faktum hinzustellen, sondern er sucht die Möglichkeit dessen zu verstehen, daß der Geist in die Zeit fällt, die »das unsinnliche Sinnliche«2 ist.

1 Hegel, Die Vernunft in der Geschichte. Einleitung in die Philosophie der Weltgeschichte. Herausg. v. G. Lasson, 1917, S. 133.
2 a. a. O.

存在と時間の原著から引用

a. a. O.
am angegebenen Ort

注1と同じ個所と言う意味だから…

>Die Zeit ist wie der Raum eine reine Form der Sinnlichkeit oder des Anschauens, das unsinnliche Sinnliche, – aber wie diesen, so geht auch die Zeit der Unterschied der Objektivität und eines gegen dieselbe subjektiven Bewußtseins nichts an.

!!

das unsinnliche Sinnliche 、あるやん(笑

訳者の探し不足でしょうか

勘違いは時々ありますよね

そうですね

マルクスの ein sinnlich ubersinnliches Ding は意図的にひっくり返しているのか

僕もそう感じました

ハイデガーと熊野純彦を通じて,ヘーゲルとマルクスの対応を知る★

資本論を初期マルクスや後期マルクスとの整合性を取りながら読むのもいいけれど、そうした背景は背景ととしておいても「作品」資本論は突出しているのだから丁寧に読みたい。

とりわけ出だしは。

「ともあれマルクスも,著作の冒頭部分に神経をつかう著述家でした。あるいはマルクスこそとりわけそうだったと言っておいてもよいでしょう」(熊野純彦『マルクス資本論の哲学』岩波新書,4ページ)

「それにもかかわらず、机はやはり材木であり、ありふれた感性的なものである。ところが机が商品として現れるやいなや、それは感性的で超感性的なものになってしまうのである。」
—『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想 (角川選書)』佐々木 隆治著

「(マルクスは)商品を「一つの感性的・超感性的な事物」 ein sinnlich ubersinnliches Ding と呼んでいる」
—『資本論の哲学(平凡社)』廣松渉著

うーん

対話19:モデル、翻訳、資本論のヘラクレイトス

”人間はたしかに思考する動物であり、人間にとっては生きるとは食べることと共に思考することなのである”

”「表現する」などとは思い上った絵空事にすぎない”

”論理学もそうであるが学というものは元々持って廻るのが仕事なのである”

大森荘蔵著「思考と論理」ちくま学芸文庫

さて、ここである。

注65「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。)この箇所へのラサールの注,二二四ページの注三は,貨幣を,まちがって,単なる価値章標だとしている

マルクス『資本論』第一巻,S. 120

ドイツ語原本

ヘッドホンが見つけてくれた、そのラッサールの本、224ページの注3

さらにこの次のページまでまたがるこの長ーい注記3は、たしかにマルクスの言う通り、貨幣を価値標章としてみている。
ただ、この注は何に対する注かというと。。。
(翻訳は deeplにて)

Dinge gegen Gold und des Goldes gegen die Dinge mit dem Umtausdy dieser in Feuer und des Feuers in diese vergleidyen , da ihm ja das Feuer – und es ist für das Vorliegende gleichgültig , ob als stoffliches Element , oder audy als dieses nur , weil es ihm die reinste Darstellung des sich selbst aufhebenden Werdens war – das ideelle allen Elementen und Dingen zu Grunde liegende einheitliche Substrat war , so daß durd , die Umwandlung des Feuers — burd seine Bewegung , sich selbst aufhebend in die Wirklidykeit zu treten – alles sinnliche Dasein , die Welt der realen außereinander seienden Unterschiede , erzeugt wird und diese Viel heit der realen Untersd , iede beständig wieder in jene ideelle Einheit des Feuers wie in einen Saamen negativ zurüdgewandelt wird.
(というのも、彼にとって火は–物質的な要素としてか、あるいはこれだけとしてかは現在のところ無関心だが–、自己消滅する成り行きの最も純粋な表現であり、すべての要素やものの根底にある理想的な統一基質だったからである。というのは、火の変容によって、つまり自己相殺的に現実に入り込もうとするその運動によって、すべての感覚的存在、互いに離れて存在する現実の差異の世界が生み出され、この現実の差異の多重性は、種子に戻るように、絶えず火の理想的統一体に否定的に変容されるからである。)

注3の方はだからそれほど重要ではないとして(面白いけれど)、こちらの部分。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。

ちょいとややこしいのだけど、ここはプルタルコスがヘラクレイトスを論じている箇所についてラッサールがいろいろ論じているのです。

プルタルコスによるギリシャ語の部分

, ώς γαρ εκείνην φυλάττουσαν εκ μέν εαυτής τον κόσμον , εκ δε του κόσμου πάλιν αυ εαυτήν αποτελεϊν , πυρός τ ‘ ανταμείβεσθαι πάντα , φησίν ο Ηράκλειτος , και πύρ απάντων , ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός · ούτως ή της πεντάδος προς εαυτήν σύν οδος

この直前の箇所、ラッサールはこのプルタスコスのギリシャ語をドイツ語に翻訳している。

マルクスの引用は大月書店版ではこう。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」

資本論原本は、こう。

(65) “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

ところが! 原文には “Aus dem …” と言う文字はない!

意味としてはこの個所なのだろう。
”das Feuer aus Allem , gleich wie gegen Gold die Dinge und gegen die Dinge das Gold”

かなり違う。

だからここは「ヘラクレイトスはこう言った」というプルタルコスのギリシャ語のドイツ語への翻訳をマルクスが(ラッサールではなく)行ったということになる。

そうであれば、田上説のようにラッサールを腐したいだけ?と考える人も出てくる。

しかし、 “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

これ資本論のこの個所にあまりにもピッタリなのである。

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

金の財貨たち、そして財貨たちの金のように

ホスペル クルスー クレーマタ カイ クレーマトーン クルソス

あ、やはり!(今見つけた英語版の記述を見て

英語版だとギリシャ語の引用だ。

Güter は品物でいいかな。 金の品物、品物の金

クレーマタ、というのは必要とされるもの、という感じがありますね

商品の流通過程で、W(Ware、商品)は必ずG(Geld、貨幣)の形態をとる。 Wのまま持ち手が変わることは、ない。

左の人はW-Gとして手放し、右の人はG-Wとして受け取り、右の人がさらに手放すときはW-Gになる。

なるほど!

aus Gold Güter und aus Gütern Gold. この aus が大事やね。英語の from。

ギリシャ語原文の感じからするとなかなか aus とはドイツ語翻訳できないのではないかな。マルクスの表現だと思う。

”言ってみれば規則は連続的で境界が曖昧なアナログ型ではなく人為的に境界を明瞭に引いたディジタル型なのである。このきっぱり割り切れた規則に従う時に我々は有無をいわせぬ「必然性」を感じるのである‴
大森荘蔵

しなければならない、と、違いない、に区別を設けた日本語

それらを区別する必要を感じない英語圏must

「ルールに従う」(ジョゼフ・ヒース)

あれは規則に従うことが人類の基本性質なのだという話だったとおもうけど大森の方がいいなあ

ヒースってそもそも何者です?

