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モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する⑨国家機関の代理人(その2)

A Framework for the Analysis of the Price Level and Inflation という文章を頭から精読するシリーズの第九回。

今回は前回に続いて IV. Agents of the State のところですが、次節の物価決定論の重要な準備です。


きっかけ
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう 
が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State (ここ)
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

こんなニュースがありましたが

「岸田首相「ガソリン価格172円を当面維持」 中東に増産求める意向」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d988b2897771f3c61a62e3e41c197a0ed4a1ea72

当面維持!

政府には172円より高くならないよう、または安くならないよう維持する能力があると。

日銀の株価維持と同じで、政府が価格にコミットしている。
「需給の結果」ではなくて「決めて」いる。

まさに!

戦争の結果で石油の生産コストが上がったわけではないよ、と。

製造原価は変わっていない

戦争の裏で石油会社はとんでもない利益を得ているし、政府が与えている

なるほど

岸田政権の政策もユーザーへの補助ではなく元売りへの補助ですもんね

昨日のモデルで考えればわかるのですが、原油価格は多くの製品の価格にそのまま反映されるわけです

それが「インフレ」と言われているものであって、その原因は「景気」とはまるで関係がない。
これは会計的な事実であって、モズラーがずーっと言っていることでした

N個先の商品価格に減衰せずに影響するのでした

他の商品(原材料)とともに、他の製品の価格を構成することになりますね。
鎖が合流するパターンだと言えます

斎藤幸平さんは「MMTには生産過程がない」と言っていましたが、むしろちゃんと入っている

石油価格の情報が末端まで伝達される

頭の中にモデルがちゃんとできているか否かで、同じ教科書を読んでも解像度がぜんぜん違ってきますねえ。

sorata さんは覚えていると思いますが、ミッチェルのあの教科書を翻訳しようとしたときに、協力してくださった皆さんの訳文を読んで、これでは伝わらないと思ってやめたのです。
今思えば、自分もまだまだでした。

なるほど

定理4(仮)
末端の商品の価格には、上流で合流するあらゆる商品の価格情報が刻印されている。遺伝情報のように。


読者側のレベルもそうですが、厳しく言えば、読者の脳にモデルを与えることができないなら、その教科書にも問題があると言えるでしょう。
論理整合性を一番意識しているのはモズラーだと思います。

法則1(仮) 結合、分配、残留の振舞いの法則

ここからは数字を入れて考えていきますが、この条件が必要。

・各頂点はそれぞれのIOUについて残高情報を保持する

現実は紛失することがありますが、ほとんど現実を描写していると思います。

見てすぐ意味がわかる!わかりやすいです

法則1の内容
一つの頂点に流れ込む現預金の量の合計は、その頂点が保持する現預金の量と流れ出す現預金の量の合計に等しい  

(これはすべてのIOUそれぞれについて言える法則なのだけど、今は現預金に注目しているので) 

はい

定理5(仮)
Savings Desires が強いほど物価水準は下がる 

これは??

生活物価のことですか?

頂点には生活者が含まれますが、モノや貨幣を所有することができるあらゆる法人も含まれますから、全体の物価水準が下がっても生活物価が下がるとは限りません。

定理5(ver.2)
Savings Desires は物価を押し下げる力として働く


これならば、生活者の Savings Desires は生活者が購入する商品の物価を下げる方向の圧力として作用するということが導きやすい。。。 

圧力として作用するということが導きやすい。。。 (編集済み) 



かるちゃん
マルクスの言うところの貨幣退蔵?

物価が上がる→セイビングデザイア上がるという順だと思ってました



nyun
では saving desire が高まるのはどちらですか?
A:老後の生活費やお子さんの将来の学費が上がる
B:老後の生活費やお子さんの将来の学費が下がる

とても大事なポイントです
「将来の」見通しの悪化によって savings desires が高まりますね。そして、そのことが価格を押し下げるという順番なんです。

貯蓄欲が高まって消費を抑えるため、商品が売れなくなって、価格が下がる?

ダイレクトに考えてみてください
価格は、売り手と買い手の indifferent な水準の顕れでした

この図わかりやすいです!一目瞭然。

やっぱりMMTに図が必要ということがよくわかりますねえ。

ですね

自分のアイコンが入ることで更にわかりやすく(笑)

まさにそこなんです。商品の鎖の末端には自分もいるという感覚が求められます

あと、おなじ理解力を持つ人でも言語感覚優位の人と視覚などの他の感覚優位な人がいるから、言葉と視覚の両方を充実させる必要があるわけです。

視覚優位です!

