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対話22:インフレーション、モズラーの言う「タームストラクチャ」

某月某日

”Taxation is part of the process of obtaining the resources needed by the government. The government has an infinite amount of its fiat currency to spend. Taxes are needed to get the private sector to trade real goods and services in return for the fiat money it needs to pay taxes. From the government’s point of view, it is a matter of price times quantity equals revenue.”
Mosler[1996/2012], Soft Currency Economics II, p.68
「租税は政府が必要とする資源を獲得するという過程の一部である。政府は支出するための無限な量の命令通貨(fiat currency)を有している。租税は民間部門に,租税を支払うために必要となる命令貨幣(fiat money)を求めて実物の財やサービスを交換させるために必要とされる。政府の観点からすれば,価格×量=収入,ということが問題なのである。」(Mosler[1996/2012], p. 68,邦訳は引用者による)

この最後の文はモズラー構文というか(笑

ぼくが訳すと、
「政府の観点からすれば、重要なのは価格と量でありその積が税収と等しくなる。」

つまり、みんなが気にするのは税収だけれども、それは結果だというわけ。

こんな説明はどうだろう。
モズラーのインフレーションはデノミ、デノミネーションのことである。

従来の紙幣、たとえば1,000,000nyunのお札を新紙幣1.000nyunに切り替える。
これがデノミですね。

これは、すべての商品の価格を一斉に10000分の一という一定比率で切り下げるということを意味します。

これは物差しが変わるだけで経済の実態には基本的に無関係。
そりゃメニューコストはあるけれど、理論上、思考上の話と理解してください。

ここで大きな注意点がありまして、純粋デノミならば金利も同じ割合で切り下がっていいやんという話になる。

(ここは説明がいるかな)

たとえば年利10パーセントの貸借の成立は、現在のお金と将来のお金の等価交換、インディファレントな水準で決定されるやりとりです。 

貸し手は将来の110を今の100で買うという意味で買い手であり、同様に借り手は売り手であると。
この時の価格はどうして変わらないの?という理屈です。
このように金利は時間が関連する商品で、その分他とは性質が違いますね。

モズラーの物価水準の論考で、ブライスレベルとタームストラクチャーに話を分けざるを得ないのもこの事情によります。

こういうインフレーション経済であるとして

商品と商品の距離が価格、みたいなイメージ。

デノミをしたときに、その後の膨張度はどうする?という問題です

金利が変らなければ、再膨張する経済 

これって、下の図のようにすることだってできるわけです

そしてデノミが可能であるということは、そもそもこの傾き(インフレ)は人為的なものだったという証拠でもある。
金利をゼロにすれば水平になるじゃん!と工学屋なら普通に思うでしょう(笑

わたくしが思うに。
利子というものを何か自然なものと考えるか、剰余価値の分配の一形式と考えるかに尽きると思うんですよね。

「宇野『原論』は,どこまでも「他者」としての資本を主体とする論理構成を貫きながら,その最終部を,恐慌論や階級闘争論で終わるのではなく,資本主義の物神性をあらゆる人間(自己)の意識に内在化する「国民所得」によって閉じることになる。
「利子と地代と賃金と,そして企業利潤とは,いわゆる国民所得の基本的なるものといってよいであろう。他の所得はこれから派生するものと見ることが出来るのであるが,しかしこの国民所得観こそ資本主義社会の物神崇拝的性格をそのまま反映するものに外ならない。」(宇野著作集 第一巻 五一八頁)

「現に労働賃金を資本の利子と同様の所得とするとき,マルクスのいわゆる『搾取する労働』と『搾取される労働』との区別は抹殺せざるを得ないし,労働者の労働力が資本として機能し,その賃金が資本の一部から火払われるという関係は見失われざるを得ない。」(同 五一九頁)」(青木孝平『「他者」の倫理学』社会評論社,297-298ページ)

「一国で支配的な利子の平均率ー絶えず変動する市場率とは区別されたものとしてのーは,どんな法則によっても全然規定することのできないものである。この仕方では利子の自然的な率というものは存在しない。つまり,経済学者たちが自然的利潤率とか労賃の自然的な率とか言うような意味では,存在しない」(マルクス『資本論』第三巻,S. 374)

それぞれに、面白いですね。

モズラーは(MMTはと言ってもいいでしょう)資本の利子を労働賃金と同様の所得として見ていませんね。

「資本の利子」という言葉は少し気になります。
「資本の」を付ける意味はないような。

And every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.
Mosler[2010], Seven Deadly Innocent Frauds, p. 115
「そして政府が同じものに対してより多くを支払うたびに,政府はその通貨を下方に再定義していることになるのである。」(Mosler[2010], p. 115,邦訳は引用者による)

市場価格に従属する支出ならそうですね。

あと、先行する課税によって民間の購買力が奪われていて、それは通貨を上方に再定義する働きをしているってことになるか。

市場価格に従属しない支出の例…

おっと英語をよく見ていませんでした

「より多くを支払う」というのを「売れ残ったそれを買う」ようなことかなと解釈してしまったのだけれども、そうではなくて the thing に高値を付けるということでしたね。

ここで一晩寝る

今朝は

redefining its currency downward
という特徴的な表現のことを考えていました。
revaluing でも同じことを言えそうである。
devaluing なら、downward  は要らなくなるか。

”every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.”
「ある同じモノに対して政府がより多く支払うたびに、政府は通貨を下方に再定義しているのである」 

ジョブギャランティはどうだろう。
それまで失業状態だった(その労働への支払いはゼロだった)人の労働に「より多く支払う」のだから、それは通貨の下方再定義ということになりますね。

ジョブギャランティがある世界のことを考えるのはとても意義があることだと思う。
その労賃を動かすことは、他の全商品の価格を動かすということだから影響は甚大です。だからそう簡単には動かせません。

しかし金利は、それに比べれば、はるかに気軽に動かされている。

もしも金利がタームストラクチャ(この図で表される角度)の表現であるならば、全商品は時間の経過に従って価格が変っていなければなりません。

これは政府支出「every time the government pays more for the same thing, it is redefining its currency downward.」とは対照的で、取引ごとにでなく、一斉に再定義し続けるという形をしている。
途方もないことに思えます。 

取引がなくても価格が変るのだから!

価格は動かない、でも、金利は支払われるとはどういうことだろう。
それは純粋に、貯蓄を持っているエンティティへの、持っている量に比例したベーシックインカムとなるだけだ。

ここで価格設定能力というものを考えると、それは、新しく自らが発行するIOUを受け取らせる能力と、すでに持っている他者のIOUを受け取らせる能力の二つを合わせたものですね。 

だから、タームストラクチャに従って価格が常に動いているわけではない現実世界においては、金利は「持てる者」の価格設定能力をさらに引き上げる働きをするものになる。

かくして通貨価値、とか、インフレーションっていったい何だろうね?となる。

政府が持っている価格再設定能力を放棄しつつ、それどころか持てる者の価格再設定能力を日々刻々とわざわざ強めている世界で「価格の変化」を測定し、それを自然現象を扱う物理学のように所与のデータとして扱うとは?

というわけで、これはかつて物理学が直面した観測問題とかなり似ていると思う。