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対話20:商品は「感覚的に超感覚的な事物」である(マルクス)

「歴史は本質的に精神の歴史であるが,これは《時間のなかで》経過していくものである。したがって,「歴史の発展は時間のなかへ落ちる」ということになる。けれども,ヘーゲルは精神の内時性をひとつの既成事実として指摘することで満足せず,精神が「非感性的な感性的なもの」として時間のなかへ落ちるということがどうして可能であるのかを理解しようと努めている」(ハイデッガー『存在と時間 下』ちくま学芸文庫,S. 428,邦訳409ページ)

「人間が自分の活動によって自然素材の形態を人間にとって有用な仕方で変化させるということは,わかりきったことである。たとえば,材木で机をつくれば,材木の形は変えられる。それにもかかわらず,机はやはり材木であり,ありふれた感覚的なものである。ところが,机が商品として現われるやいなや,それは一つの感覚的であると同時に超感覚的であるものになってしまうのである」(マルクス『資本論』第一巻,S. 85)

ein sinnlich ubersinnliches Ding

ん?

ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと)

ein sinnlich ubersinnliches Ding (資本論 S. 85)

これ「一つの感覚的であると同時に超感覚的であるもの」 なのだろうか

Es ist sinnenklar, daß der Mensch durch seine Tätigkeit die Formen der Naturstoffe in einer ihm nützliche Weise verändert. Die Form des Holzes z.B. wird verändert, wenn man aus ihm einen Tisch macht. Nichtsdestoweniger bleibt der Tisch Holz, ein ordinäres sinnliches Ding. Aber sobald er als Ware auftritt, verwandelt er sich in ein sinnlich übersinnliches Ding. Er steht nicht nur mit seinen Füßen auf dem Boden, sondern er stellt sich allen andren Waren gegenüber auf den Kopf und entwickelt aus seinem Holzkopf Grillen, viel wunderlicher, als wenn er aus freien Stücken zu tanzen begänne.

形容詞の語尾に注目。
この翻訳は sinnlich と ubersinnlich がどちらも Ding(もの)を修飾する形容詞であるかのように扱っている。

けど、それば文法的におかしくて、たとえば直前の ein ordinäres sinnliches Ding というところだと、ordinäres (ありふれた)と sinnliches (感覚的な)の二つはどちらも語尾が -es になっていてこの二つは形容詞で Ding を修飾しているということがわかる。

でも、 ein sinnlich ubersinnliches Ding の sinnlich は sinnliches になっていないから形容詞じゃなくて ubersinnliches にかかる副詞。

「かたちが変化しても材木はなお材木であって,「ごくふつうの感覚的事物」なのだ。それでも,おなじ机が商品として登場するや,それはすぐさま「感覚的に超感覚的な事物 ein sinnlich ubersinnliches Ding」となる」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,63ページ)

❤️

引用部冒頭の Es ist sinnenklar 、も「わかりきったことである」で間違いではないけれど sinnnen – klar 、「感覚的に明らかである」です。

「マルクスはここで商品とは「感覚的であるとともに超感覚的である」ものとも,「感覚的であるにもかからわらず超感覚的である」ものとも語っていない。「感覚的に超感覚的 sensible insensible, sensiblement suprasensible」と語っているのだ。この間の消息にデリダが注目するのは,やはり,それなりの読解であると言うべきだろう(デリダ,二〇〇七年,三一三頁)」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,71ページ)

❤️
デリダはドイツ語版を読んでいないか、母語ではないから気づかなかったかな

フランス語版を読んでいる可能性が高い?

フランス語版を読んでいることは確実

デリダ『マルクスの亡霊たち』藤原書店

とのこと

その翻訳は面白かったけど、今度は自分がデリダの原文を読めないので(笑

フランス語は学部時代に一年だけ触れたのみである私…

あ、まちがえた、デリダはちゃんと読めている(はずかしい)

上の、この個所の出展は何ですか?
「訳者」とは?