また、誰もが両方の能力を持っていてそれが相互に理解を高めるから、モズラーの文にイメージを添えるのは絶対に効果がある。
モズラーさんは図の表現力がかなり低いと言うか。。。

それはマルクスもそうですね。印刷技術の問題がありましたが。
しかし、映像や印刷技術が発展していなかった昔の人の言語感覚はけた違いにすごいはずで、現代人は逆にそれを失っているわけです。

この説明はよく見かけますが、話が転倒しているんですね。


かるちゃん
貯蓄欲が高まって消費を抑えるため、商品が売れなくなって、価格が下がる?

正確にはこう、かな。

貯蓄欲が高まると買い手が支出を抑えるため、売り手と折り合う水準は下がる

折り合う、indifferentな水準が下がるということか、なるほど。

あと一つ重要なこととして、CPI(平均的なモデル消費者にとっての物価)と、物価水準全体はかなり違うはずですよ、ということですね。

CPIは政府が多数の中から選んで入れた商品が入ったバスケットの価格の推移でしたね。全ての価格推移ではありませんでした。

モズラー文書のイントロのところ

最も身近なものは消費者物価指数(CPI)で、これは「物価水準」ではなく、生活費を反映するように設計された特定の財やサービスから構成されている。また、中央銀行はこの抽象的な指数の連続的な変化率を決定することはできません。中央銀行ができるのは、CPIが過去にどのように変化したかを伝えることと、将来の変化を予測することだけである。

定理3(仮)シークエンスの末端の商品同士の価格が indifferent な水準でぴったり等しい

分岐がある場合の考え方ですが

左の図は一般式で、分解するとそれは右のような n=0と n=1 の直鎖が四つ重なっているものだ、と見做せるという感じ

青から100入っていますが、貯蓄10と支出100で計算があいません。

貯蓄と支出の合計も100になるのでは。

あ!

この文書のモズラーも計算間違いがありましたしね(笑

天才あるある

こんどこそ!

左図は右図の合成ですね

というか、自分もそうなのですが結論がわかっていたら細かい計算はどうでもいいじゃんと考えるところがあるんですよね。
マルクスにもそういうミスはたくさん見つかるけど、その指摘はぜんぜん本質的ではない。

そうですね

「マルクスは計算が苦手だった」っていう人がいるんですけど、それを言う人がわかっていない

高橋…

この文にも出てきますが、時計泥棒をはじめとしたリフレ派は「インフレ期待」というわけのわからないものを重視します。
その思考は、このモデルからの帰結とは正反対の帰結をもたらしてしまいます。
そういう間違った考えの人びとが日銀の中枢にうじゃうじゃいるんですよね。

CPIの測定は重要ですよ。でも使い方がまるで違う。

(あと「数理マルクス」という分野の人たちもマルクスの計算能力を低く見積もる傾向があります。彼らが間違っているんですけどね)

中野剛志さんもインフレ期待っぽいこと言ってました

2年くらい前、これよんで、そうなんだーと思ってました

MMTのモデルを理解するところまで到達していないんですね。
だから従来の自分の感覚が優先してしまうというわけ

結局リフレ?と大差ない考えでした。

全くそう思います

今久しぶりにこれ読んで、物価が高くなるからローン組んでまで家買うか?車買うか?って言われたら、うーん?てなります。生活を守る、教育費や老後の資金を貯める、そちらを優先します。

根本的には、企業が繁栄することをアプリオリに良いことであるという設定で物事を考えてしまうからということになりますね。
それがマルクスの言うフェティシズム、近代の貨幣崇拝なのに。

わたしも自覚なしにそういう感覚が染み付いているかもです

儲け優先の企業の業績や“将来世代のための備え”とかあやふやでなんのことやら分からない概念より、今この瞬間路頭に迷うひと、食べるのに困る人がいないこと、今安心できることの方が大事なのに。

このモデルを拡張すれば、資本主義社会では経済成長はむしろ貧困を導くことを描けそうな気がするんですけどね

なるほど

さて、政府支出と価格の連鎖の説明はこのくらいにして、次は銀行貸出による価格を考えます。
一般形はこうでした

はい

n=0 で分岐がなければこんな感じ 

銀行からの借り入れで車を買うとか、教育を買うとか

これは深堀して考えたいところです

「一国で支配的な利子の平均率ー絶えず変動する市場率とは区別されたものとしてのーは,どんな法則によっても全然規定することのできないものである。この仕方では利子の自然的な率というものは存在しない。つまり,経済学者たちが自然的利潤率とか労賃の自然的な率とか言うような意味では,存在しない」(マルクス『資本論』第三巻,S. 374)

