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モズラー(MMT発明者)による資本論のような物価水準・インフレ論を精読する①

総目次

きっかけ(ここ)
Introduction 
I. The MMT Money Story 
II. The MMT Micro Foundation- The Currency as a Public Monopoly 
解説編: ”indifference” って何だろう が挟まる)
III. The Source of the Price Level 
IV. Agents of the State 
V. The Determination of the Price Level 
VI. Inflation Dynamics 
VII. Interest Rates and Wages 
VIII. The Hierarchy of Demand 
IX. Conclusion 

きっかけは…

わーい(*^▽^*)
今日の勤務が終わったら、明日あさっては休みなので、読んでみます!

DeepLに通してサラッと読みました。
確かにこれはマルクスの前に確認すべき議論ですね。

どう感じたか、そのへんをもうちょっとくわしく?

貨幣価値と実物価値を結びつける議論だと感じたので

翌日

ここに機械翻訳(DeepL)を併記したものを置きました。

https://docs.google.com/document/d/1RXiqZU0aT6i1xOqwTmNw-Y0h0H4FMuElTjc-A0GqlUw/edit

”私はこれまでの著書で、プラス金利政策を「すでにお金を持っている人のためのベーシックインカム」と呼んできたが、そのように述べたところで、政治的な支持は全く得られない。”
このすでにお金を持っている人の為のベーシックインカムという言い回しは最近もモズラーさんがツイッターでおっしゃってましたね。

これに出てくるthe tax credits税額控除ってなんのことなんですか?

税額分供給される通貨、みたいなニュアンスですかね? 

イントロからじっくり読んでいきたいのだけど、まずは the tax credits から考えてみましょうか

イントロにつづく、I. The MMT Money Story という項は全体の話の前提条件なわけですが、シンプルなこれ

 1.Imposition of coercive tax liabilities
 2.State spending 
 3.Payment of taxes and purchase of state securities

これが骨格で、それをもう一度(agein)別の言葉で肉付けした説明をしちるわけですね(1~5)。

the tax credits という言葉は、肉付けした方の1と2で提示されています。

機械翻訳はこうなっている。
「税金の負債は、設計上、商品やサービスの売り手を生み出し、それと引き換えに適切な税額控除を求めますが、後者は定義上、失業者なのです。」

さて、シンプルバージョンの1~3は、肉付けバージョンの1~5の対応は後者の番号に´を付けて表記するとこういうことになりますか。

  1 が1´~2´
 2が3´
 3が4´~5´

ということで the tax credits という語は1の「強制的な税負担の賦課( Imposition of coercive tax liabilities )」とはどういうことか、の説明の中でまず現れます。

なるほど

1’「impose(課している)」のは誰に対してかと言えば、people (人々)ですがそれは明らかなので省略されています。
The state imposes tax liabilities (on the people) with penalties for non-payment.
と読むしかない。

続くここですが
The tax credits required for the payment of taxes are units of the state’s currency

(これ、tax だけでも意味は通るところですが)まずは語源から考えて、 credit はラテン語の「信じる」という意味の動詞 credere だから「税の信用」と解釈してみましょう。

「税の信用」了解です!

うーん

The teacher imposed a homework on the students.
先生は生徒たちに宿題を課した

このとき homeword credits とは何でしょうね?

宿題の信用??

この credits が 要請している(require している)条件とは何でしょうか?

宿題をすること?

学生に宿題をさせること

そして先生は後日証拠を求めますよね、たいていの場合(笑)

図工の宿題だったら絵とか造形物とか、国語や社会だったら文字で書かれたオブジェクトを制作することが要請されますよね。条件になっている、というか。

なんか分かったかも。税金をちゃんと払いましたよっていう証拠ですか??ちゃんと払ったからもう払わなくていい証拠みたいな。

そして当たり前なんですが、先生に証拠を示すことまでが宿題と言う制度の条件になっていますよね。

なるほど

同じように the tax credits が要請する(条件にしている)のは the payment of taxes 、税の「支払い」であり、それがその国の通貨建てであることであると。  

だから the tax credits は「(政府によって)税を課されている状態」のように解するといいだろう、というのが一つ。

もう一つは、簿記で貸方(あるいは貸方に書く)が credit 、借方(あるいは借方に書く)が debit なわけですが、この credit の意味ともシームレスにつながるんですよね。

人々はそのバランスシートの貸方(BSの右側つまり負債側)に「税債務」をいきなり書き込まれてしまうわけです。

調べてみました

では2’を見てみましょう

2. The tax liabilities, by design, create sellers of goods and services seeking the appropriate tax credits in exchange,

in exchange にも注目です。
「税を課されている状態」を解消しないと罰を受ける(1’)ので、それを避けるため、商品かサービスを売って、それらと交換にこの状態を解消するためのものを得ようとする。

そうすると、tax credits=税を課されている状態を解消するもの、罰を受けずに済むもの

罰を与えてますね

これがMMTの「基本モデル」になっているわけです。

通貨を作ってもまだモデルは動かない。税を課した上で、その通貨で支出することがモデルの始まりであると。

名刺バージョンもありますよね。これはクーポンバージョンですね。

いわばモズラーは「『通貨制度が動いている』とは1から3、あるいは1’から5’という意味ですね」と言っているわけ。分析哲学であり、資本論のマルクスにとても近いと思いますね。

なるほど~

”しかし経済学的な形態の分析には、顕微鏡も化学の試薬も役立たない。その代わりに抽象の能力を活用しなければならない。ブルジョア社会において経済的な細胞形態となるのは、労働生産物の商品形態あるいは商品の価値形態である。この学問に馴染みのない読者には、こうした分析がつまらない詮索にみえるかもしれない。たしかにこの分析はつまらない詮索ではある。しかし顕微鏡を使った解剖学がつまらない詮索にみえるとすればのことである。”(資本論第一版への序文)

マルクスが資本論でやったことも商品の”分析”から始まりますので、そういう意味でなるほどと思いました。

そうですね!