”ハイデガーの「非感性的な感性的なもの」→ヘーゲル『歴史における理性 世界史の哲学への序論』(ゲオルグ・ラッソン校訂版 1917年 133ページ)からの引用(とハイデガーは指示しているが,訳者曰くそのページに「非感性的な感性的なもの」を指すだろう表現はないとのこと) ”

存在と時間,ちくま学芸文庫,細谷貞雄訳

ということはヘーゲルにもこの表現があるのか!

この注2の箇所です

その訳者注

ハイデガーが引用元を示していて,そこを訳者が探しに行ったら該当箇所が見つからないというのですが…

Die Geschichte, die wesenhaft solche des Geistes ist, verläuft »in der Zeit«. Also »fällt die Entwicklung der Geschichte in die Zeit«1. Hegel begnügt sich aber nicht damit, die Innerzeitigkeit des Geistes als ein Faktum hinzustellen, sondern er sucht die Möglichkeit dessen zu verstehen, daß der Geist in die Zeit fällt, die »das unsinnliche Sinnliche«2 ist.

1 Hegel, Die Vernunft in der Geschichte. Einleitung in die Philosophie der Weltgeschichte. Herausg. v. G. Lasson, 1917, S. 133.
2 a. a. O.

存在と時間の原著から引用

a. a. O.
am angegebenen Ort

注1と同じ個所と言う意味だから…

>Die Zeit ist wie der Raum eine reine Form der Sinnlichkeit oder des Anschauens, das unsinnliche Sinnliche, – aber wie diesen, so geht auch die Zeit der Unterschied der Objektivität und eines gegen dieselbe subjektiven Bewußtseins nichts an.

!!

das unsinnliche Sinnliche 、あるやん(笑

訳者の探し不足でしょうか

勘違いは時々ありますよね

そうですね

マルクスの ein sinnlich ubersinnliches Ding は意図的にひっくり返しているのか

僕もそう感じました

ハイデガーと熊野純彦を通じて,ヘーゲルとマルクスの対応を知る★

資本論を初期マルクスや後期マルクスとの整合性を取りながら読むのもいいけれど、そうした背景は背景ととしておいても「作品」資本論は突出しているのだから丁寧に読みたい。

とりわけ出だしは。

「ともあれマルクスも,著作の冒頭部分に神経をつかう著述家でした。あるいはマルクスこそとりわけそうだったと言っておいてもよいでしょう」(熊野純彦『マルクス資本論の哲学』岩波新書,4ページ)

「それにもかかわらず、机はやはり材木であり、ありふれた感性的なものである。ところが机が商品として現れるやいなや、それは感性的で超感性的なものになってしまうのである。」
—『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想 (角川選書)』佐々木 隆治著

「(マルクスは)商品を「一つの感性的・超感性的な事物」 ein sinnlich ubersinnliches Ding と呼んでいる」
—『資本論の哲学(平凡社)』廣松渉著

うーん

対話19:モデル、翻訳、資本論のヘラクレイトス

”人間はたしかに思考する動物であり、人間にとっては生きるとは食べることと共に思考することなのである”

”「表現する」などとは思い上った絵空事にすぎない”

”論理学もそうであるが学というものは元々持って廻るのが仕事なのである”

大森荘蔵著「思考と論理」ちくま学芸文庫

さて、ここである。

注65「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。)この箇所へのラサールの注,二二四ページの注三は,貨幣を,まちがって,単なる価値章標だとしている

マルクス『資本論』第一巻,S. 120

ドイツ語原本

ヘッドホンが見つけてくれた、そのラッサールの本、224ページの注3

さらにこの次のページまでまたがるこの長ーい注記3は、たしかにマルクスの言う通り、貨幣を価値標章としてみている。
ただ、この注は何に対する注かというと。。。
(翻訳は deeplにて)