銀行から担保ありで貸付を受けて、何かを買うということですね

あ、ごめんなさい
政府支出の方でもう少しありましたので、それを確認しておきましょう。いちばんシンプルなモデルは、税を設定した後、人口の一定割合を公務員として雇い、雇われなかった人たちはサービスや商品を売るだろうという話でしたが、このとき商品やサービスの価格は indifferent な水準に収斂していきます。 

はい、そうでした(^^)

まず、サービスを売る人の労働力がどうなるかですが、平均レベルの人の労働力の価格は、平均的な公務員の労働力の価格に収斂します

そして商品の価格は、その商品を作り出すために必要な全素材の価格の合計に収斂します。素材には労働力も含まれます

ここまでは素直に理解できると思いますがどうでしょうか。

大丈夫です(^^)/

問題は、政府が労働力以外の商品を購入するときには問題が生じないようにする価格にする必要があるということなんです。 

つまり、政府が雇う公務員の労働力の価格と、政府が購入するその商品を作るために必要な労働力の価格が indifferent な水準に設定されるように注意する。 

言い換えると、政府が設定した労働力価格という情報を元にして市場で決まった商品価格に、政府自身が逆らおうとすると不自然なことが起こるんです。

不自然なことと言いますと…?

不自然というか、公務員の労働力と商品を作るための労働力の価格が different になるということです。

なるほど

政府が公共事業を入札するべきだという考えには合理性があります。

政府が安く買ってしまうと、それは労働力を買い叩くことになりますし、高く買うと、今度はその労働だけを優遇することになる。

このように、政府自身ですら、政府自らが最初に決めたある一つの商品の価格を裏切ることはできず、別の言葉で言えば、物差しは一つでないとうまくいかないということになるわけですね。

なぜこの話を確認したかがわかるでしょうか?

政府の代理人である銀行の融資による支出の評価も政府の物差しに従ってくれないと、商品価格は indifferent にならないわけです。

えっと、物差しはこれでしたね

これは政府の物差しですが、政府が購入する公用車の購入基準は、平均的な労働力の価格で作られる価格に設定されないければ基準が different になってしまうということなんです。

なるほど

一番上位の物差しは労働力…?

理論的にどの商品でもよいのですが、とにかく最初に決めたある商品基準と different にならないように設定しないと矛盾をきたすのですが、労働力で考えるのがいちばん理解しやすいはず。

ゴールドでも同じことになるのですが。

なるほど

政府自身ですら、政府自らが最初に決めたある一つの商品の価格を裏切ることはできず、別の言葉で言えば、政府の物差しは一つでないとうまくいかない。これは当然のことなんです。

だから、第二の種類の鎖である銀行貸出から出発する連鎖も、基準をこれに合わせる必要があるということになります。

そしたら…?公務員の給与水準下げ続けたら大変なことになるのでは?

労働力の価格を低くするシグナルが末端の鎖の商品まで届くってことですよね

よく考えると、「優秀な人を選抜して雇う政府」と「平均的な労働力に対価を支払う政府」の選択が最初にあるということになると思います。

今はどちらかというと
前者になりますかね…

その世界を選択したら「優秀でないということになった人たちの労働力はゼロまで切り下がることになるのは必然」ということになってしまう。

そうでないというならば「普通の労働力の価格」の物差しはあるの?という問いに答えがないとなりません。

それを決めない社会は、労働力の価格がゼロまで切り下がる社会を許容する社会であるということになってしまう。論理的に必ずそうなるはず。

「優秀な人の目盛り一つだけしかない物差し」は物差しとして機能しないじゃんというか。

あ~、なるほど

そこだけ、一握りだけ保証してるけど、あとは知らんみたいになってるってことですよね。

それだと公務員は特権階級になってしまう。
あるいは、民間のなるべく代表的な生産物、たとえば「コメ」を高く買うことは価格水準を保つことにつながります。

普通の労働力の価格を保証するには、どうしたら…?選別せずに雇用する枠を作るとか。

代表的な生産物を高く買うことでも価格水準を保つことにつながるのですね。

言い方を変えますと、政府は最初に雇う人々の労働力の価格を設定しますよね。政府は、あとはそれとindifferent なはずの市場価格に従って商品を買えばよいということになります。