むつかしい質問

『ルールに従う』を翻訳された瀧澤さんによる紹介
20世紀の人間科学・社会科学を再考するジョセフ・ヒース『ルールに従う』を訳して

ゲーム理論なんかとはとても相性がいいね。

○○さんがよくヒースの名前を上げているものでして★

最初に彼に関わったのは彼がブログに上げていたヒースの「翻訳」がめちゃくちゃだったからだった…

めちゃくちゃ、ですか

ある箇所の意味を取り違えると、その取り違えた意味でもって全体を独自に解釈しちゃう傾向が強くて。

ふむふむ

僕が翻訳するときは、どうも私の読んでいる物の多くが、一世代以上前の、かっちりとした日本語のもの、が多いせいか、日本語としての流暢さはあまり反映されてない、という自己認識を持っていますね

一文に百文字や二百文字くらいは当たり前に含まれるような日本語ですね。

ヘンな翻訳だったら噛みついていたと思うけど… と思ってMonopoly Moneyのやつを眺め直す

第一感として受動態を受動態で訳す不自然を感じないでもないかな

あと名詞を名詞、動詞を動詞に律儀に変換している。

そうですね

その律儀さも、翻訳する時の私の体力に応じて、緩むときがありますけれど

原文との対応は、しやすいという、文献学的な?翻訳かな、と思っています

The model … illuminates its option to act as an employer of last resort.

これを

「(そのモデルは),最後の雇い手として振る舞う政府の選択肢を明らかにする」

となさっているけれど、悩むところですね。
英語と日本語で語順が違うから…

モデルは明らかにする、政府の選択肢を。それは最後の雇い手としてふるまうという選択肢だ。

「最後の雇い手として振る舞うという、政府の選択肢を明らかにする」 かな

nyunさんの7つの嘘の翻訳は,直訳的ではない感じがしましたね

修士論文を書くときに,参考にさせてもらいました★

わたくし流なら 「政府が,最後の雇い手として振る舞う選択肢の存在を明らかにする」

原文のニュアンスを再現したいなら、こんなふうに変えるのが有効なことが多いのは確か。

なるほど

構造の再現ではなく,意味の再現というわけですか

その言い方はよく考えると不適切かもしれない。 語順を変えるとは、構造を変えることになってしまう?

内的な論理を再構築する、という感じになるのかなあ

「合成語や稀語を含めて、上に述べた種類の語のそれぞれを適切な仕方で用いるのは重要なことであるが、とりわけもっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。」
アリストテレス「詩学」

そこで粒子と矢印のモデル\(^o^)/

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑥MMTのミクロ的基礎(その3)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第六回。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly (ここ)
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

前回シリーズ5では、 III. The Source of the Price Level の最後のところが宿題になった感じワンね。意味が取りにくい。

ここはわかってしまえば別にむつかしくないのですが、ここ、ほとんどの人が意味を取りそこなうと思います。
今までの先入観から自由になって素直に解釈することがまずできないからです。

(さらに…)

対話13「saving desire(貯蓄欲求)は政府行動の関数だ」ヘッドホン

>(元々は,前回の記事に続いて「101」その2?を書くつもりでいて,しかも書く内容としては限定を加えてはいなかったものの,例えば「機能的財政」(Functional Finance)という話を「関数(函数)」(function)の話と結びつけて書いてみようなどと思っていた。)

(さらに…)

対話12 「納税にしか使えない通貨を発行して納税しないと追い出されるという仕組み」ですって?

えっとー、タックスドリブンマネーの話は、JGと結びつけないと、価格の安定性に繋がらない

レイは、タックスドリブンマネーの考えはクナップやイネスにあったけれど、彼らには通貨の価格の安定性に関する議論が欠けていて、そこを最後の雇い手などの、緩衝在庫アプローチが補っている、と考えるわけです。

そういう思考はカントにすらあったわけよね

(さらに…)

某月某日雑談

私の見るところ, 数学的形式に対するスピノザの迷信は, 既に一つの眼眩ましであり, きわめて非哲学的なまやかし(幻想)です. 十五の定義と公理とを探求すると, エチカの第一部全体はひっくり返ってしまいます. そのような撒き砂は, どんな建物も, 紙づくりの建物ですら支えられません
(1785年10月28日付けのヤコービ宛書簡…ハーマン)

数学の確実性の全体は, その言葉, またその記述の本性に依存しています. しかしながら全ての証明において不可欠なことは, 物理的には不可能な形而上学的点, 線, 平面の詩的恣意について考えることです
(1785年2月11日付のシェフナー宛書簡…ハーマン)

数学に達するには, 神の顕現を待つしかない
(ノヴァーリス)

「数学は偏見を取り除くことはできない. 我執をおさえることも, 党派心をなだめることもできない. 数学には道徳的なことはいっさい何もできない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳299ページ)

「数学だけが確実なものだという話を聞くが, 数学は他のどの知識や行為よりも確実だというわけではない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳297ページ)

「数学は罪状の立証, 有罪の認定を目ざすものであるから, すぐれた頭脳は数学をおもしろく思わない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳300ページ)

