ホーム » ことば » 対話20:商品は「感覚的に超感覚的な事物」である(マルクス)

対話20:商品は「感覚的に超感覚的な事物」である(マルクス)

「歴史は本質的に精神の歴史であるが,これは《時間のなかで》経過していくものである。したがって,「歴史の発展は時間のなかへ落ちる」ということになる。けれども,ヘーゲルは精神の内時性をひとつの既成事実として指摘することで満足せず,精神が「非感性的な感性的なもの」として時間のなかへ落ちるということがどうして可能であるのかを理解しようと努めている」(ハイデッガー『存在と時間 下』ちくま学芸文庫,S. 428,邦訳409ページ)

「人間が自分の活動によって自然素材の形態を人間にとって有用な仕方で変化させるということは,わかりきったことである。たとえば,材木で机をつくれば,材木の形は変えられる。それにもかかわらず,机はやはり材木であり,ありふれた感覚的なものである。ところが,机が商品として現われるやいなや,それは一つの感覚的であると同時に超感覚的であるものになってしまうのである」(マルクス『資本論』第一巻,S. 85)

ein sinnlich ubersinnliches Ding

ん?

ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと)

ein sinnlich ubersinnliches Ding (資本論 S. 85)

これ「一つの感覚的であると同時に超感覚的であるもの」 なのだろうか

Es ist sinnenklar, daß der Mensch durch seine Tätigkeit die Formen der Naturstoffe in einer ihm nützliche Weise verändert. Die Form des Holzes z.B. wird verändert, wenn man aus ihm einen Tisch macht. Nichtsdestoweniger bleibt der Tisch Holz, ein ordinäres sinnliches Ding. Aber sobald er als Ware auftritt, verwandelt er sich in ein sinnlich übersinnliches Ding. Er steht nicht nur mit seinen Füßen auf dem Boden, sondern er stellt sich allen andren Waren gegenüber auf den Kopf und entwickelt aus seinem Holzkopf Grillen, viel wunderlicher, als wenn er aus freien Stücken zu tanzen begänne.

形容詞の語尾に注目。
この翻訳は sinnlich と ubersinnlich がどちらも Ding(もの)を修飾する形容詞であるかのように扱っている。

けど、それば文法的におかしくて、たとえば直前の ein ordinäres sinnliches Ding というところだと、ordinäres (ありふれた)と sinnliches (感覚的な)の二つはどちらも語尾が -es になっていてこの二つは形容詞で Ding を修飾しているということがわかる。

でも、 ein sinnlich ubersinnliches Ding の sinnlich は sinnliches になっていないから形容詞じゃなくて ubersinnliches にかかる副詞。

「かたちが変化しても材木はなお材木であって,「ごくふつうの感覚的事物」なのだ。それでも,おなじ机が商品として登場するや,それはすぐさま「感覚的に超感覚的な事物 ein sinnlich ubersinnliches Ding」となる」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,63ページ)

❤️

引用部冒頭の Es ist sinnenklar 、も「わかりきったことである」で間違いではないけれど sinnnen – klar 、「感覚的に明らかである」です。

「マルクスはここで商品とは「感覚的であるとともに超感覚的である」ものとも,「感覚的であるにもかからわらず超感覚的である」ものとも語っていない。「感覚的に超感覚的 sensible insensible, sensiblement suprasensible」と語っているのだ。この間の消息にデリダが注目するのは,やはり,それなりの読解であると言うべきだろう(デリダ,二〇〇七年,三一三頁)」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,71ページ)

❤️
デリダはドイツ語版を読んでいないか、母語ではないから気づかなかったかな

フランス語版を読んでいる可能性が高い?

フランス語版を読んでいることは確実

デリダ『マルクスの亡霊たち』藤原書店

とのこと

その翻訳は面白かったけど、今度は自分がデリダの原文を読めないので(笑

フランス語は学部時代に一年だけ触れたのみである私…

あ、まちがえた、デリダはちゃんと読めている(はずかしい)

上の、この個所の出展は何ですか?
「訳者」とは?

”ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと) ”

存在と時間,ちくま学芸文庫,細谷貞雄訳

ということはヘーゲルにもこの表現があるのか!

この注2の箇所です

その訳者注

ハイデガーが引用元を示していて,そこを訳者が探しに行ったら該当箇所が見つからないというのですが…

Die Geschichte, die wesenhaft solche des Geistes ist, verläuft »in der Zeit«. Also »fällt die Entwicklung der Geschichte in die Zeit«1. Hegel begnügt sich aber nicht damit, die Innerzeitigkeit des Geistes als ein Faktum hinzustellen, sondern er sucht die Möglichkeit dessen zu verstehen, daß der Geist in die Zeit fällt, die »das unsinnliche Sinnliche«2 ist.

1 Hegel, Die Vernunft in der Geschichte. Einleitung in die Philosophie der Weltgeschichte. Herausg. v. G. Lasson, 1917, S. 133.
2 a. a. O.

存在と時間の原著から引用

a. a. O.
am angegebenen Ort

注1と同じ個所と言う意味だから…

>Die Zeit ist wie der Raum eine reine Form der Sinnlichkeit oder des Anschauens, das unsinnliche Sinnliche, – aber wie diesen, so geht auch die Zeit der Unterschied der Objektivität und eines gegen dieselbe subjektiven Bewußtseins nichts an.

!!

das unsinnliche Sinnliche 、あるやん(笑

訳者の探し不足でしょうか

勘違いは時々ありますよね

そうですね

マルクスの ein sinnlich ubersinnliches Ding は意図的にひっくり返しているのか

僕もそう感じました

ハイデガーと熊野純彦を通じて,ヘーゲルとマルクスの対応を知る★

資本論を初期マルクスや後期マルクスとの整合性を取りながら読むのもいいけれど、そうした背景は背景ととしておいても「作品」資本論は突出しているのだから丁寧に読みたい。

とりわけ出だしは。

「ともあれマルクスも,著作の冒頭部分に神経をつかう著述家でした。あるいはマルクスこそとりわけそうだったと言っておいてもよいでしょう」(熊野純彦『マルクス資本論の哲学』岩波新書,4ページ)

「それにもかかわらず、机はやはり材木であり、ありふれた感性的なものである。ところが机が商品として現れるやいなや、それは感性的で超感性的なものになってしまうのである。」
—『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想 (角川選書)』佐々木 隆治著

「(マルクスは)商品を「一つの感性的・超感性的な事物」 ein sinnlich ubersinnliches Ding と呼んでいる」
—『資本論の哲学(平凡社)』廣松渉著

うーん


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です