そういえば、きのう少しさとうしゅうちさんのzoomを観ました

そうだったんですね!気づかなかったです

物差しの設定者である政府が、介護労働の価格を他の諸価格に対してかなり低く設定しているからうまくいくはずがないのですね。

なるほど

戦争を名目にした石油価格の値上げは頑張って維持しているのに

それが上で言われた不自然な状態…

重労働かつエッセンシャルなのに低すぎる介護職の賃金、他産業に比べても低すぎる、まさに不自然です

金額の問題ではなく、その前の価格の問題なのに多くの人が気づかないという歴史段階なのでしょう

金額の問題ではなく、価格の問題、というのは労働力を含む商品同士が向き合う時のindifferentな水準のことですよね。

佐藤さんは背景に介護は女性の無償労働だった歴史があると言われてました。

今でも介護職は女性労働者が多い。

家事労働は賃労働にならない

介護は寿命が伸びたり人口構成が年齢の逆ピラミッドになったことで人の仕事量は当然増えたわけですが、頑なに価値を認めない

価値を認めないから価値が低い!

民間の扶養手当はだいぶ縮小しましたが公務員はどうなんですかね

同じだと思います。

16歳未満の子供の扶養手当はなくなりました

ある時期までは「標準家族」のような社会的イメージあって、給料はそれに合わせて設定されていた感じです。家庭内のシャドウワークはそれで賄われた。

なんかわかります。扶養内のパート賃金に税金がかからないのも、シャドウワークしてる分のおめこぼしなんだろうなと

でもそれだと世帯主に養われていること前提なんですよね。配偶者は従属することしか許されない。肩身狭いです。

世帯主経由での見えない報酬というか。

言いたいこととしてはですね。
社会モデル、社会意識と公的な報酬体系との乖離が大きくなったと。

なるほど

「各自の力でやりなさい、でも税とか取って社会保障はやりますよ」という考え方ですよね

それがまさに「金額の議論」

はい

先立つべき、価格の問題がここでスキップされているのです。

まずは介護職の価格をきちんとindifferentな水準にするべきだった

もっと包括的に、賃労働の価格水準の議論ですね
それなしで特定の労働の価格だけを決めるからいけない。

なるほど

これ、モズラーはさりげなく書いていますが、これが成り立つためには政府に雇用されない人々も、市場の力によって、政府が雇用するのと indifferent な水準で誰かに雇用されるであろうという前提になっているわけです。

だから政府は120日分の労働力「しか」手に入れることができない。

たしかに

もっと正確に書くとどうなるかな。。。

政府に雇用されることを選択しない人々は、モノを売るかサービスをうるしかない。
サービスを売るとは労働力を売るということ。
その買い手はモノを持っている人か、政府に雇われる人だから…

ちょうど、このへんを図で書いたらどうなるかを考え始めていました。

モズラーの思考は宇宙人のようでアプローチが我々凡人とは違うので、凡人目線で解釈するとどうなるか。
たとえば「納税額が100ドルとして」と言われても、われわれは「いつまでに?」と考えるじゃないですか

人口はどのくらい?とか

そのへんがいまいちズバっと繋がらないからなかなか理解されないのではないんか

ん、わかりました。

政府が税を課す最初の設定の前に、その政府があってもなくても人びとは交換をしているという当然の前提があるんです。
そして、交換があるということは何らかの形でIOUは存在するでしょう。
そのような社会に政府は「他者への労働は一日1ドルで計算する」というルールを強制するという感じなんですね。

(強制」だと言葉が強いか。。。税ルールは強制して、雇うのは1日1ドルと決める。そうすると「ならば労働力を仲間にではなく政府に売ってもいいなと考える人たち」が現れる。

あぁなるほど

政府が課税する前

仲間同士でのやりとりですね

これは一例で、頂点同士のつながり方にはあらゆる可能性があるわけですね

頂点がn個なら、売り手と買い手の関係が成り立つ組み合わせは n ×(n-1)÷2 かな?

そのとおりだと思います

nC2通りということですね

この図の人たちも、それぞれに支出と貯蓄のバランスをとっているはずです。それが支出や貯蓄が数字になっていても、いなくても。
数字になっていなくても、おそらく「恩」とか「負い目」という言葉で呼ばれているでしょう

税を課した上で、政府が一日の労働は1ドルと決めて、実際に自らそれを支払うと、その通貨単位の世界に移行する。

以上の話が当然の前提であるということが最初にグラフで図で示されれば、モズラーのモデルはもっと受け入れられやすいはずです。

なるほど!