おはよー

おはようございます(ノ´・ω・)ノ

おはようございます。 職場の人の家族に陽性者が出たらしく、検査に行ってきます ( ´・ω・`) 2年ぶり3回目

本人じゃなくて家族に陽性者って時点で、なのね

家族と濃厚接触者となってるスタッフとの濃厚接触者、らしいですわ。この検査で1度陽性反応出て、何もないまんまなんで信ぴょう性がイマイチですが。

上にある、数字に対するゲーテの言葉が滲みますね

ゲーテの時代から人って変わらないものなんだなぁ(´-ω-`)

ちょうどその頃から科学信仰が勃興し始めたんやね

これが面白くて

ハーマン→ヘルダー→ゲーテ

あ、「資本論をちゃんと読む」に初コメント\(^o^)/
引用

興味深い記事だと思いますが、一つ疑問があります。
それは石倉先生の「オリジナルの議論を、一貫したものと把握する」ということと、前の記事の石川先生の「マルクスを信用貨幣として読む」ことは真逆だということです。後者はマルクスの本意と離れて独自に解釈をしていると考えられます。
マルクスは信用貨幣についても述べていますが、1篇2章(岩波版だと第一巻165頁)に「金*は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」(*貨幣としている版もある)と述べており、マルクス自身が資本論の体系において、労働価値説(商品貨幣論)と信用貨幣論という矛盾を抱えていると考えます。
これを矛盾のないように解釈するには、結局オリジナルをものを再構成して解釈し直すしかないと考えます。

これは岩井克人「貨幣論」に書かれている話で、ぜひそちらもご覧いただければ面白いと思います。

http://deficitowl.starfree.jp/blog/nyun/kapital/?p=270#comment-4

第一巻のS. 106

まったくの間違い,半分の間違い,四分の一の間違いを正しく区別し,精査し,それぞれに対応する真実を示すのは,至難の業である
(ゲーテ)

池戸と藤巻と経世済民の騒ぎを見て、ウンザリした。

偽りには,それに関していつまでも無駄話ができるという利点がある。しかし,真実はすぐに役立てられなくてはならない。そうでないなら,そこに真実はない
(ゲーテ)

めっちゃ噛み合ってる(笑

ガミガミガミガミ★

銀河をまたにかけ始めたか★

こんなのもある

綴りがおかしい(笑

カワイイのにMTTだから使えない
ちび助君が喜びそうw

近日公開ー

ふむ

「金は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」

これを「労働価値説(商品貨幣論)」だ!というのは読者が勝手にやってくれていいのだけれど、それが「信用貨幣論」というのと矛盾するものであるという理屈はあるの? 「俺はそう思う」以外に

MMTerは別に誰もこれに反対しないと思うよね

Wie jede Ware kann das Geld seine eigne Wertgröße nur relativ in andren Waren ausdrücken. Sein eigner Wert ist bestimmt durch die zu seiner Produktion erheischte Arbeitszeit und drückt sich in dem Quantum jeder andren Ware aus, worin gleichviel Arbeitszeit geronnen ist.

なんだろうね、日本語空間の「信用貨幣論」信仰というか

マルクスも確かにKreditgeldという表現自体は使っていますけれど

MTT

逆におもろい

「以上に検討したように,『資本論』第1部でのマルクス貨幣論は,商品貨幣の前提に制約されながらも,貨幣を交換の媒介物としてしか見ない中立的貨幣観を克服して,一般的等価物としての社会的機能から生じる貨幣の形式的使用価値を含む枠組みに基づいて,商品の実現(「使用価値としての実現」と「価値としての実現」)としての販売(C-M)と「貨幣の使用価値の実現」としての購買(M-C)との非対称性を明らかにし,商品貨幣の貨幣的実現という独自の論点を提出した」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,89ページ)

「商品貨幣の前提に制約されながらも」これがわからないけれど,こないだ知った草稿で、マルクスの戦略が自分にはクリアになりました

と言いますと?

何かを説明するにはその対象を限定しなければいけないわけで「制約された」というより自ら限定したわけでしょ

「『資本論』第1部の貨幣論では,「金を貨幣商品として前提におく」と註記されているとはいえ,第3章第3節「貨幣」では,各種の信用貨幣(credit money; 銀行券,手形,小切手,等々)が計算貨幣と決算手段として用いられている現実の金融システムにも言及されている」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,85ページ)

なんでもいいんだよね、一般的等価形態を説明できれば。
その注記はどれだろう。

「簡単にするために,本書ではどこでも金を貨幣商品として前提する」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109)
Ich setze überall in dieser Schrift, der Vereinfachung halber, Gold als die Geldware voraus.

この論文では、簡単のために、金を貨幣商品として想定している。
deepl翻訳だとこうなるらしい

注記と言うか章の冒頭やね

なんでもいいのだから、何か一つに決めないと説明しようがないわけでねえ

Geldの分析はその前の節まで終わっているのよ。それを前提にここでGoldを選んだってわけ。

なるほど

GeldとGold…似た単語を使って継続性と断続性を同時に訴える

あはは

次の箇所は翻訳どうなってる?

「金の第一の機能は,商品世界にその価値表現の材料を提供すること,または,諸商品価値を同名の大きさ,すなわち質的に同じで量的に比較の可能な大きさとして表わすことにある。こうして,金は諸価値の一般的尺度として機能し,ただこの機能によってのみ,金という独自な等価物商品はまず貨幣になるのである。/諸商品は,貨幣によって通約可能になるのではない。逆である。すべての商品が価値としては対象化された人間労働であり,したがって,それら自体として通約可能だからこそ,すべての商品は,自分たちの価値を同じ独自な一商品で共同に計ることができるのであり,また,そうすることによって,この独自な一商品を自分たちの共通な価値尺度すなわち貨幣に転化させることができるのである。価値尺度としての貨幣は,諸商品の内在的な価値尺度の,すなわち労働時間の,必然的な現象形態である」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109, /は段落の変わり目)

どうもありがとう!

