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タイトル「Das Kapital」は「ザ★頭文字」?(その1)

「資本論」という日本語タイトルで知られている「Das Kapital」という本だけど

いきなり何?

日本語タイトルは「資本論」でいいのか?みたいに考えてしまって

「資本論」じゃなくて「資本」だとか言いたいのかな?

まあ、聞いて

ちょうど、こんなことを言っているヘンな人がいて

ただ、この動画はとても面白かったから見てほしい

道に財布が落ちていると、多くの人は気が付いて、ほどなく誰かに拾われる。

わんわん

ところがわざとこんな風に落としておくと?

なるほどワン

目立たせると、そのことによってむしろ「誰も拾わない」ということが起こるということワンね。

上の人は「労働でお金を作っている」というは「根本的なウソ」だという!

根本的なウソ?

人が賃労働をすると、お金をもらえますよね??

かるちゃんや Sarata さんが賃労働をすると、雇用主が労賃を発生させる。
かるちゃんや Sarata さんの口座のお金は、紛れもなく、そのことによって生まれている。

上の人、労働で未払給与が発生している、というのは頭にないんですね。

未払給与というIOU、お金ですね。

働でお金が生まれるっていうのはごく普通の感覚だと思います。

たぶん普通どうやってお金が生まれるの?って聞かれたら、大抵の人は働いたら生まれるって言うと思います。

なんというか、お金の生まれる源を限定しているように見えます。

かるちゃんはこんなこと言ってましたね

必ず明細まで渡されて、現実にその金額が通帳に載っても「それは嘘だ」と考えてしまう現象。

自分は二年前からこの話ばかりをしているのですが、いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」現象が起きています。

「エレファント・イン・ザ・ルーム」

会議室に巨大な象がいるのに、誰もその話題に触れない!っていうイディオムワンね

「エレファント・イン・ザ・ルーム」

会議室に巨大な象がいるのに、誰もその話題に触れない!っていうイディオムワンね

普段色々なIOUが生まれては消えているのに、彼らは統合政府IOUしか認めていない?見えてない。

うーん「銀行の信用創造!」とことさらに言う人は、思考がもっと狭いように思います。
日銀と民間銀行のIOUをことさらに見て、国債を軽く見ているでしょう?

ここ数日のtwitter 界隈でも、こういうのを見た。

おそらく、むらしん氏のこの発言に対して?

えええ?

うん。

だって、むらしんさんほど具体的なことを考えている人は珍しいくらいで、プロフィールに「ありあり」と書いている。

この、同じ事が Das Kapital と言う本にも起こっていると思います。

いちばんありありと書かれていることが「見えない」。

資本論もそうなの!?

うん

ドイツ語の Kapitalは英語の capital だけれど、英語でもわかるはず。
まずは、このサイトを見てごらん

資本金、以外に「首都」とか「大文字」とか「主要な部分」とか、いろんな意味があるワンね

頭金ていう言葉ももしかしてキャピタルから来てるんでしょうか

「頭金」の元の言葉はゲルマン語にしてもラテン語にしても、最初、とか前に、という感じの言葉ですね。

でも、頭金という言葉が出たので、これをネタにちょっと考えてみましょうか。

コドモ三名の学費を払うのに500万円が必要!
けど200万円しか払えない!、みたいな。

ふむふむ

コドモ三名の学費を払うのに500万円が必要!
けど200万円しか払えない!、みたいな。

銀行とかサラ金に500万円のIOUを発行して、すぐに200万円を頭金で支払って残りを毎月10万円で均等分割返済する場合のキャッシュフローが上ですね。

ふむふむ

ここで夫さんが、かるちゃんへの感謝として、へそくりとローンで指輪か何かを買ったとしましょうか。

えっ…絶対ないと断言できる

ま、買ったとしましょう

30万円の指輪として、20万円はすぐに支払えたけれど残り10万円が翌月払いになった

(30万は絶対ない…三千円ならある笑)

これを銀行の立場で見てみると

赤字と黒字を反転させて

あれ、にゃんちゃんも何か借金してます?