グラフ理論へようこそー

招待されました★

資本論は実は商品の分析というよりも、どのような人間社会にも必ず存在する„universellen Austausch“(普遍的交換の分析から出発している…という話を「ちゃんと読む」の方で言おうとしていました。

交換があるから交換価値が分析される

「とはいえ,ゲーテとともにマルクスも語っているように「はじめに業ありき Im Anfang war die tat」。使用価値として実現されると同時に価値として実現され,価値として実現されることで使用価値として実証される商品が,社会的行為そのものによって決定される。かれらはたんに「じぶんたちの商品を一般的等価物としてのべつの或るひとつの商品に対立させ,それに関係させる」。」(熊野純彦『マルクス資本論の思考』せりか書房,81ページ)

さて、この図、その誰と誰が実際に結び付いている/いないかはわからなくても、IOUの量の合計がゼロということは確実。

はい。プラスマイナス0になります

これって初歩的なグラフ理論による分析ですね

そうなんですね

これが先にわかっていたらモズラーのモデルはめっちゃ理解しやすいはず

カンザスの人たちはアフリカの植民地の例を調べたりしましたが、こうしたモデリングとセットでやればよかったんだな。
税がないと、外国の通貨はなかなか受け取ってもらえず。

この図の人たちも、それぞれに支出と貯蓄のバランスをとっているはずです。それが支出や貯蓄が数字になっていても、いなくても。

数字になっていなくても、おそらく「恩」とか「負い目」という言葉で呼ばれているでしょう

税を課した上で、政府が一日の労働は1ドルと決めて、実際に自らそれを支払うと、その通貨単位の世界に移行する。

なるほど

以上の話が当然の前提であるということが最初にグラフで図で示されれば、モズラーのモデルはもっと受け入れられやすいはずです。

資本論の、ウイスキーとか聖書の話は、これですよね

そうですね。ただ資本論の方には税金や政府は出てこなかった気がします

上の図にも出していません

あ、そうか

前提の話ですね

午前中、随分悩んでやっと気が付いたんですよ(笑

おぉ〜

シャドウワークもそうですが、ここをみんな見落としてしまうのがいけなかったのだなと。

モズラーの頭の中にはあったのだけど、あたりまえだから描写されない、みたいな

その点マルクスはきっちり描写してますね

一人の頭のいい若者が、社会をより発展させることを考えた。
「一日の労働を評価する、概念的な物差しを決めて、みんなの物はみんなで共同で買うということにすればうまくいくんじゃね?」

しかし交換には所有が先立つはず。
いや、交換があるから所有があるのか、所有があるから交換がなされるのか?

と、そこまで考えるとモデルの話が始まらないので「形あるものを諸個人が所有するという事態は、そういうものであると初めに認めるものとする」と始めるしかない感じ。

なるほど

あと、誰かから何も受け取っていなくても売れる何かが誰かのところに突然現れることがありますね。井戸を掘ったら温泉が出たとかです。
そういうのは矢印では表記できないということを明記しないと?

「大地が母で、労働が父」は記号で表せそうな気がします

まあまあ、実は難しいのよ

午後の成果を聞いておくれ

「納税額が100ドル、貯蓄希望額が20ドルで、国が労働力として1日1ドルを支払うとすると、国は120日分の労働力を手に入れる」

これだと一般的過ぎてイメージがわかない。
だから、人口と期間を具体的にしてみます。

人口は200人、一日後に目標の税額と貯蓄額を達成するとするとどうなるか。
(兼業はなし)

そうすると、ここで均衡するんですね。
公人になる人も民間に残る人も、全員の結果が同じになるところ

次に

一方、1日2ドルの労働力を提供した場合、60日分の労働力しか得られない
これを同じようにやってみるとこうなる

つまり、与えられた条件で「価格が indifferent になるように均衡」すると結果が決まるという話なんです

なんかすごい

ちゃんと辻褄が合う

ここで、政府が公人にならなかった人、つまり民間人になった人から商品を買うとするといろいろ考えなければならなくなります。
というのは、民間人から労働力を買うのと、民間人から商品を買うのは何が違うの?ということになって。。。

間接的に労働力を買っている?

労働力を買ってから何かをさせるのと、何かをしてもらってそれを買うのは区別がつかない

生産手段を政府が持っているか、民間人が持っているかの違い?