Dinge gegen Gold und des Goldes gegen die Dinge mit dem Umtausdy dieser in Feuer und des Feuers in diese vergleidyen , da ihm ja das Feuer – und es ist für das Vorliegende gleichgültig , ob als stoffliches Element , oder audy als dieses nur , weil es ihm die reinste Darstellung des sich selbst aufhebenden Werdens war – das ideelle allen Elementen und Dingen zu Grunde liegende einheitliche Substrat war , so daß durd , die Umwandlung des Feuers — burd seine Bewegung , sich selbst aufhebend in die Wirklidykeit zu treten – alles sinnliche Dasein , die Welt der realen außereinander seienden Unterschiede , erzeugt wird und diese Viel heit der realen Untersd , iede beständig wieder in jene ideelle Einheit des Feuers wie in einen Saamen negativ zurüdgewandelt wird.
(というのも、彼にとって火は–物質的な要素としてか、あるいはこれだけとしてかは現在のところ無関心だが–、自己消滅する成り行きの最も純粋な表現であり、すべての要素やものの根底にある理想的な統一基質だったからである。というのは、火の変容によって、つまり自己相殺的に現実に入り込もうとするその運動によって、すべての感覚的存在、互いに離れて存在する現実の差異の世界が生み出され、この現実の差異の多重性は、種子に戻るように、絶えず火の理想的統一体に否定的に変容されるからである。)

注3の方はだからそれほど重要ではないとして(面白いけれど)、こちらの部分。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」(F・ラサール『エフェソスの暗き人ヘラクレイトスの哲学』,ベルリン,一八五八年,第一巻,二二二ページ。

ちょいとややこしいのだけど、ここはプルタルコスがヘラクレイトスを論じている箇所についてラッサールがいろいろ論じているのです。

プルタルコスによるギリシャ語の部分

, ώς γαρ εκείνην φυλάττουσαν εκ μέν εαυτής τον κόσμον , εκ δε του κόσμου πάλιν αυ εαυτήν αποτελεϊν , πυρός τ ‘ ανταμείβεσθαι πάντα , φησίν ο Ηράκλειτος , και πύρ απάντων , ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός · ούτως ή της πεντάδος προς εαυτήν σύν οδος

この直前の箇所、ラッサールはこのプルタスコスのギリシャ語をドイツ語に翻訳している。

マルクスの引用は大月書店版ではこう。

「ヘラクレイトスは言った。火が万物となり,また万物が火となること,あたかも黄金が諸財貨となり,また諸財貨が黄金になるごとくである,と。」

資本論原本は、こう。

(65) “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

ところが! 原文には “Aus dem …” と言う文字はない!

意味としてはこの個所なのだろう。
”das Feuer aus Allem , gleich wie gegen Gold die Dinge und gegen die Dinge das Gold”

かなり違う。

だからここは「ヘラクレイトスはこう言った」というプルタルコスのギリシャ語のドイツ語への翻訳をマルクスが(ラッサールではなく)行ったということになる。

そうであれば、田上説のようにラッサールを腐したいだけ?と考える人も出てくる。

しかし、 “Aus dem … Feuer aber wird Alles, sagte Heraklit, und Feuer aus Allem, gleich wie aus Gold Güter und aus Gütern Gold.”

これ資本論のこの個所にあまりにもピッタリなのである。

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

ώςπερ χρυσού χρήματα , και χρημάτων χρυσός

金の財貨たち、そして財貨たちの金のように

ホスペル クルスー クレーマタ カイ クレーマトーン クルソス

あ、やはり!(今見つけた英語版の記述を見て

英語版だとギリシャ語の引用だ。

Güter は品物でいいかな。 金の品物、品物の金

クレーマタ、というのは必要とされるもの、という感じがありますね

商品の流通過程で、W(Ware、商品)は必ずG(Geld、貨幣)の形態をとる。 Wのまま持ち手が変わることは、ない。

左の人はW-Gとして手放し、右の人はG-Wとして受け取り、右の人がさらに手放すときはW-Gになる。

なるほど!

aus Gold Güter und aus Gütern Gold. この aus が大事やね。英語の from。

ギリシャ語原文の感じからするとなかなか aus とはドイツ語翻訳できないのではないかな。マルクスの表現だと思う。

”言ってみれば規則は連続的で境界が曖昧なアナログ型ではなく人為的に境界を明瞭に引いたディジタル型なのである。このきっぱり割り切れた規則に従う時に我々は有無をいわせぬ「必然性」を感じるのである‴
大森荘蔵

しなければならない、と、違いない、に区別を設けた日本語

それらを区別する必要を感じない英語圏must

「ルールに従う」(ジョゼフ・ヒース)

あれは規則に従うことが人類の基本性質なのだという話だったとおもうけど大森の方がいいなあ

ヒースってそもそも何者です?