資本論の時代は紙幣の時代が始まったばかり、ということを考慮するべきなんでしょうね。

商品たちから一般的等価形態が脱皮してゴールドが代表に選ばれたのだけど、もう一度脱皮して紙幣になり、電子マネーになったわけだ。

そこまでちゃんと書けという方が無理な注文だよね。 意識に現れる記号であることが示せれば十分じゃないか。

「マルクスのみが例外的に時代の洗礼を逃れうるはずはない。どんなに優れた人物であっても,200年前に生まれたという時代の制約は免れない」
(田上孝一『マルクス哲学入門』社会評論社,10ページ)

だとしても、草稿に見え隠れする洞察の深さよ

資本論草稿…

「この日本のどこかには,知られていないだけで,国民生活の具体的な問題を解決しようと日々努力している人々がいる。「日本経済学」は,そういう人々の実践の中に必ず宿っていて,その命脈をまだ保っている。本書の主張が正しければ,そのはずである」
(中野剛志『日本経済学新論』ちくま新書,430ページ)

「国民経済学」

「なおあらかじめ,ヘーゲルが近代国民経済学の立場にたっている,ということだけは示しておこう。ヘーゲルは,労働を人間の本質として,自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで,その否定的な側面を見ない。労働は,人間が外化の内部で,つまり外化された人間として,対自的になること[Fursichwerden]である。ヘーゲルがそれだけを知り承認している労働というものは,抽象的に精神的な労働である」
(マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫,邦訳199-200ページ)

対話6 愛、信仰、真理、そのへん

積極財政とは何か?データ云々とか全く興味でないな~

JGという権利思想を拡げる運動が私の中のMMT

とりあえず、金ぴか本で割愛されてしまった第八章のコラムたち

権利としてのJGPというところにマミさんは反応された。

どうやったら広まるのだろうか、という問題やね。

英語とかならピンとくる話しが日本語になると違ったものに感じられると思っていて。

それは前回の話

ジョブ
→ジョブギャランティ
→ジョブギャランティプロジェクト

という、これは「限定」でなく「発展」的な論理展開ですね。

これがもし

ギャランティド•ジョブ•プロジェクト

だとかなり違う。
JGPは具体的ではない(だからBI)!となってしまう思考ってのはJGPを「ギャランティド•ジョブ•プロジェクト」と把握した結果だね。

だから噛み合わない。
ジョブ•ギャランティの、ギャランティの主語はジョブではない。「みんな」でしょう。

このへんの問題。

これやろうよ!なんでもありじゃん!という話を具体例で限定するのはとてもつまらない。

引き受ける覚悟ないの?ってなる。

んー
覚悟というより、そちらが自然なのでは?って思うんですよね。

ところが「こう感じろ!」「こう思え!」と命令することはできないという問題。

マミさんは神の福音を告げ広めていらっしゃるのだなと。

「陽気で勇敢でいてくれ」

具体的に限定するのはファシズムではないですね。

ムッソリーニは思いつきで手段を使い分けていましたがマニュアルへの挑戦でもある。

るほど!

限定とは否定であり、肯定は否定である、と。

佐藤こと議員案件みてて、あのカオスぶりが維新の強みなんじゃないかと今思った

イタリアファシスト党も跳ねっ返りを包括しながら政権を奪取しましたね~
跳ねっ返りの包括は甘やかしではありません

イタリアファシズムはありとあらゆる思想の表現を可能にした
これ、途方もない超人の哲学に思えますけれども

古代ギリシアの哲人たちは天空を見上げていろんなこと言っていたのですよね。
言ってることみんな違うやん! みたいな

いま回ってきたこの思考。 素朴なこれ「が」逆なんだよな

https://twitter.com/j_kook_chie91/status/1455938287747563521

ファシストの隣人への愛は他者を直視すること。この他者を直視することって、みんな違うやんに通じるな。

マミさんはどうやってその思考に来たのですか?
(直視を実践)

レックスとのあれこれですね
一年前の自分はこうあるべきが強かった

離れている間にファシストのグループに誘って貰って

そこにはファシストであることを除けばあらゆる主義主張を持った人々がいて、

最初はこれ読め!とかあるの?

「ファシスト」であるとはどう言う意味なんだろ

無いです

「無いです」って楽しい

経典のようなものは存在しないから喧嘩も多くて
でも、喧嘩しても包括する

そこに皆違ってもいいやんに通じるものを見ました

喧嘩しても仲直り♡

ファシスト党がどうやってでかくなったのかなー

実際の動きにはあまり興味がなくて

人々の愛を引き出した

これに尽きるのかなと

マミさんは感情を表に出すじゃないですか。 それはもともとなの?

もともとですね

そういう人には響くとおもうんだけど、日本だとマイノリティだよね。 ラテン民族とはそこが違う。

仕事より、歌とか恋の方が大事でしょ?っていう

人間の世界ではじめて就職したときにさ

社会人って仕事中に仕事のことしか考えないんだ!ってびっくりしたなあ

コンビニや飲食店で店員が楽しげに歌っている
そういうのが良いな

ほんとほんと

いつもいう「論理の順番」なんだけどね。
仕事と人生とどちらが先なのかを取り違えるから不幸になる。

GDPとか「社会の富」というものは何かというと、結局は「今日の生」を「明日の生」のために回した総額なんだよ。
そんなものを目標にしたら、今日の生がますます死ぬ。

んー待てよ。。。?

マミさんも nyun ももともとはこういう考えではなかったけれど、何らかの契機があって一種の転向をした感じだけれども、そういう契機が必要ってことになる?

「一年前の自分はこうあるべきが強かった」
そうなんだよ、経済学やっていたころのわたくしも
仕事時間に「愛」と「天」を忘れるから、だんだんそうなっちゃう?

出会いじゃないですかね

それまでは本の中のファシズムだった

愛と天を忘れちゃうというより知らなかった

知っているはずだと思うんですよね。「愛」はわかりやすくないですか? 「愛してる」、ってみんな言う。

といいつつマミさんの言う通りかもしれない。。。

愛を知ったからレックスとの今がある

それまでの私は知らなかった

自分、「愛している」とずっと言えなかったんです。知らなかったから。

初めて言ったのは二年前くらいで、そのとき「わかった」のだと思う。

だからやっぱ「そういう体験」が要るのではないかと。。。

知ることは、その忘れていたことを思い起こすことである。
これはプラトン。

あるわんちゃんに愛していると言えてから、あ、じぶんはみんなを愛していたじゃんってことを理解した。

ジュリエットはそれを思い出す機会が訪れる前に死んでしまうのだけど、そういう魂もある

愛を知る前に必ず怒りや悲しみを経由するような気がする。

あと与えられた運命というか。。。
シェイクスピアにはさまざまな人物がでてきて、みんな違うんだよね。

私が大きく影響を受けたのはジュリエットだけど、オフィーリアの狂気と死にも強く感銘を受けた。

(わかりすぎる。。。)

