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〈1-14〉Im Austauschverhältnis der Waren selbst erschien uns …

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〈1-14〉

Im Austauschverhältnis der Waren selbst erschien uns ihr Tauschwert als etwas von ihren Gebrauchswerten durchaus Unabhängiges. Abstrahiert man nun wirklich vom Gebrauchswert der Arbeitsprodukte, so erhält man ihren Wert, wie er eben bestimmt ward. Das Gemeinsame, was sich im Austauschverhältnis oder Tauschwert der Ware darstellt, ist also ihr Wert. Der Fortgang der Untersuchung wird uns zurückführen zum Tauschwert als der notwendigen Ausdrucksweise oder Erscheinungsform des Werts, welcher zunächst jedoch unabhängig von dieser Form zu betrachten ist.上記の交換関係において、諸商品の交換価値は、使用価値とはまったくかかわりのない何かとしてわれわれの前に現れた。そこで労働生産物から使用価値を捨象してみたところ、その結果、いま上に規定したように、その価値が得られた。ゆえに、諸商品の交換関係および諸商品の交換価値のうちに表されている「共通のもの」は、商品の価値である。この研究がもう少し進んだあと、われわれは、価値の必然的な表現形式または現象形態としての交換価値に連れ戻されるであろう。しかしこの価値は、さしあたりはまずそうした形態にはかかわりなしに考察されなければならない。

直前までの論述を、改めてまとめている感じです。

Im Austauschverhältnis der Waren selbst erschien uns ihr Tauschwert als etwas von ihren Gebrauchswerten durchaus Unabhängiges.
上記の交換関係において、諸商品の交換価値は、使用価値とはまったくかかわりのない何かとしてわれわれの前に現れた。

ふむふむ

Im って何でしたっけ?

In dem (英語の in the)の省略形です。つまり先に書かれている Austauschverhältnis der Waren、商品の交換関係の話だとピンときます。

〈1-8〉や〈1-9〉あたりの下の式で表せる「関係」ワンね。

右と左が等置されているということは、両者に「共通なもの」(ein Gemeinsames)が存在しているよね!というわけでした。
そして…

Abstrahiert man nun wirklich vom Gebrauchswert der Arbeitsprodukte, so erhält man ihren Wert, wie er eben bestimmt ward.
そこで労働生産物から使用価値を捨象してみたところ、その結果、いま上に規定したように、その価値が得られた

「上で規定した」とは前の段落〈1-13〉ワンね。

Das Gemeinsame, was sich im Austauschverhältnis oder Tauschwert der Ware darstellt, ist also ihr Wert.
ゆえに、諸商品の交換関係および諸商品の交換価値のうちに表されている「共通のもの」は、商品の価値である。

Das Gemeinsame 、これも定冠詞付きの「共通のもの」だから上で論じたソレということワンね。

ここはとても好きな(大事な)箇所なので、ぼくも図でまとめてみよう。

諸商品の交換関係、たとえば「1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄」という等式はどのような事態を表しているのか。

言い換えれば、「1クォーターの小麦商品はaツェントナーの鉄商品と等価値であり」とわれわれが言うとき、それは何を表しているのか?

三角形①と三角形②でまず描いてみます。
「三角形①と三角形②の面積は等しい」と誰かが言う。
これはどういうこと?

〈1-10〉の三角形の比喩

”このことは簡単な幾何学の実例で考えると明瞭になる。多数の直線で囲まれている図形の面積を計算し比較するために、それはいくつもの三角形に分割される。三角形は、その目に見える形とはまったく異なる表現─その底辺と高さの積の2分の1─に還元される。同じように、商品たちの交換価値も、その多寡を表すある「共通なもの」(Gemeinsames)に還元されるのである。”

宇宙人には「①と②ハ、メンセキガヒトシイ」の意味がなかなか分からない可能性があります。

宇宙人には面積とは何か、というところから説明しないといけなくなりますね。

商品を交換している私たちは、「等しい」とか「見合う」とか納得して取引していても、何かを捨象しているのは意識していなくて、無意識的ですね。

尺度は、その性質が有用であるから公認されるのだけれども、たとえば身体の大きさを任意に変えられる宇宙人には面積、広さの意味はわからないのでは。

ピダハンもそうじゃないかなあ。(今はともかく)

