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コラム:「定義」と弁証法

前回のエントリにこんな感想をいただきました!

おお

自分も整理しました

マルクスは交換価値を定義せず、使用価値ではないナニカとすることで、商品の価値を全て網羅したんですね
一方、使用価値ではないナニカは、質と量という互いに直交する概念で全て網羅することができる
全てを網羅する方法は、少なくとも2種類の方法があることがここからわかります

もし交換価値を定義していたら、使用価値ではないナニカを全て網羅できず、抜け落ちるものが出てきます
何でもかんでも定義するやり方が良くないのはこの点なのですね

ただし、絶対に定義は良くないことを意味しているわけではない
使用価値は定義したものであって良い

つまり、いちど定義したならば、その定義に当てはまらないもの全体を考えなければ、全て網羅したことにならないという訳ですね

おお、ぼくの説明は成功していたようですね\(^o^)/

ここら辺は自信なかったんですけど大丈夫ですか?

「ただし、絶対に定義は良くないことを意味しているわけではない
使用価値は定義したものであって良い」

たとえば犬を定義するってよくわからないです

内包的でも外延的でも

「犬を定義する」とは考えたこともありませんでした。
どうすればいいんですか?

内包的なら共通の性質を示す、外延的なら列挙(ハスキー、芝犬、etc)

内包Intension)はある概念がもつ共通な性質のことを指し、外延extension)は具体的にどんなものがあるかを指すものである。これらは互いに対義語の関係をもつ。

Wikipedia 内包と外延

おっしゃりたいことがわかってきました。

ぼくにはこういうことと思われます。

「内包(intension)的な定義」と「外延(extension)的な定義」のイメージ

「定義」というのは、この図の四角い枠線を引く行為のことのように思われます。

犬と、犬以外のものの間に線を引くということ言いたいわけワンね。

うん、ぼくのイメージで言うと弁証法的な思考はこんな感じ。

どのような場合に「犬ではない」のかを同時に考えつつ、あいまいな境界を決めていくとか、決まっていくという感じ?

だから内包的定義、外延的定義はどんどんやってくれてかまわない。
但し、カテゴリーは発展していくのです。

んーと?

このように書くこともできるでしょう。
内包も外延も、境界を決めていく運動だよね、みたいな。

なるほどねえ

T字表記は実に便利!

弁証法の論理は、定義から出発する推論の連鎖じゃないんです。三位一体の運動が展開し発展していく感じです。

よくマルクスの言葉は定義がなくてだんだん意味が変わる!と文句を言う人がいますが変わらない方がおかしいんですよ(笑


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