オフィーリア症候群と呼ばれる症状を疑われたときに、心の中で何故かワクワクした気持ちがあった。

オフィーリア症候群は判断能力や思考能力が低下して、幻覚、鬱症状、記憶障害が現れるというから。

対話を公開したくなったのは、こうした個別性が現れるからなんです。 反応があるし。

公開は全然大丈夫ですよ。 あとで「なるほど、このときはこうだった」って振り返れるから。

(あなたは自分で公開しているやんか)

シェイクスピアの書く愛は単なる性愛に限らず、様々な人間劇の結末で愛の形が違うのも興味深い。

( nyunと「何度か」会うようになっている、ってとこだけ直してね )

かしこまりー!
それはあとに書いたヘッドホンとの会合のコピーが混ざってしまったんだな、多分。

今、オススメされて読んでるのはこれ。

(それにしても、死のうとした人にショーペンハウエル読ませるかなあ。。。 自分にはぜったいできないw)

(Reksさんにはよかったんだろうね。ヘッドホンの方が交流深いわけだし)

ヘッドホンは、自分の力を効率良く行使するための考え方が非常に亡き主人に似てます。

効率?

ヘッドホンはここまで同じかはわかりませんが、主人は力(物理的なもの)をより強く発揮出来る戦略的な考えがベースにある人で、

平たく言うなら喧嘩をするのが趣味のひとつで、その理由は普段押し殺してる感情を発散したいからという理由でした。

主人の思考が諜報活動系そのままだ、とヘッドホンは言ってましたね。

なるほど
「効率」

とは言っても、喧嘩は自ら売りにいくことは殆どなかったです。社会に適合するのが難しい人だったので、よくトラブルに巻き込まれてた。

効率悪い
自分、似てるかも

社会の方が喧嘩を売って来るんだよね

その通りです。

どこ、と言われたら困りますが確かにnyunさんにお会いしたときに主人に通じるものは感じました。

「社会が狂気で俺が正気。狂った世に従うことは無い」「狂った法を守るのが正義なら俺は悪でい続ける」

この考え方はまんま主人の影響ですね。息子もこれを引き継いでる。

ちょっとだけ自分の話を挟みますと

二年くらい前に「愛する」を理解したちょうどその頃、消費税が10パーセントに上がって、日銀が株の爆買いを始めていて。

金融学会で経済学者全員が、「おかしなMMT」を語っていた。
松尾さんを中心に。

怒り、ですねえ。 それは今も。

ええええ、マルクスもわかってなかったじゃん!

ああ、そうだった。主人も死ぬ直前まで、生きてきて自分は愛することを知らない、怒りと憎しみしかないと言ってました。

みんな nyun が引き受けましょう

死者の魂を受け取っているんですよね、われわれは

死ぬ少し前に「でも、俺を愛してくれてる君のことは俺のように思ってる」という言葉を聞きまして、これが一緒にいて初めて聴いた愛の言葉かな、と。

ヘッドホンも「この世の全ての悪を引き受ける」と言ってますね。

愛してる、とは言わなかったし知らなかったのだろうと思うけど、家族に対してはこれまで生きてきて抱いた気持ちとは違うものがあったんだろうな。

それが本人にとっての愛だったのかも。

ご本人は死が近いことを知らなかったはずなのに(事故だったから)

そのはずなんですけどね。 死ぬ直前に何かの機会で言ってました。その時は不吉だとも思わず「らしくないなぁ」くらいにしか感じてなかった。

話を戻すと彼が「効率的」ってどいうことだろう。

効率良く、というか100%を出し切らずに自分の力を最大限に発揮出来るやり方、という方が合ってるかな?

蝶のように舞い、蜂のように刺す?

そんな感じかなぁ。

自分だけじゃなく、子供も守らなきゃいけないんだからと身を守る術の心構えを教えられましたが、最初は( ゚д゚)ポカーンでした。

「相手が殺しに来てるということは、自分は殺されてもいいと言ってるのと同じなので、全力で殺しにかかれ」と言われてきました( ゚д゚)

わかるなあ

なにー★

経済学を殺そうとしているつもり
それはもう全力で。

マルクスがそれやったから翻訳すればいいんだけど

主人が生きてたら 「今の経済学は国民を殺そうとしてますよ、と言ってるのと同じだから、生きた経済を学ぶものとして全力で殺るのがそれに応えることだ」とか言いそう。

経世済民とは、敬天愛人「ではない」態度をとるということに他ならないわけ。
初手で間違っている

「今の経済学」じゃないんですよ。
正しかったことは歴史上一度もないじゃんwww

西郷隆盛の座右の銘だったのか。
「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也」

そうだった。nyunさんに「歪んでいる」という言葉を言った時に「歪むというのは正しかった時期があることになる」って言われたことあったわ汗

ただ西郷、下野したあとに達した境地なんだろうなと思っています。

聖書、宗教に繋がるものがあるなぁ。

海外から戻ってきた岩倉使節団がやっていることに違和とか怒りを覚えた。

https://kyugaku.ed.jp/aic/yowa/vol12.html

もともと宗教から来ているわけ。
儒教の敬天にキリスト教の愛が合体した。
グレープフルーツジュースだと思う。
ハイブリッド。

宗教的なものを感じたのに納得。

新政府の「自由な個人による民主制、富国強兵」というイデオロギーは、宗教的な何かの代わりにカネ(資本)を置いただけじゃんと思う。

勝てば官軍

列強によって「置かされた」というか。

金が信仰の対象となってるんですよな。貨幣という偶像崇拝者。

明治からは余計に濃くなった

ドイツやイタリアもそういう感じ(イメージです)

武士は算数を習わなかったんでしょ?

