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〈1-7〉Der Tauschwert erscheint zunächst als das quantitative Verhältnis, die Proportion…

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〈1-7〉


Der Tauschwert erscheint zunächst als das quantitative Verhältnis, die Proportion, worin sich Gebrauchswerte einer Art gegen Gebrauchswerte anderer Art austauschen (6), ein Verhältnis, das beständig mit Zeit und Ort wechselt. Der Tauschwert scheint daher etwas Zufälliges und rein Rela- <51> tives, ein der Ware innerlicher, immanenter Tauschwert (valeur intrinsèque) also eine contradictio in adjecto (7). Betrachten wir die Sache näher.
(6) “Der Wert besteht in dem Tauschverhältnis, das zwischen einem Ding und einem anderen, zwischen der Menge eines Erzeugnisses und der eines anderen besteht.” (Le Trosne, “De l’Intérêt Social”, [in] “Physiocrates”, éd. Daire, Paris 1846, p. 889.) 
(7) “Nichts kann einen inneren Tauschwert haben” (N. Barbon, l.c.p. 6), oder wie Butler sagt:
“Der Wert eines Dings ist grade so viel, wie es einbringen wird.” 

交換価値は、まずもって量の関係、すなわち、ある「使用価値の一束」が別の「使用価値の一束」と交換される量的な関係、割合として現れる(六)。こうした量の関係は、時間や場所によって絶えず変化する。このため交換価値は、偶然的で純粋に相対的なものでありながら、商品の内的で内在的な価値(valeur intrinsèque)であるという形容矛盾(eine contradictio in adjecto)に見える(七)。この問題をもっと詳しく見てみよう。

*(六)“価値とは、あるモノと別のあるモノとの間に存在する交換関係、ある製品の量と別の製品の量との間に存在する交換関係で成り立っている。” (ル・トローヌ, “社会の利益”, [in] “Physiocrates”, éd. Daire, Paris 1846, p. 889.) 
*(七)“内なる交換価値を持つ物は存在しえない” (N. バーボン, 前掲書 6), もしくはバトラーがこう言ったように。”モノの価値は、それがもたらすものと同じだけである。” 

<1-7>の読解の前に、前回の <1-6>に登場した商品体(Warenkörper)という語についてノートを書きましたのでリンクしておきます。

では<1-7>ですが、悩んだ挙句 Gebrauchswerte を「交換価値の束」と訳しました。

交換価値は、まずもって量の関係、すなわち、ある「使用価値の一束」が別の「使用価値の一束」と交換される量的な関係、割合として現れる(六)。

先輩方の翻訳は、皆さん単に「使用価値」としておられるのですが、複数形の感じを出すべきだと思います。「使用価値の一束」としましたが「使用価値の集合」だと一束という感じが弱いと思い、一束に落ち着きました。

Gebrauchswert じゃなくて Gebrauchswerte 、最後に e が付いているから複数ということワンね。

ここの註六で引用されて入れ宇トローヌの文ですが、荒川さんによれば、トローヌの論説の、第1章第4節「価値の定義 Définition de la valeur」からの引用だそうです。

マルクスはそういう方法、つまり定義から語り始める方法のことをよく知っているにもかかわらずその方法を採りません。
定義は危険であるというヘーゲルのやりかたをマルクスが踏襲しているということは、そういうところからも読み取れます。

次の文行きます。

こうした量の関係は、時間や場所によって絶えず変化する。このため交換価値は、偶然的で純粋に相対的なものでありながら、商品の内的で内在的な価値(valeur intrinsèque)であるという形容矛盾(eine contradictio in adjecto)に見える(七)。

「内的で内在的な」と二回言っているという感じがしますね。
innerlich は英語のインナーという感じで「内側」でよいのですが、 immanenter は「そこに原因を持つ」という感じで、神学や哲学でよく出る言葉です。

神はこの世界に内在しているのか、それとも外在的な存在なのか、とか。

よく知ってるね!

さて、註七でまたバーボン。

*(七)“内なる交換価値を持つ物は存在しえない” (N. バーボン, 前掲書 6), もしくはバトラーがこう言ったように。”モノの価値は、それがもたらすものと同じだけである。” 

<1-5>でやりましたが、もう一度バーボンの当該箇所を引用します。

Value is only the Price of Things: That can never be certain, because it must be then at all times, and in all places, of the same Value; therefore nothing can have an In­trinsick Value.
価値とは、諸物の価格に過ぎない。価値は決して確かなものではあり得ない。もしそうなら、それはいつでもどこでも同一の価値になっていなければならない。従って、どんな物も内在的価値を持ってはいない。

バーボンの論と資本論の論理は、この辺でだいぶズレてきています。

この問題をもっと詳しく見てみよう。

となるわけワンね。

ということで、次回<1-8>

〈1-8〉
Eine gewisse Ware, ein Quarter Weizen z.B. tauscht, sich mit x Stiefelwichse oder mit y Seide oder mit z Gold usw., kurz mit andern Waren in den verschiedensten Proportionen. Mannigfache Tauschwerte also hat der Weizen statt eines einzigen. Aber da x Stiefelwichse, ebenso y Seide, ebenso z Gold usw. der Tauschwert von einem Quarter Weizen ist, müssen y Stiefelwichse, y Seide, z Gold usw. durch einander ersetzbare oder einander gleich große Tauschwerte sein. Es folgt daher erstens: Die gültigen Tauschwerte derselben Ware drücken ein Gleiches aus. Zweitens aber: Der Tauschwert kann überhaupt nur die Ausdrucksweise, die “Erscheinungsform” eines von ihm unterscheidbaren Gehalts sein.
 ある一つの商品は、たとえば1クォーターの小麦は、他の諸商品、xの靴墨や、yの絹や、zの金などと交換される。つまりさまざまに異なった比率で交換される。従って小麦は多重の交換価値を持つのであって、固有のそれを持つのではない。そしてxの靴墨、yの絹、zの金などなどは、みな1クォーターの小麦の交換価値なのだから、xの靴墨、yの絹、zの金などなどは、互いに置き換えることができる、もしくは互いに等しい大きさの交換価値でなければならない。従って以下のごとくである。第一に、同じ商品の妥当な交換価値たちは一つの同じものを表している。しかし第二に、およそ交換価値はただ、交換価値とは区別される一つの内実(Gehalt)の表現形式、「現象形態」としてあるだけである。


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