それぞれにいろんな事情があるワンね

にゃんちゃんは頭金なしのローンですね

なんかこれってクレジットカードのローンと似てる、というか一緒ですか。

そうですね、一緒です
もう一人増やしましょう

ソラタさんは頭金50万円で100万円借り入れして、毎月5万円返済のローンですね

これ銀行にとって、表の一つ一つの行のそれぞれが資産として誰かから受け取ったIOUですね。
だから銀行のバランスシート(貸借対照表)の「資産の部」に乗ります。

なるほど

私が500万のI-OUを発行して、それが銀行の資産になっている

私は500万の銀行I-OUつまり預金を受け取って、学費にあてる

あ、でも頭金200万は…

銀行に払うんだ

ん?

200万払わないと銀行は私のI-OUを500万も受け取ってくれないからか。

頭金200万は「設定」と思ってください。

ちょっと一瞬キャピタルの話題からずれるのですが、銀行にとってどのような資産なのかと言うと、こうです。

(ややこしくなるので金利はとりあえず無視)

これはわかりますか?

私が返済すると銀行にとっての資産は減る!

「現在価値」という概念が出てきたところでキャピタルの話に戻しましょう。

はい!

大事なのは、銀行は個別のIOUを、まとめて「貸出金」という資産として把握しているということです。
「貸出金」は個人に対してだけではないですよね。

はい!会社とか

団体?

じゃーん

たくさんの取引が日々動いています

ん?政府への貸付?国債のことですか。
自治体への貸付は県債、市債?

受け取ったIOUと言う意味ではそれらもここに含まれます。

なるほど

あ、銀行振込で政府支出する時って

小切手で払うから

この小切手も政府への貸付に入りますか

もちろん入ります。

そうだ、いま旬の話題の文書交通費。

あれ、政府は議員一人一人を介して政府は毎月一日に【月100万円×議員数】のIOUを発行しているというわけ。

なるほど

各議員は、各自の活動の中で、それを建て替え払いをして、領収書を受け取る。
その領収書は政府のIOUというわけ。

キャピタル(頭文字)の話に戻りますと。。。

こうした銀行の資産は日々変動するので、銀行は次の表のように「把握」するわけです。

ふむふむ

ちょっと一つ分かんなくて

領収書が政府のI-OUというのがいまいち飲み込めません

そうだそうだ!

黒柴にゃんも!

長男の資産である100は、かるちゃん発行のIOUであり、かるちゃんの負債ですね。

そうか!

長男が自分で100円のお菓子を買って、かるちゃんに領収書を持ってきたら?

それと同じなんです。

あ、わかった!飲み込めました!

私はその領収書を受け取らないといけませんものね

100万円の文書交通費という政府のIOUは、いったいいつ誰に発行されたかを考えると面白いですよ。

???

議員が調査活動にお金を使ったときかな?

もっと前だと考えることができます。

だって政府が「100万円×議員数」の負債を認識するのはいつでしょうか?

毎月一日?

そうか!

でも誰に?

この政府の負債は誰の資産だろうか?ということですね。

えー議員かな?

というか議員が支出した相手先?

国民全員と考えることができるわけです。

調査活動は国民の利益だからですか?

ですよね。
だって、そうでなければ国が支払う義理はないわけで。

そうか!

確かに〜

この件に関してわたしサメらしくなく冷静さを欠いていたから恥ずかしい…

対話大事ですね

あ、キャピタルの話に戻らなくては

この件、まさに価値の形態変化なんですよ。

??

たとえばですが、大石議員が何か印刷物を購入して有権者に配るとしましょう。

そういうことは、議員になっても、ならなくてもやっていたと思います。

そうですね

大石「未」議員が同じことをしたとき、「未」議員の仕事は国民のモノではないわけです。

大石さんの支援者のもの?

それは「解釈」の問題で、そう思う人もいるし、そうでない人もいる。
いずれにしても民間部門だけのやりとりということになる。

なるほど

そうですね

ところが大石議員の場合は同じことをしても、その領収書は政府がIOUとして受け取って、同額を支出することで決済しますよね。
このとき、領収書の価値形態が一瞬にして変わっているわけ。

領収書は最初、支出先の領収した証だったけど、政府が引き受けると決めたら政府のIOUになるという、このことについて価値形態が変わったと表現している?