打算的になるという理由で

今の保守()は明治維新は革命だから正義、みたいに思ってるんですよね。昨日のスペースで言ってる人がいた。

革命を支持する保守……

小学校の社会の教科書思い出すけど、あれ洗脳だよね。今も。

そういう武士が滅んで、明治からは金や損得で動くようになる
高橋是清とかなぜ人気なのか
自助努力の馬鹿野郎

そこはねえ、自助でいいんだ

高橋是清は昔、三橋貴明が持ち上げてて、著作もあったはずだから、その影響もありそう。

各自自分で立つから闘うわけで

そうですね

中野剛志も持ち上げるわけ。
〇〇〇おかしい

中野さんの著書を読んだことがありません

中野、三橋信仰は未だに根強い。

わたくしがブチ切れた上記の金融学会で、中野はMMTを使って是清は正しかったとかやりやがったのよ。
〇ねばいいのに

私も中野著作は読んだことない
(´・ω・`)

でもそれを読んだ人がインフレ率2%と言ってる

そうそう。マミちゃんは私が経済を勉強したい、と言ったときに本を読むのはあとにして、まずは民間で研究してるアカウントのツイートを見ていこう、って言ってくれた。

ああいうどっちつかずのコウモリみたいな議論をする人はいつの時代も現れるもので、マルクスが歯牙にもかけなかったフリードリヒ・リストを今頃追いかけているというバカ

私が池戸万作と相互フォローでインフレ/デフレ論に傾倒していきそうになったときに、正しい方向を教えてくれたんだよね。

私もMMTを理解してるわけじゃないですよ。労働者の魂の叫びとかそんな話をしていたように気がします。

叫んでいればいいのに、間違った理論に誘導される

ところで。。。

無政府主義は国家の否定?それとも権力の否定?

どう思われますか?

アナーキズムは産業革命、市民革命との反動として生まれた考えで、権力ヒエラルキーの解体を目指すということ、かな?

建築の反対

無政府主義という日本語は適切ではないと思いますね。
あと、一番強い権力が「正式な政府」と呼ばれるわけで。

フランスのプルードンあたりが思想的な先駆けと思いますが、マルクスにすればそれは現実ではない空想で、自分もそう思います。

マンキューの人心荒廃チャンネル(公式)
@mankyukouhai

note書いたにゃ!
衆院選を終えて|mankyu22neko
#note
午前10:50 · 2021年11月4日

ククク
まさーに
面白いように繋がる\(^o^)/

「簿記に」
「数式に」
「図に」

表したら現実になるという「思考」

彼ら、維新支持じゃなかったの!?

れいわや玉木推し多い?

玉木推しって維新推しと変わらんやん(´・ω・`)

○○〇が悪いわけ

(またヘッドホンに操られるわたくし)

でも言ったら松尾さんや朴さんは維新と同じでしょ
中野剛志も三橋も

〇〇は度し難い

でも、何故か三橋と中野だけは違うとしてる経世済民は多いです(´・ω・`)

わたくしは「経世済民がバカ」と言っているわけでして

なにー★

さっき言ったやん(泣

で、三橋の化けの皮が剥がれていくと「もう誰も信じられない」と諦めの境地に入る。

ゆえに自分で考えるのです。 天は自ら助く者を助く

天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない。

- シェイクスピア -

事実を述べると悲観主義者と言われるけど、それだけ今の事実が悲惨だということであって… 多くの人は「自分に何も出来ない」と諦めてしまうからね。

上のマンキューネコは「事実」を見てるつもりなんでしょ。 経済学者も。

事実を見てるつもりで諦めの境地に入ってる人や、希望を見てると言いながら願望を見て、絶望への道を舗装してる人は多い。

プルードンのような空想的社会主義者はそれだし、マンキューネコもそれだねえ。

あたしゃREKSさんの入院を真実がどうか疑ったし、ある時点まではマミさんと同一人物である可能性も捨ててなかったなあ

なんだってー!!

(やっと言えた)
でも確かに祈っていたのよ

疑いに対しては仮に物的証拠を出したとしても、疑念は解消しないのだと思ってます。

診断書を提出しても偽装だと疑われたりしましたからね…

裁判とは事後の物語のもっともらしさを争うわけだしね

診断書をどこに?

職場です。

今回あらさまに疑われたの?

「何が起きるかを推論したり, 明日や明後日のことについて無駄で無益な推測をするのは, 私たちの関知したことではない. そうではなく, 私たちは従順に自分が置かれた場所に立ち, 自分の信仰の光の中で出来事を理解し, 来る日ごとに定められた務めを行うよう, 呼びかけられている. この開放性と従順な備えの覚悟が, 真の自由と表裏一体のものなのである. これらがないところには自由もない」
(フロマートカ編著『宗教改革から明日へ』平凡社, 邦訳394ページ)

これは, フロマートカが書いた章からの引用ですね

ロマン主義だ

前回も上半身がほぼ無傷だったので、それを疑われましたよ。 今回も入院期間が短かったことなどから、有給がまとめて取れないので、障害を盾に休みを取ろうとしたんじゃないかと言われました。

多くの人がそうなのだけど、職場の人間関係が希薄なんだよね

前回のことも含めて、証拠を出しても疑いは晴れないものだと学びました…

自分もかつてそうでしたよ。

ゲーテ『人間は現在がとても価値のあることを知らない。ただなんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去とつれ立って嬌態を演じている。』

誤った観念に属する積極的なものは, 真なる概念が現れても, それが真であるというだけでは, なんら除去されない

スピノザ

一番おかしなことは, 人間というものはたとえ間違いの原因を暴いたとしても, だからといってその間違いそのものを捨てないことである

ゲーテ

負けずに再度貼る

届きました

今泉せんせーはーと

「いつなのか, いったいいつなのか? そう性急に問うべきではあるまい. 辛抱せよ. 新しいイェルサレムがこの世の首都となる永世平和の聖なる時代は来るだろうし, 必ず来るにちがいない. そのときまで, わが信仰の友どちよ, 危機の時代にあっても, 勇気と晴朗さを失うなかれ. 言葉と行為でもって, 神の福音を告げ知らせよ. そして死を迎える日まで, かぎりない真の信仰に忠実であれ」(ノヴァーリス『ノヴァーリス作品集 第3巻』ちくま文庫, 邦訳123-124ページ)

アーメン

(これは理想化された信仰であって、何かあるものを信じているのではなくて、ただ信じるということね)