それとは無関係に、常に区別がつかない気がします

このモデルは「政府がすること」の内容は問わず、まずはそれを固定して考えているという感じです。

なるほど

では公人のなかに、政府に商品を売る人も含まれているという感じ??

もし価格が indifferent な水準にバランスが取れているならば「政府が120日分の労働力を買う」と、「政府が120日労働相当分の商品を買う」は同じになりますね。。。
そしてその組み合わせでももちろん同じです。

なるほど

そうすると。。。

「納税額が100ドル、貯蓄希望額が20ドルで、国が労働力として1日1ドルを支払うとすると、国は120日分の労働力を手に入れる」

この「労働力を手に入れる」は「労働力または同等の労働生産物を手に入れる」の方が適切かな。

そうなりますね

そちらのほうがより現実を記述していると思います

さらに公務員と民間という名前の区別もなくなって、極端な話、全員パートタイムで政府と民間の両方の仕事をしている状態さえも同じになります!

グラフ理論だと「収入がぜんぶ政府から来ている頂点は公務員とも呼ぶ」、みたいに扱えます。

なるほど

楽しい!

変人

\(^o^)/

たとえば、政府から直接悪いカネを引っ張る人がいますよね。随意契約とかで。
そういうのは価格が indifferent かどうかが問われる

また、n=0で良いような取引、実質n=0なのに迂回して政府から収入を得るケース。これはものすごくたくさんあるはず。

中抜き??

再委託の連続、下請けの下請け

そうですね。
結局われわれは政府支出からの直鎖を通してしか net financial asset を得ることはできないのだから、あらゆる取引の正当性が問われなければいけません。

派遣会社とかも

indifferent であれば派遣でもいいんですけどね。利益が上がらないということですけれど持ち出しでやってくだされば

直鎖の右末端は労働しかありえないのでは



nyun
ここで、政府が公人にならなかった人、つまり民間人になった人から商品を買うとするといろいろ考えなければならなくなります。
というのは、民間人から労働力を買うのと、民間人から商品を買うのは何が違うの?ということになって。。。

ぶっこんできますね!

そこは考えたくなるのですが、人間の労働や所有は近代の政府や特定の通貨に先立っているので、そこは仕方ないとしているわけです。

ロックあたりが私的所有を法的に根拠づけようとしたのを、マルクスは私的所有の概念こそがブルジョワ社会の産物だとやりたかった?って感じなのです。

先に労働の果実たる商品があって、後から出現した政府が商品の価格を秩序づけるわけですよね 

例えば何も知らない宇宙人がやってきて、全商品を特定の人に紐づける作業ですね。

ええ

それって、宇宙人が人間という動物を使って何をさせたいを先に決める必要があるような


その宇宙人の価値体系で資産が再評価されるのかな?!

「みんなで作ったってことでしょ?」と問われるかもしれない

Imagin there is no possession ♪


さしあたり、死者の労働を今の誰に紐づければいいのかを考えると次々に難問が出てくるはずです

モズラーがどのような(無意識を含む)哲学を前提にしているかはとても興味深いところです。それでいいのか?を含めて。
これはモデル化によってハッキリしていくかも。



ノッて来たので自分がどのように思っているかというと。。
マルクスは私的所有という制度が維持不可能であることを示せると思った?
MMTはその否定ではなくて、JGPを核とした未来の生産様式によって維持可能なんじゃないかと答案を書こうとしている?

決済までのフローを逆に辿るということ

あと、モデルの操作的な話がありますか

商品の内在的価値がどこから生まれたかという問い方をするのではなく、あらゆる商品は、最後誰かに買われましたよね、という視点で買い手の決済手段を遡っていく方法なので、追いかける向きが逆と言えるかも。

確かに「あらゆる労働力」からその決済手段を遡っていくとどうなるの?というモデルを考えてみたらどうなるかというと、そこに死者たちを含めますか?とか出てきそうです。
そんなこんなで、モズラーモデルはエレガントだなーと思う。

さてさて

いつでもブッコみ歓迎ですが、われわれは今日の話で、政府支出の価格は労働力の価格と indifferent なところを狙わなければならないということがだいぶわかって来たのではないでしょうか。 

もしも政府が高く買ったら「中抜き」または利益供与で、安く買ったら誰かを虐めている感じになる。 

ところが

そうすると

ここから新通貨が流通を始める

JGPは、ここからも導出されますね。
税債務を課しておきながら、労働力を安く買うとか買わないことは不当(different になる)だということになるので。

なるほど

ふう。。。

銀行貸出の話に移る準備はできました。

「政府支出の価格は労働力の価格と indifferent なところを狙わなければならない」ということが理解できればできるほど、もう一つの銀行貸出はどのように運営されなければいけないかもすんなり理解できるというわけ。

銀行貸出の方は…担保の価格と貸出価格がindifferentに?