むつかしい質問

『ルールに従う』を翻訳された瀧澤さんによる紹介
20世紀の人間科学・社会科学を再考するジョセフ・ヒース『ルールに従う』を訳して

ゲーム理論なんかとはとても相性がいいね。

○○さんがよくヒースの名前を上げているものでして★

最初に彼に関わったのは彼がブログに上げていたヒースの「翻訳」がめちゃくちゃだったからだった…

めちゃくちゃ、ですか

ある箇所の意味を取り違えると、その取り違えた意味でもって全体を独自に解釈しちゃう傾向が強くて。

ふむふむ

僕が翻訳するときは、どうも私の読んでいる物の多くが、一世代以上前の、かっちりとした日本語のもの、が多いせいか、日本語としての流暢さはあまり反映されてない、という自己認識を持っていますね

一文に百文字や二百文字くらいは当たり前に含まれるような日本語ですね。

ヘンな翻訳だったら噛みついていたと思うけど… と思ってMonopoly Moneyのやつを眺め直す

第一感として受動態を受動態で訳す不自然を感じないでもないかな

あと名詞を名詞、動詞を動詞に律儀に変換している。

そうですね

その律儀さも、翻訳する時の私の体力に応じて、緩むときがありますけれど

原文との対応は、しやすいという、文献学的な?翻訳かな、と思っています

The model … illuminates its option to act as an employer of last resort.

これを

「(そのモデルは),最後の雇い手として振る舞う政府の選択肢を明らかにする」

となさっているけれど、悩むところですね。
英語と日本語で語順が違うから…

モデルは明らかにする、政府の選択肢を。それは最後の雇い手としてふるまうという選択肢だ。

「最後の雇い手として振る舞うという、政府の選択肢を明らかにする」 かな

nyunさんの7つの嘘の翻訳は,直訳的ではない感じがしましたね

修士論文を書くときに,参考にさせてもらいました★

わたくし流なら 「政府が,最後の雇い手として振る舞う選択肢の存在を明らかにする」

原文のニュアンスを再現したいなら、こんなふうに変えるのが有効なことが多いのは確か。

なるほど

構造の再現ではなく,意味の再現というわけですか

その言い方はよく考えると不適切かもしれない。 語順を変えるとは、構造を変えることになってしまう?

内的な論理を再構築する、という感じになるのかなあ

「合成語や稀語を含めて、上に述べた種類の語のそれぞれを適切な仕方で用いるのは重要なことであるが、とりわけもっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。」
アリストテレス「詩学」

そこで粒子と矢印のモデル\(^o^)/

対話16:ゲーテ、ハイゼンベルグ、パラドックス

ゲーテを最初から読むなら、どんな順番から読めばいいでしょうか?

これはむつかしい。
あえて色彩論!

小説なら、ファウストかなあ

(さらに…)

貯蓄運用こそが産出を奪う(モズラー)

 ゲリラ翻訳サイト「道草」が見えなくなってしまったのを契機にモズラーの The 7 Deadly Innocent Frauds of Economic Policy(命取りに無邪気な嘘)から、その六番目をここにあらためて訳出します。

 みんなが貯蓄しようとすると消費が落ち込む(だから消費を奨励!)というのが主流経済学の所謂「倹約のパラドックス」ですが、いやいやいやいや貯蓄はそれ自体投資の結果であり、さらに、それを運用すること自体が肝心の産出を台無しにしているじゃないかという深い話です。

 日本の社会保障制度がいったい何をやっいるかを根本的に考える機会に。

 以前の翻訳時は訳者の理解がすごく甘かったのですが今回は格段に良くなっているはず。


Deadly Innocent Fraud #6:

 We need savings to provide the funds for investment.

