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「ちゃんと」読むとはどういうことか

サイト開設のごあいさつを書きたいのだけど、言いたいことは第一回のマンガに尽きているかもしれない。

言いたいこと?

世界を変える

こんなふうに?

                  第一回「豊かさ」とは?マルクス参上 より

うっとり。。。

わんわん💛

だからみんなが資本論をちゃんと読めばいいと思う

MMTはそのあとかな

でもなんか難しそう。
共産主義のバイブル、みたいな?

うん、二年前に初めて読むまではそう思っていたのだけどさ。
(はずかしならが読もうとしたことがなかった)

そうなんだ

やっぱミッチェルと大石さん

言ってたね

ただ、上の写真に nyun がいないことに象徴されると思うけれど、MMTは「主流」ではない、

(犬だから?)

ミッチェルの言うことをいちばんわかっていたのは自分だとおもうけれど、マルクスは知らなかったんだよね。これはよい経験だったと思う。

ちょうどこの頃消費税が10パーセントに上がって、コロナがやってきて、総選挙があって、給付金がどうのとかやっているよね。

そうワンね

いまわれわれはこういう状態にあるわけだ。

そうだよねえ

賭けてもいいのだけれど、MMTの人たちが言っているJGP、つまり職業保証プログラムがスタートしない限り人びとの窮乏化は止まらない。

たとえ消費税が廃止されたり、反緊縮勢力が国会の絶対多数になったととしてもね。

そんな

今の日本の窮乏化の進行はほとんど完璧に資本論で論証されていて、その通りになっているという。

MMTがあるじゃないか

それだけが希望。
考え方を変えればいいんだよ、革命的に。

だからみんな資本論を読むべき (^^)/

そういうことか(^^)/

どうやって「ちゃんと」読むのか?

どんなふうにやるの?

普通に丁寧に読んでいこうということなのだけど、スタイルとしては逐文解釈的に。


有名な、冒頭の一文を見てみると。。。

Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine “ungeheure Warensammlung”, die einzelne Ware als seine Elementarform.

(ドイツ語版)

英語版は、こう

The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as an “immense accumulation of commodities”, its unit being a single commodity.

(英語版)

日本語への翻訳はいろいろあるけれど、たとえばこんなの。

資本家的生産様式が支配的である諸社会の富はひとつの‘巨大な商品の集まり’として現れ,個々の商品はかかる富の要素形態として現れる。

ふんふん

これはぜんぶ「感じ」が違う。

えー

特に日本語。
翻訳として間違っているということではなくて、思考の形が違うというか。

nyun がここで言ってた話ワンね

そうそう

ところで実は最近この動画にも感激しまして

アダムスミスは「経済学者」だったのか?の話

「アダムスミスは「経済学者」だったのか?」
大塚雄太先生

アダムスミスがこういうことを言う人だということを、普通の人は知っているだろうか?

大塚さんのご専門は、このへんだそうで

翻訳の歴史。。。
nyun の話と似てるワン

そしてここ。
レッシング!
シラー!

そのへんはわたくしもホームグラウンド\(^o^)/

そして!

古典を今の時代に生かそうということ。

それは世界を変えるということなんだよね。

nyunさん、これ動画の23分あたりなんだけど、そっくりなことやってるワン

そうなんだよ\(^o^)/

これを、マルクスでやろうということワンね

うん

ただね。

スミスの道徳感情論が出版された1759年から、マルクスの資本論の初版が出版された1867年の間には一世紀以上の開きがある。

ふんふんわんわん

上に出てきたレッシングからマルクスの哲学に至るまでにはゲーテとかカントとかシラーとかグリム兄弟とかフィヒテとかヘーゲルとか、それはそれは豪華絢爛な知の巨人が次々と現れた一世紀だったと思うんよ。

そしてナポレオンの登場や、フランス革命。
もう激動の時代。

そうワンね

nyun はもう何十年もこの時代のことを考えたり勉強してきたのだけれど、そういう基礎を土台にしてからマルクスを読み始めた犬ってめったにいないと思うんだよね。

読み書きができる犬がめったにいないワンね

そういう感覚で最初の文を読むと、いきなり何というか異様な雰囲気が漂っているわけ。

Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine “ungeheure Warensammlung”, die einzelne Ware als seine Elementarform.

たとえば大学とかで講義するとして、これだけで半年持たせる自信あるくらい。

どのへんだろう?

Der Reichtum もだけれど、erschent als… と言う表現の精神現象学ぽさと、sammlung と einzelne という語の対比に現れる汎神論論争ぽさと、 Elementarform の Form の形態論ぽさ。

ヘーゲルとスピノザとゲーテが見える。
もちろん、経済学者たちもね。

そうなんだ!

だけど nyun が何言ってるかぜんぜんわからないでしょ?

わんわん

自分としても、かるちゃんともう一度丁寧に読んでいくことでその辺を確認していきたいわけ。

だからどうなるかはわからないし、決めない方がいいとも思う。

数年はかかるともうけれど、難解とされているらしい冒頭の「価値形態論」をあたりを一通りちゃんと読むことが当面の目標になります。

間に合うだろうか!

「 おお、親愛なるわが友、にゃん!」

なんかスイッチ入った?

「 早急に結論を出すのは控えよう。理想世界はいつか必ずやって来るのだから 」

格調高いな

「その時は必ず来るのだから、いつでも明るく勇敢に、言葉と行為で福音を伝えてくれ」

わんわん\(^o^)/

「死が訪れる、その日まで」

えええー

今の言葉はノヴァーリスだけど、結局のところ犬が幸福に生きるってのはそうことだよなあと。

わんわん


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