そもそも分からない

三角形の面積とは底辺×高さ÷2という操作の結果であるというルールであれば、高度な知性体ならばいつか理解可能かもしれません。

われわれのようにはわかっていなくても、同じ操作はできるようになるでしょう。
コンピュータと一緒です。

そこで「底辺×高さ÷2」という形式に還元します。

この計算結果が等しければ、人々は「面積は等しい」と言う。
これだったらどうだろう。

操作に還元

If
 「底辺×高さ÷2の計算結果が等しい(等しくない)」
then
 「面積が等しい(等しくない)」

同じように…

おお

んーつまりこういうことワンね。
人間は、商品を抽象的人間労働の量に還元して比較して、それが等しい時に「価値が等しい」と言っている。

論理の順番としては、まず等置関係が成り立っていることから、「共通のもの」が必ず存在するということが示され、次に、使用価値を捨象することによって労働生産物の価値が得られた。
従って「共通のもの」は価値以外にあり得ないよねということが論証されたというわけだ。

うーむ
「労働の量を表すのが価値である。従って、価値が同じならば労働の量は等しい」
みたいな話ではなくて、
「価値が等しい(異なる)という言葉は、労働の量が等しい(異なる)という意味」
みたいな感じワンね。
この二つはまるで違う。

マルクスの話を前者のように誤解している人は多いように思われるけれど。

私も前者のように言ってしまいそう

「マルクスの労働価値説」の論理って、労働を神聖視するところからスタートしているかのように誤解されていることが多いように思うのだけど、価格と労働の量の関係は論理の前提ではなくて、人間たちが「価値が同じと言っている事態」の分析の結果なんだよね。

分析哲学。

すごくそう思います。
ちょうど先日分析哲学の専門家の方がこんな note を書いていらっしゃいました。

時間は価格にどうかかわるワンか?

それは利子とか利潤や資本の蓄積に関わる大テーマなので、本文を読みながら考えていくことになるけれど、さしあたりは前回の図で。

たとえばですが、過去において商品の生産にどれだけ労働力が投入されたとしても、現時点の新技術をもってすれば労働力はだいぶ少なくて済むという場合に、価格は新技術を基準に再設定されていきまね。

この図の「過去」は、今の時点の技術を基準に「制作される過去」というべきでしょう。

売られる商品には商標や価格表示はなく、規格化も包装もされていない。従って買い物には常に危険がともない、買い手は警戒してかからねばならなかった。何を買うにしても、価格は売り手と買い手との間の駆け引きで決まった。やっと値段が決まってからも、いざ支払う段になると、またぞろいざこざが起こりかねない。
(モリ―・ハリソン「買い物の社会史」らぶりあ選書法政大学出版局)

イギリスで値段をあらかじめ設定した商売が始まったのは18世紀半ばのことでした。

現代でも値段はあって無いようなものだと思うことはあって。
洋服や靴などは新作の時の値段と、バーゲン時期の値段が全然違うので。

春に気に入って買った靴が、最近セールで安くなってて。
セール時期には欲しい色とかサイズが無かったりするので、セール時期まで待つのはそれはそれで賭けなんですけど。

だから今も駆け引きはあるワンね

そこでも一貫して基準になるのは、同じものが今の技術をもってするとどのくらいの労働で生産できるか、であるはず。

Der Fortgang der Untersuchung wird uns zurückführen zum Tauschwert als der notwendigen Ausdrucksweise oder Erscheinungsform des Werts, welcher zunächst jedoch unabhängig von dieser Form zu betrachten ist.
この研究がもう少し進んだあと、われわれは、価値の必然的な表現形式または現象形態としての交換価値に連れ戻されるであろう。しかしこの価値は、さしあたりはまずそうした形態にはかかわりなしに考察されなければならない。

(次回)

〈1-15〉
Ein Gebrauchswert oder Gut hat also nur einen Wert, weil abstrakt menschliche Arbeit in ihm vergegenständlicht oder materialisiert ist. Wie nun die Größe seines Werts messen? Durch das Quantum der in ihm enthaltenen “wertbildenden Substanz”, der Arbeit. Die Quantität der Arbeit selbst mißt sich an ihrer Zeitdauer, und die Arbeitszeit besitzt wieder ihren Maßstab an bestimmten Zeitteilen, wie Stunde, Tag usw.
ある使用価値ないし財は、ただ一つの価値だけを持つ。なぜなら抽象的な人間の労働がその中に対象化、物質化されるからだ。では、その価値の大きさはどのように測られるのだろうか。それは、それらの中に含まれる「価値形成物質」である労働の量によるのである。労働の量は、その経過時間で比較されるが、労働時間もまた、一時間、一日など、ある特定の幅の度量標準を持っている。


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