Fact:

Investment adds to savings


命取りに無邪気な嘘 #6:

 投資に先立って貯蓄しなければならない

事実:

投資が貯蓄を生み出す


 Second to last but not the least, this innocent fraud undermines our entire economy, as it diverts real resources away from the real sectors to the financial sector, with results in real investment being directed in a manner totally divorced from public purpose. In fact, it’s my guess that this deadly innocent fraud might be draining over 20% annually from useful output and employment – a staggering statistic, unmatched in human history. And it directly leads the type of financial crisis we’ve been going through.

 嘘は残すところあと二つとなったが、これは大事だ。この嘘がこの経済全体を蝕んでいるために、実物資源が実業界から金融部門に流用され、実物投資は公共の目的からかけ離れたものになってしまっているからだ。私の見立てでは、この嘘のせいで有用な産出と雇用から20%以上が毎年毎年捨てられている。これは人類史上、比類のない驚異的な規模だ。そしてまた、いま経験中の金融危機を直接導いたものは、これなのだ。

It begins with what’s called “the paradox of thrift” in the economics textbooks, which goes something like this: In our economy, spending must equal all income, including profits, for the output of the economy to get sold. (Think about that for a moment to make sure you’ve got it before moving on.) If anyone attempts to save by spending less than his income, at least one other person must make up for that by spending more than his own income, or else the output of the economy won’t get sold.

 経済学の教科書で「倹約のパラドックス」と呼ばれている話がスタートだ。経済全体の中で、産出物が全部売れたときの総支出は、必ず総所得(利益を含む)と等しい。(次の文に行く前に、これを理解したかどうか必ず確認せよ)。もし誰かが消費を所得以下に抑えるならば、他の誰かが所得以上に消費しない限り、必然的に産出物に売り残りが生じることになる。

Unsold output means excess inventories, and the low sales means production and employment cuts, and thus less total income. And that shortfall of income is equal to the amount not spent by the person trying to save. Think of it as the person who’s trying to save (by not spending his income) losing his job, and then not getting any income, because his employer can’t sell all the output.

 売れ残った産出物とは在庫の超過分であり、売上が低い分は産出と雇用のカットであり、従って総所得の減少だ。この所得減少分は、貯蓄のために使わないことにした金額と等しい。こう考えてみよう。貯蓄しようとする人は(収入以下の支出しかしないようにすることにいよって)失業し、 貯蓄しようとする人は(収入を使わないことで)職を失い、雇用主は生産物をすべて売ることができない分の収入を得ない。

 So the paradox is, “decisions to save by not spending income result in less income and no new net savings.” Likewise, decisions to spend more than one’s income by going into debt cause incomes to rise and can drive real investment and savings. Consider this extreme example to make the point. Suppose everyone ordered a new pluggable hybrid car from our domestic auto industry. Because the industry can’t currently produce that many cars, they would hire us, and borrow to pay us to first build the new factories to meet the new demand. That means we’d all be working on new plants and equipment – capital goods – and getting paid. But there would not yet be anything to buy, so we would necessarily be “saving” our money for the day the new cars roll off the new assembly lines. The decision to spend on new cars in this case results in less spending and more savings. And funds spent on the production of the capital goods, which constitute real investment, leads to an equal amount of savings.
I like to say it this way: “Savings is the accounting record of investment.”