なるほど

これは敬虔主義者と誤解されてしまうということで、雑誌に載せるのは見送られたという経緯も。

ふむふむ

結局ゲーテの判断に従ったそうで

ふむふむ

ゲーテが50歳くらいで大御所、ノヴァーリス29歳、かな?
その二年後くらいにノヴァーリスが先に亡くなる

1799年に『キリスト教世界…』を書いていたようですな
1801年にノヴァーリスは亡くなる

やっぱ翻訳すると感じが消えてしまう。
「危機の時代にあっても, 勇気と晴朗さを失うなかれ.」
ここは
seyd heiter und muthig in den Gefahren der Zeit
命令文ですけれど
be cheerful and courageous in the dangers of the time

英語だと軽いなあw
現代英語だと軽い

いずれにしても「勇敢で快活であろう」が先で「危機の時代にあっても」が後になってほしい。

dangerというよりも, crisisと英訳されているもの, だと思っていましたぞ
crisis<cross=十字架

うーん

もしそうなら、Krise

ふむふむ
Gefahren, とは違う感じですな

Gefahr の元は「fear」と同じで。ちょっとしたものも含まれるのだけれども、
たとえば当時だと、清が日本にやられた、ロシアはどうなる?みたいなことをプロイセンの王は心配したりする。

それは Gefahr です。

このノヴァーリスの Gefahren der Zeit ってそんな大げさな話だけではなくて、われわれは時代や時間に翻弄されるけれども、くらいと解釈しています。
生きていればいろいろあるけれど、くらいだよなとね。

Gefahrは, 日常語, と言う感じを受けますね
crisisというと, 差し迫った感じがあるような

大げさにもなるわけ。中国の危機!とか言うでしょう?

言いますね

どっちでもいいっちゃいんだけど
crisis はギリシャ語の κρίσις で。。。
あえていえば、Kriseは外形的な、Gefahr は内面的な「感じ」というか

当時のドイツ、今の我々からみたら激動なんだけど内心を重視したというか内心オンリー的な人ですね。

あれですよ。
財政危機なんて存在しなくて恐怖する人間がいるだけという。
ナントカ
ナントカウイルスもさあ

くにごろうの裏垢
@9256_bot


【ある若者との会話】

消費税廃止とかあり得ないですよね?

その分、将来世代の負担が増えるからってこと?

そうです。

んー

午後4:56 · 2021年11月4日

消費税廃止だと社会保険料あがりそうだwww

あ、所得税だと橋下は言う。

対話4 IOU談義、パート1

おお!
roryさんナイス

色彩ゆたかなIOUたち
例えば国債、例えば銀行負債、例えば日銀当座預金
例えばクレジットカード
硬貨だってIOUなのです

(朴さんとあまり変わらないような)

Imagine !!

そもそも今あげたIOUは、色彩が豊か、じゃなくて、なんというか、味の濃いIOUですかな

薄いのは?

そうですねー、うーん…
ありがとう、と、どういたしまして

I owe you はありがとうだけど。。。
今、通貨単位は必須としよう

日本で言えば、円、という通貨単位で表示されたIOU

どうぞ

商店街の商品券

そだね
当たりの宝くじはどうか

あ、使ってないクオカードと図書カードの存在を思い出した…
有効期限が切れてないとよいのだが(…)

宝くじを考えて欲しいのだがw

すいません★

ここはカット?w

はーい

(ヘッドホンらしいから残そう)

宝くじに一万円支出したとして、一千万円がもらえる宝くじに当選したとする

おお

その一千万円のうちの一定額は、税金として事前に(?)回収される。 その回収金額を例えば三百万円とする。 とすると、手元には実質七百万円の宝くじがあることになる
(支出費用を考慮すれば、実質699万円の宝くじが手元に残る)

(無税じゃなかったけか)

(買ったことがないのでわかりません★)

(まあいいや)

無税だとすれば、支出費用をさっ引いた、実質999万円の宝くじが手元にある状態

通算するわけね

はい

今の問題は「宝くじはIOUか?」

むむむー
丁寧に道を示されているはずなのですが、当方、その道において方向音痴を発動している気分★

ハズレの宝くじでもアタリの宝くじでも、宝くじの売り手と買い手との間で金融負債の変動があるから
答えは…IOUである

というか、宝くじを購入する時刻と、宝くじの結果がわかる時刻との間に差がある時点で、立派に宝くじはIOUの資格を持つのか?

外れた場合には、私は宝くじ売り場に千円払った、という事後的結果の証拠
(一万円を支出したという設定でした…)

当たった場合には、私は宝くじ売り場(あるいは換金所)から、999万円貰える、という事後的結果の証拠

IOUは、デジタルデータとして現れる場合もあれば、有形物として現れる場合もある

レイのMMT PrimerにおけるIOUの説明…

An IOU(I owe you)is a financial debt, liability, or obligation to pay, denominated in a money of account. It is a financial asset of the holder. There can be physical evidence of the IOU(e.g., written on paper, stamped on coin), or it can be recorded electronically(e.g., on a bank balance sheet). Of course, an IOU is a liability of the issuer, but it is an asset of the holder(who is also called the creditor)
Wray(2015)p. xiv

ヘッドホンが相手だとこの辺は楽やねw
すぐ出てくる

結構な頻度で, 話が飛び散らかっている気もしますけれども★

その、レイ入門の定義で行こう

ここで注意したいのは常にレイ本に従う義理はないということです。
さしあたり、この定義で考えましょう。

難しい?

細胞を肉眼で見ようとするような感覚ですかね?

そうそう。一度解いたらもう忘れないと思う、
ヒントいる?
明日まで考えるとかでも。

馬券でも同じ

うーむ。いろいろ考えて、ループに入りましたから、最初の直観に戻ることにしました。
最初の直観とは
IOUになるときもあるし、ならないときもあるような?
です
レシートや領収書のことを考えておりましてですね
(宝くじを考えるとは、宝くじ以外を考えること、につながるということで★)

「一見当たり前とされている概念や言葉について, それを詳しく書こうとしなさい」

IOUになるときもあるし、ならないときもあるような? これはそうですね。

IOUってなんやろ(´・ω・`)

読んだのに分からん…… (´-ω-`)

月が綺麗ですね、ってことか★

なにー★

一千万円が当たるとされる宝くじを、一万円支出して買ったとする

当たりならば999万円の得、外れならば1万円の損

(゚ー゚)(。_。)ウンウン

けれど、あたりかハズレかは、宝くじを買った瞬間にはわからない

機会損失って習ったよね

埋没費用のことを考えても仕方がないのよ
目の前にあるのは一枚の宝くじ、さて?