(価値と言う言葉を使う前に)議員がそれを提出し、政府がそれを受け取った瞬間に「何か」が変わっていますよね。
何も提出しない場合と比較して。

印刷物という商品が、民間のモノから国民のモノに変わるワンね。

正確には、同じ一個人の活動の結果の「意味」が変わる。

政府支出が介在することによって…?

正確に言うと。。。

「その活動」が「国民のための活動」だったという認識がまず起こって、それが「政府支出」として記録される。
ちがいますか?

なんか以前お話があったカントのあれ

認識論でしたか
まず認識して始まるみたいなのありましたよね

ロックはまず物があります、から始まるけどそれは違うという(うろ覚え)

なるほどー、似てると言えるかも

ホッ

楽しい\(^o^)/

私も〜(^o^)

「先立つ政府支出」というものはどこにもなくて、政府、つまり主権者たる国民がその領収書を受け取り決済した時に「この議員のこの活動は国民のためのものであったということ」に、なる。

その現象をわれわれは「政府支出があった」と呼んでいるわけです。

なるほど!

あるいは言い方を変えて

「国民全員の資産」という漠然としたものが、決済の瞬間に「他ならないその議員のその活動」として、具体的なものとして「現れる」。

スピノザっぽい!気がする。

???

どういう感じ?(にゃんにも伝わるように)

エチカ第3部定理6証明から

「なぜなら、個物は神の属性をある一定の仕方で表現する様態である、(…)言いかえればそれは(…)神が存在し・活動する神の能力をある一定の仕方で表現する物である。」

自然の法則つまり神だけが実体で、その他の万物は神の表現する様態(モード)だという。神は私達のような人間の様態で表れたり、水として表れたり、太陽の光として表れたり。 

この何か大いなるものがあり、ある条件下で、あるモードとして形を伴って表れるっていうのが似てるなって

(これは泣いてしまう)

末っ子ちゃんが雨が降っていると「神様が泣いている」って言うんです

かるちゃんはどの言葉でスピノザを想起したんだろ?

現れる、かな… 

表現するっていうのと似てるから

前回のやりとり

ここで「現れる」は erscheint という語で、erscheinen という動詞です。

つながった!

資本論では、この語が Erscheinen 「出現」という名詞だったり、Erscheinungsform 、「現象形態」という形でたくさん出てくるわけです。

なるほど!
スピノザのエチカ用語だった!

もう一つ気付いたんですけどエチカに出てくる属性という言葉

「個物は神の属性をある一定の仕方で表現する様態」

一般的には実体がもつ性質を意味するそうですが、スピノザは独特の意味を込めているそうです。(100分で名著、国分功一郎さん)

人間で言えば精神に対応する「思惟」と、物体に対応する「延長」という属性を知ることができるので、一つに過ぎないものを分けて考えてしまう。

ほうほう

このところ、価値が使用価値と交換価値を二重に持っているけど、商品自体は分裂するわけじゃないっていうのと似てませんか

似てます。二通りの現れ方をしている、という感じかな。

そう!

似ているというよりも、ドイツの哲学はスピノザ解釈から出発しているところがあって、ヘーゲルもマルクスも普通にその言葉を使って議論をしているという事情ですね。

読者から見ても、こういうのを「知っている」とそういうものとして当たり前に読みとれる内容でも、「知らない」読者にはまるで分らないということになると。

それがどんなに「ありありと」書かれていたとしても、です。

そういうことだったのか!

前提となる知識がないと読み取れない

それどころか雰囲気で「こういうことだろ!」と、わかったつもりになっちゃう。
これはMMTが「インフレまで国債を発行しても大丈夫な理論だ」などと、元とはぜんぜん違う形で理解されてしまうこととそっくりなわけです。

思い出したのだけど

一番最初に岩波の資本論読んだとき、ちんぷんかんぷんだったんですよ
何が言いたいのかさっぱり分からなかった

そうだったのワンね

今見ると恥ずかしい

ひたすら恥ずかしい!