 だからこのパラドックスは本当はこうだ。「収入の一部を使わずに貯蓄しようと決めると収入は減少し新たな純貯蓄は生まれない」。反対に、借金をして収入以上に支出しようと決めると収入が増え実物投資と貯蓄が促進される。極端な例で考えてみよう。国民全員が国内自動車業界に新型ハイブリッドカーを注文したとする。自動車業界も、突然それほど多くの車を製造することはできないので、私たちを雇用し、新しい需要を満たすべく、まず新工場を建てるための借金をする。つまり私たちは皆、新しい工場と設備(これらは資本財だ)で働き、所得を得ることになる。しかしまだ世界には買いたい車が存在していないので、新車が組み立てラインから出てくるまでは、得たお金を「貯蓄」しておかなければならない。新車を買おうと決めた結果、支出を減らし貯蓄を増やしている。そして実物投資である資本財の生産に使われる資金も、同額の貯蓄ということになる。これを「貯蓄は、投資の会計的記録である」と表現するのが気に入っている。

Professor Basil Moore

バシル・ムーア教授

I had this discussion with a Professor Basil Moore in 1996 at a conference in New Hampshire, and he asked if he could use that expression in a book he wanted to write. I’m pleased to report the book with that name has been published and I’ve heard it’s a good read. (I’m waiting for my autographed copy.)

1996年、ニューハンプシャーのカンファレンスでバシル・ムーア教授とこの話をしたところ教授は、こんど書こうと思っている本でこの表現を使っていいかとお聞きになった。その名前の本は出版され、聞いた話では面白いそうだ。(サイン入りコピーを待っているのだが)

Unfortunately, Congress, the media and mainstream economists get this all wrong, and somehow conclude that we need more savings so that there will be funding for investment. What seems to make perfect sense at the micro level is again totally wrong at the macro level. Just as loans create deposits in the banking system, it is investment that creates savings.

残念ながら、議会やメディア、主流の経済学者はこの点を完全に誤解しており、なぜか投資のための資金を確保するために貯蓄を増やす必要があると結論づけている。ミクロの世界では完璧に理にかなっているように見えることでも マクロで見るとまた全然違う。ちょうど銀行システムにおいて融資が預金を生み出すのと同じように、投資が貯蓄を生み出すのだ。

So what do our leaders do in their infinite wisdom when investment falls, usually, because of low spending? They invariably decide “we need more savings so there will be more money for investment.” (And I’ve never heard a single objection from any mainstream economist.) To accomplish this Congress uses the tax structure to create tax-advantaged savings incentives, such as pension funds, IRA’s and all sorts of tax-advantaged institutions that accumulate reserves on a tax deferred basis. Predictably, all that these incentives do is remove aggregate demand (spending power). They function to keep us from spending our money to buy our output, which slows the economy and introduces the need for private sector credit expansion and public sector deficit spending just to get us back to even.

では無限の知恵を持っている我らの指導者たちは、消費の低迷で投資が落ち込むときにどうしているだろう。ぜったいこう決意する。「我々はもっと貯蓄しなければならない。そうすれば投資のためのお金が増えるだろう。」(私は主流経済学者たちがこれに異論を唱えるのを一度も聞いたことがない)。議会はこれを実現するために税構造を変え、貯蓄が有利になるようなインセンティブ設計をする。年金基金やIRAその他の税優遇機関が、税を繰り延べたい資金を積み上げ易くなるようにする。そうなれば簡単に予想できるように、そのインセンティブは総需要(購買力)を除去する方向に働く。つまり、われわれ自身が生産するものを購買するためにお金を使わないようにする機能を果たす。その結果経済が減速し、民間部門の信用債務が拡大し、公的部門は単に均衡を補うためだけの赤字財政支出を余儀なくされることになる。 

This is why the seemingly-enormous deficits turn out not to be as inflationary as they might otherwise be.

一見すると巨額の赤字が、そうでない場合と同程度のインフレしか齎さない理由はこれだった。

In fact it’s the Congressionally-engineered tax incentives to reduce our spending (called “demand leakages”) that cut deeply into our spending power, meaning that the government needs to run higher deficits to keep us at full employment. Ironically, it’s the same Congressmen pushing the tax-advantaged savings programs, thinking we need more savings to have money for investment, that are categorically opposed to federal deficit spending.