そうはならなそうですね

利子がプラスされるからですか?

いや、このグラフ分析のコンセプトとして「利子」つまりIOUの時間差という商品は出てこないのです。逆に言うと、利子というものを別途切り出して検討する枠組みなんですね。

この図の、担保の記号は迷ったのですが、担保は返済が終わったら元の借り手に戻るので、売買とは違いますよね。

よく見るとこうなる。
最終的には貸出金は返済され、担保はなかったことになる

では…貸出価格と購入する商品がindifferent?

貸出とindifferentということになっているのは、実は借入金という将来の返済なんです。これは別途やりましょう。鎖を右から辿る indifferent な系列は銀行の隣の頂点つまり借手が何かを買うというところで終わります。
そうすると「銀行は貸し手の indifferent な買い物に決済手段を与える存在である」と言えそう。

頭がこんがらがってます:めっちゃ困った:

ですよねえ。。。

では、この左の頂点二つをセットで把握すると、このコンビが政府と同じような役割を果たしているのがわかりますか?

この2つですか

そうです。
コンビを組んで買い物をしている

この担保と一緒に動いてるIOUもちょっと理解できてないです

それはいまは置いておいてよいと思いますが、ちょっとやると貸出はIOUの両替だ!と言いますよね。
銀行と借手が「銀行にとっての負債である預金」と「借り手にとっての貸付金」を両替しているから。。。





こうでした

増えた矢印は返済ですか?

あ、なんか分かってきたかも

こんなかんじ

たとえばわたしが何かを担保に銀行から貸出を受けて、大工さんから家を買います。

シンプルな例は良いですね

私は何十年かかけて銀行へ返済するけど、大工さんは一括で決済を受けて、家を私に引き渡してくれる。

このとき私から大工さんへ渡された代金は、また右方向へ流通しますか?

コンビを組んで買い物してる感じは分かりました

この例は家という資産の価格の系列を辿っているわけですが、資産の持ち主自身が銀行からの借手であるという、鎖の一番短いパターンということになります。

n=0のケースですね 

大工さんは木材費や、雇った大学生アルバイトに賃金を払います。

いや、それは sorata さんの「右端は全部労働力になりませんか?」という疑問と似ている感じがします

「全部を記述して」から「同種の矢印の循環があったら消す」という操作的なルールに基づいて記述するとどうなるか?を観察しているんですね。


たった今、こういえばいいのかな?という言い方を思いついたのですが

血管に動脈と静脈がありますが、静脈だけを追いかけている、みたいな

商品だけですか?

じゃなくて同種の矢印を消したあと残るものですね

マルクスに倣って、価格はG(貨幣)とW(商品)が出会うところで決まる、と。
GとWにはそれぞれがやってきた系列があって、Gの方を追いかけている感じです。みんなWの系列しか見ようとしないけれど、Gをたどっていなかったじゃないかという話なんだと思います。

商品の売り手の系列と、買い手の系列

売り手の大工さんには原価がありますね。
やろうと思えば、売られる前に時間をさかのぼって原価を構成する全部の項目についてかるちゃん側の系列と同じように辿っていくことができるでしょう。そのルートは異なります。

ちょっと思考実験をしましょう。
かるちゃんは家を知らない人に売ると、そのあとグラフはどうなるでしょうか。

枝分かれしそう

しないんですよ

えー!

買い手のお金がどこから来たかは最後の売り手の事情とは関係ないですよね

大工さんの位置に私のアイコンがくる?

大工さんは銀行から借りたとは限りませんよね

こんがらがってます:大泣き:

まさにアヒルウサギです

まだ見えない(泣)

ウサギを観察しようというときにアヒルを考える必要はないんです。考えると見えなくなってしまいます。
逆も然り

大工さん関係ないんです。
大工さんもかるちゃん自身も、買い手が準備したお金が来た道とは全く関係がないです。

とてもよい比喩を思いついた

第七回でも出てきたミトコンドリアイブと同じ!

商品には必ず売り手(父)と買い手(母)がいます。
買い手の系列の起源であるイブを突き止めようというのがこのモデルなんですね。家から見て、かるちゃんは父、大工さんは祖父にあたりまして母系ではないと。

あー!