恥ずかしくないですよ。
わかろうとした人だけがだんだんわかっていくんです。
恥ずかしいってのは、こういうレベルのうちに「資本論はこうこうである」と他人に説明してしまったり、しかもそれが大学教授の立場だったりすることの方なのであって。

あと翻訳本にあほ解説を書いてしまったりわんわんわんわんわんわんわ

スイッチonしてしまった〜(^o^)

話を戻すと、「Das Kapital」は「資本論」というより「ザ★頭文字」だと思うんですよね。

イニシャルDかと思った
峠道を攻める。

よく知ってるワンね

えへへ読んだことはないけど(^o^)

Dってなんだと思いますか?

え、見当もつかないです。いま夫に聞いたらドリフトのDって。

ふふふ

それも、いち解釈ワンね

じゃーん

じつは夢、ドリームのDだったのです\(^o^)/

そうだったのかー!

「本人」がそう言っているわけでw

にゅんさん守備範囲が広すぎる!

こんな不必要な知識をほめられる日が来るとは\(^o^)/

少女マンガとかでもタイトルで伏線を張っておく、みたいのはあるじゃないですか。
それなんですよ。

なるほど

わたくしがまず思い出すのはコレ

これは「おしゃべり階段」って漫画なんですね

これもそうか

「進撃の巨人」

主人公「エレン・イェーガー」
「イェーガー」=jaeger=トウゾクカモメ=Pomarine jaeger

え、そんな意味が!

ふふふ

タイトルではなかったけど。

「頭文字D」は登場人物に説明させていましたが、「おしゃべり階段」と「進撃の巨人」は説明はない。

良く見て気づくと、なるほど。。。となるという表現です。

下のこれは「おしゃべり階段」の初回なんですが

この男の子が、左利きであることを表現されています。

ほんとだ

Das Kapital の場合は。。。

わかりますね!

アダムスミスもリカードもヘーゲルも、こういう書き方を「していない」。

あーー!!やっと分かった(遅い)

かしらもじ!

マルクスはこう書くことで表現したい「何か」があったというわけ。

それで気が付くと「ああそうか。。。」ってなる。

そういうことだったのか。なんでずっとにゅんさんが頭文字、頭文字っていってるのかやっと解りました(にぶい笑)

WーGーW

頭文字ですよ!

優れた著作というものは、二度目三度目に読む時に初めて気づくことがありますね。

そして気づいたあとは意味がまるで異なるものとして現れたり。

博覧強記の文学オタクだったマルクスはそのことをよく知っていたわけで、だからこの本は古典の引用が多用されていると。

「Das Kapita」のタイトルについてなんだけどね

Das Kapital が大きく前にあって、 Kritik der Politischen Ökonomie(政治経済学批判)という副題がついている。

1867年に出版されている。わけです。

ふんふん

そのまえに、出版を始めていたシリーズ
「Zur Kritik der Politischen Ökonomie(政治経済学批判のために)」
というのがあって、
その第一巻「Vom Kapital(資本について)」は1859年に出ている。

「経済学批判」(1859年スタート)の構成

このシリーズはどうなったのワンか?

打ち止めになった。

資本・土地所有・賃労働・国家・外国貿易・世界市場の順序で考察する大作シリーズになる予定だったけれど、その第一部「Zur Kapital」の最初の二章までで。


「Zur Kritik der Politischen Ökonomie(政治経済学批判のために)」
その
第一巻「Vom Kapital(資本について)」



「Das Kapital (資本) – Kritik der politischen Ökonomie(経済学批判)」
その
第一巻「Der Produktionsprozeß des Kapitals(資本の生産過程)」

という構成に変わったということになる。

Das Kapital が前に出てきた感じワンね

うん。

先立つ 「Zur Kritik der Politischen Ökonomie(政治経済学批判のために)」 の第一巻 「Vom Kapital(資本について)」 の中で、マルクスは W-G-W、G-W-G という定式化をしているんだよね。

そしてそこで終わっている。

中断しちゃったわけだ

そう。
マルクスは W-G-W、G-W-G のところまでを書いて「構成を変える必要がある!」とか「変えた方がいい!」ということに気付いたんだと思う。

まあ「変える」ということはそうだろうね。

項目に過ぎなかった Kapital が タイトルとして前に出たときに、Vom Kapital が Das Kapital にメタモルフォーゼしている

これはどういうことか?
ということなんだよね。

おー


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