実際、われわれの支出を減らす(「需要漏出」と言われる)税制インセンティブ構造を議会が作り上げていることこそが、私たちの支出力を奪う当のもの、つまり、完全雇用を維持するための財政赤字水準を引き上げている当のものなのだ。皮肉なことに、税制を優遇し貯蓄プログラムを推進したい議員たち自身が、投資のために貯蓄が必要だと考えて財政赤字に断固反対するのである。

And, of course, it gets even worse! The massive pools of funds (created by this deadly innocent fraud #6, that savings are needed for investment) also need to be managed for the further purpose of compounding the monetary savings for the beneficiaries of the future. The problem is that, in addition to requiring higher federal deficits, the trillions of dollars compounding in these funds are the support base of the dreaded financial sector. They employ thousands of pension fund managers whipping around vast sums of dollars, which are largely subject to government regulation. For the most part, that means investing in publicly-traded stocks, rated bonds and some diversification to other strategies such as hedge funds and passive commodity strategies. And, feeding on these “bloated whales,” are the inevitable sharks – the thousands of financial professionals in the brokerage, banking and financial management industries who owe their existence to this 6th deadly innocent fraud.

そしてもっと悪いことが起こる! 巨大な資金プール(この嘘6で誕生したプールで「その貯蓄は投資されなければならない」)は将来の受益者のために管理され複利運用される必要がある。問題は、連邦政府の赤字が必要になることに留まらない。これら、複利運用される何兆ドルもの資金が、あの恐ろしい金融セクターの基盤になっている。金融セクターは何千人ものファンドマネジャーを雇用していて、大部分は政府の規制対象になってはいる。ほとんどの資金は上場株式、格付き債券に投資されるが、一部は多角投資として他の戦略、たとえばヘッジファンドや商品パッシブ運用戦略に向かう。そして、これら「肥大化したクジラ」をエサに生きるのが、当然現れるサメたち – この第6の嘘によってその存在を負っている証券会社、銀行、金融管理業界の何千人もの金融専門家たちなのだ。


モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑬需要のヒエラルキー

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第13回。いよいよ最終回になります。

今回は   VIII. The Hierarchy of Demand  以降のところですが、過去記事のリンクも付けました。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand ⑬(ここ)
IX. Conclusion ⑬ (ここ)

もうあとはこれだけです。

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑫金利と賃金

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第12回。

今回は  VII. Interest Rates and Wages  のところになります。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
(ここ)
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

最低賃金(最賃)に近い低賃金で働く人の割合が最近10年ほどで倍増しているという報道がありました

最低賃金近くで働く人が10年で倍増 非正規や低賃金正社員にコロナ禍も追い打ち:東京新聞 TOKYO Web

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑪インフレのダイナミクス

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第11回。

今回は VI. Inflation Dynamics  のところになります。

みなさん大好きインフレデフレ!

でもそれはいったい何なのか?

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
(ここ)
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

この文書、内容的にいよいよここと、その次が実は本番です

おぉ〜:拍手:

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑩物価水準の決まり方

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第十回。

今回は The Determination of the Price Level  のところ。ここが腑に落ちないと次節の「インフレダイナミクス」の意味が漠然としかわからない。実は恐ろしく精密な議論をしています。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
(ここ)
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

前回までの読解で準備ができたら、この節はもうわかるはずです。

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑨国家機関の代理人(その2)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第九回。

今回は前回に続いて IV. Agents of the State のところですが、次節の物価決定論の重要な準備です。


きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
(ここ)
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

こんなニュースがありましたが

「岸田首相「ガソリン価格172円を当面維持」 中東に増産求める意向」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d988b2897771f3c61a62e3e41c197a0ed4a1ea72

(さらに…)

モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑧国家機関の代理人(その1)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第八回。

今回は IV. Agents of the State のところを扱います。

きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
(ここ)
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

前回でやっとにゅんさんがグラフ理論で描写する必要性を訴えていた理由が理解できました。

うれしいです!論理的に考えてMMTはそう展開するのがいちばん自然だと思うんですよね。
本家の人たちは気づいていない?新しい分野だけに。

グラフ理論が発展したのは今世紀に入ってからだから、彼らの世代だとちょっと苦しい。次の世代の仕事になると思います。

(さらに…)