くるりん

:うふふ:

遺伝子の二重螺旋モデルを提案した、たった2ページの論文が人間の知的枠組みをすっかり変えましたよね。

ヘッドホンにそれを書いてもらおうと思う

商品の命懸けの跳躍、あれは出産ですなあ。
母系は世界の半分なのにクリアには解明されてこなかったわけですね。

というわけで遡ると、銀行と借り手のコンビというイブにたどり着く。
さてもう一人のイブである政府ですが「政府支出の価格は労働力の価格と indifferent なところを狙わなければならない」わけでしたから。。。

銀行貸出も同じ?

ペアとして価格を設定できてしまうので、勝手なことをされると政府のやりたいことができなくなってしまうわけです。

銀行は企業に融資して監督する感じになるのですが「こんなに賃金を払うなら貸せませんよ」と言ったりする

へぇ〜:おお:

かるちゃんが借りて家を買う場合も勝手なことはできませんよね

ちゃんと働いてるかとか…?

資産があるかとか、あと、保証人についても全く同じ

なるほど

それは支払う家の価格を設定しているのと同じことなわけです

売り手(男)が「これでどうですか?」と持ち掛け、買い手(女)が「お受けします」まさに受胎ですね。
受胎によってこそ売り手は父になり、買い手は母になる。

かるちゃんが描いたこれです

おぉ

\(^o^)/

資本主義社会というのは、買い手が抑圧されて無理やり商品を生産させられる世界なんですね。

イメージできました

differentな状態、無理やりな状態ですね

ちゃんと合意というか、indifferentでないと暴力的な取引になりますね

なっとく

わたくしが松尾さんに途方もなく呆れる理由が言えたとおもいます!

ああ、でも、松尾さんの研究のことはかなり昔にさかのぼって研究したんです。どうしてこの人はMMTを完全に取り違えるのだろうか?と思って。
そのことが、どこでどう話が違っているかをクリアにしてくれたんですね。
このモデルはその格闘の成果かもしれません。

モズラーの文章に戻ると、民間銀行は国家のエージェントですよね!と念を押しているのはそういう事情でした。
実際に監督権限は政府と中央銀行にあるわけですし。

最後のパラグラフ、今や意味が分かるのでは。

Banks, as agents of the government, likewise influence the price level, as bank lending supports client borrowing to spend on goods and services. Government regulation and supervision controls the prices paid with funds borrowed from the commercial banks. And, with the unlimited liquidity inherent in a floating exchange rate policy, without regulation banks could lend without limit and without collateral requirements or other means of controlling the prices paid by borrowers, which could quickly impair the government’s ability to provision itself and catastrophically devalue the currency.
銀行は政府の代理人として、政府と同様に物価水準に影響を与える。銀行の融資は、商品やサービスに費やす顧客の借入をサポートするからだ。政府の規制と監督によって、商業銀行から借り入れた資金で支払われる価格がコントロールされる。そして、変動相場制に固有の無限の流動性により、規制がなければ、銀行は無制限に融資でき、担保要求や借り手の支払う価格をコントロールする他の手段もなく、政府が自己の目的を果たす能力はすぐに損なわれ、通貨は壊滅的に切り下げられる可能性があるのだ。

すんなり読めてる

これは、意味が分かれば応用できるところです。
銀行の野放図な融資によって「通貨は壊滅的に切り下げられる」ことは起こります。スルガ銀行の事件のように。
他方、銀行が企業に利益率を要求することによって、労働者の待遇を制限するという問題も出てくる。

なるほど

日本ではこちらがすごく顕著ですね

スルガの件も、政府日銀が銀行に利益を要求するから起こったわけで

これ読んてみたら銀行が投資詐欺の片棒かついでるみたいになってますね

まあ、かといって、その政府は価格をアンカーしようとせず、企業に追随しようとしていますよね。
一丁目一番地は、労働力の価格を「どうしたいか」なんですよ。
この根本原因を放っておいたら上がる契機が存在しないわけで、ひたすら下がるばかりです。

このことは母系の起源に遡りさえすればもう明らか。

スルガの件も、そもそも住まいが権利であれば投資機会がそもそも出てこないですよね。
レイプの主犯を野放しにしながら、場所を用意した人が悪いんじゃないかとかやっているようなものです。主犯は政府。

というより政府を支える何か、ですか

ここまで準備できたら、次の節はもうわかりそう

つづく


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