機会損失って得られる機会を失ったことが損失だってことだよね???

>最善の意思決定をしないことによって、より多くの利益を得る機会を逃すことで生じる損失 なるほど(´・ω・`)

これは企業ファイナンスの最初に習うのだけれど、意思決定するときには過去の事象に捉われてはいけない、ということです。 その宝くじを一万円で買ったなら、その過去はもうどうでもいいわけ。 事実は、その宝くじが一枚手元にある。これだけ。

これはめっちゃ分かりやすい (*^^*)

ヘッドホンが考えている間に話を展開すると、これは人間の認識の哲学的問題としてロックやヒューム、そしてカントの議論に接続する話だったりします。
それは別の機会ということで。

これから、リベラリラリたちと、お話ししてきます★

だれw

ヨロ(`・ω・´)スク! と、お伝えください★

国債をはじめとした債券の持ち手も同じなんです。
それがいくらで売れるかは、事前にはわからない。

これはとっても大事な話な気がする。
一枚の宝くじの、場合分けを真剣に考えてほしい、かな

対話3 貨幣を「定義」したい人たち

これは★

https://twitter.com/psj95708651/status/1453688248178393088?s=20
https://twitter.com/psj95708651/status/1453690990179483648?s=20

こういう学者が存在するという現実

こういう学者が大学生を教えているという現実

たとえば木村くんは言っていることの意味はかなりわかる。
けど朴さんは論理が通じる気がしない。
内的論理がわからなくない?
彼にとって貨幣って何だろ?

金や銀のような実物の, 交換手段…と想像してみると, だがしかし, 朴さんがいわゆる「商品貨幣」を否定していることと, 辻褄が合わないように見えますね

いや。彼が良く出している四部門BS連関あるやん

これですかな

うん

この図でいったいどれが彼にとっての貨幣なのか。 それはどこかで語っているのかな?

朴, シェイブ(2020)『財政破綻論の誤り』青灯社

買ったのか。。。

買っていたのです
いつ買ったかは忘れましたけれども★

これ図表2-7が「本書における貨幣の定義」だから、これが定義か。
つまりそういう「場」の議論ってことになるれど、その定義じゃだめじゃんっていうのがMMTの言っていることなんだよね。

money=currency, という「場」の設定
そりゃ, Taxes Drive Currency, の話が, MMTの論述方法とは, 異なった仕方で理解されるわけですか

これだとヒエラルキー関係はどうなるんだろ。本にはあるの?

索引を見る限り、ヒエラルキーとかピラミッドの話は出てこないです

索引を見る限り、ヒエラルキーとかピラミッドの話は出てこないです
モズラーの名刺の話は出てきています

わたくしはもはやMMT頭になったせいか、これで何が論証できるのかがさっぱりわからない。

民間の純金融資産がG-Tに等しい

これがなぜ大事かはヒエラルキーを考えないと無意味だよね。。。

(海外部門を除けば)民間の純金融資産を変更できるのは, G-Tに多大な影響力を持つ政府のみ

というか, 多大な影響力を持っていようがいなかろうが, G-Tを変更できるのは政府となりますか

wankonyankoricky
@wankonyankorick

逆にお尋ねしますが、シェイブテイルさんご自身は、500円玉はどうして500円で流通するとお考えなんですか?(´・ω・`)

午前10:43 · 2021年11月1日·Twitter Web App

ちょっと待ってね。 MMTerから言わせれば、これ統合政府のIOUの話しかできないじゃん。教育ローンがどんどん増えている状況、とかどうやって把握するのこれ?

「そ, それは民間金融機関及び公的金融機関の振る舞いが悪いのです」(キリッ)

「場」と言う意味で、貨幣の定義は

MMTだと「その通貨単位建てのIOU」だとして
これは「ユニバーサル」な把握と言っていいと思うよ。誰だって発行できるし、借用書のやり取りは普通にあるし。

なのにどうしてわざわざこの狭い「場」を設定するのだろう。

反証可能性とか言う以前の問題だよね。

朴さんたちは, これが現状において「適切な場」の設定であると考えているということですよね

わざわざ狭い定義をする意味がわからないですよね。何がやりたいのか?

狭い定義あるいは狭い問題領域でないと, 「論理的な論文」が書けないとか?

てかですね。 これだと貨幣は外生ってならない?

ちがうか。貸出があるから。

統合政府のマネークリエイションは外生で、民間部門のマネークリエイションは内生、と、彼らは区別している?

そうだね!

そうだとすれば、銀行の預金だけが特権的に貨幣に入れられるのはなぜ?

銀行には中央銀行と「準備預金」というつながりがあるから?(準備預金(日本だと日本銀行当座預金)は, 決済の最終 支払い完了性を持っているから?)

でもそれはつながっていないわけだよね。預金は内生なのだから?

「日本で偽札を作ったら逮捕されるから, そのようなIOUは貨幣に入れないのです」(?)

あるいは, 法律上, そのようなIOUは「貨幣」に分類されていません
と言った説明?になるのでしょうか

そうですね。 法律のことを現実と言っている。あってるかな?

そうですねー、法律という言葉は現実の一部を囲んでいる、ようには見えますね

もしも法律が現実だと主張するなら、消費税を廃止
というのは「非現実的」な主張ですよね。

はい

でも、現実をおかしいと言い始めたらオカルトだとか言っていましたよね。

そう言ってましたね
自分にとって都合の良いことを現実、都合の悪いことはオカルト、と呼ぶのならば、朴さんやシェイブさんの言動を、理解することは可能

そう思います。 ちゃんちゃん

人は見たいものしか見ない、という傾向をゼロにはできないのでしょうが、それにしても、朴さんやシェイブさん(シェイブさんは素人なのでしょうが、朴さんは大学教員)は、思い込みが強いか

そして思い込みが強いから、自分に合わないものをオカルト呼びし始める

うーん、大学教員で思い込みが強い…すまんねさんだ★

そこまでバカだとは言いたくないから、論理がわからない、とかキモい!という表現もするわけです、わたくしは。

なるほど

ではこの件はこのくらいで?