(*^▽^*)

そのへんでいろいろ書きたいことはあるのですが(「モデル」って何だろうとか)それは置いておいて、せっかくなので credit あるいはラテン語の credere と「借りる」「貸す」について少し分析してみようと思います。

上の宿題の例で、宿題という制度というのは成果物の制作が条件になっていましたが、信用にも同じような条件があると思うんですよね。

成果物がないなら宿題をやったとはみなされないように、何らかのブツが介在しない「信用」というものも考えにくい。

たとえば「AさんはBさんに傘を借りている(=BさんはAさんに傘を貸している)」という事態は、「BさんはAさんを信用している(AさんはBさんに信用されている)」を含んでいるし、それを返却したらその状態(信用している/されている)はとりあえず終わる、みたいな。

確かに、ちゃんと返してくれると信用するから貸すことができますものね。

返さなくてもいいなら贈与になりますし。

銀行の貸出も、利子コミコミの「返済」を期待して貸し手が借り手にクレジットする(預金を借手のの借方に記帳(debit)し、貸方に負債を記帳(credit)する)わけです。
これを credit creation、信用創造と言ってもべつにいいでしょう。でもジャパンの某界隈でよくある表現、「信用創造とは銀行貸出で預金が創造されるという意味である」みたいなよくある言い方はつまらないし、ただの言い換えじゃんって思うんですよね。何の意味があるのかさっぱりわからない。
そういうものの考え方ではMMTやマルクスはまるっきりわからないと思います。

銀行の貸し出しだけじゃなくて、信用創造は日常を観察すれば人に物を貸すときにだって起こっているし、特別なことではないということですか?

そう思いますし(傘を貸す、とか)そういう言葉を使いたいなら別にいいけれど、いったいなんで使っているの?という感じです。

そんなふうに独自の用法を定義したりする前に、その言葉がどのように使われているかの分析が先でないと議論が宙に浮くのではないでしょうか。マルクスが言ったように知識に先立つ知識が欠けている。

ちょっとケルトンの The Deficit Myth からも一つ。
borrowing という言葉が引用符で囲まれて ”borrowing” になっています。

よく「政府の “borrowing(借入)”」 っていうけれど、それってドルと債券の両替のことですよね、みたいな。

これは言葉の定義ではなく、実際に使われている言葉の分析なわけですよ。

bond(国債):利付の債権、USドル:利なしの債権
の交換

この挿絵は分かりやすいですね

某月某日雑談

私の見るところ, 数学的形式に対するスピノザの迷信は, 既に一つの眼眩ましであり, きわめて非哲学的なまやかし(幻想)です. 十五の定義と公理とを探求すると, エチカの第一部全体はひっくり返ってしまいます. そのような撒き砂は, どんな建物も, 紙づくりの建物ですら支えられません
(1785年10月28日付けのヤコービ宛書簡…ハーマン)

数学の確実性の全体は, その言葉, またその記述の本性に依存しています. しかしながら全ての証明において不可欠なことは, 物理的には不可能な形而上学的点, 線, 平面の詩的恣意について考えることです
(1785年2月11日付のシェフナー宛書簡…ハーマン)

数学に達するには, 神の顕現を待つしかない
(ノヴァーリス)

「数学は偏見を取り除くことはできない. 我執をおさえることも, 党派心をなだめることもできない. 数学には道徳的なことはいっさい何もできない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳299ページ)

「数学だけが確実なものだという話を聞くが, 数学は他のどの知識や行為よりも確実だというわけではない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳297ページ)

「数学は罪状の立証, 有罪の認定を目ざすものであるから, すぐれた頭脳は数学をおもしろく思わない」(ゲーテ『ゲーテ全集13』潮出版社, 邦訳300ページ)

おはよー

おはようございます(ノ´・ω・)ノ

おはようございます。 職場の人の家族に陽性者が出たらしく、検査に行ってきます ( ´・ω・`) 2年ぶり3回目

本人じゃなくて家族に陽性者って時点で、なのね

家族と濃厚接触者となってるスタッフとの濃厚接触者、らしいですわ。この検査で1度陽性反応出て、何もないまんまなんで信ぴょう性がイマイチですが。

上にある、数字に対するゲーテの言葉が滲みますね

ゲーテの時代から人って変わらないものなんだなぁ(´-ω-`)

ちょうどその頃から科学信仰が勃興し始めたんやね

これが面白くて

ハーマン→ヘルダー→ゲーテ

あ、「資本論をちゃんと読む」に初コメント\(^o^)/
引用

興味深い記事だと思いますが、一つ疑問があります。
それは石倉先生の「オリジナルの議論を、一貫したものと把握する」ということと、前の記事の石川先生の「マルクスを信用貨幣として読む」ことは真逆だということです。後者はマルクスの本意と離れて独自に解釈をしていると考えられます。
マルクスは信用貨幣についても述べていますが、1篇2章(岩波版だと第一巻165頁)に「金*は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」(*貨幣としている版もある)と述べており、マルクス自身が資本論の体系において、労働価値説(商品貨幣論)と信用貨幣論という矛盾を抱えていると考えます。
これを矛盾のないように解釈するには、結局オリジナルをものを再構成して解釈し直すしかないと考えます。

これは岩井克人「貨幣論」に書かれている話で、ぜひそちらもご覧いただければ面白いと思います。

http://deficitowl.starfree.jp/blog/nyun/kapital/?p=270#comment-4

第一巻のS. 106

まったくの間違い,半分の間違い,四分の一の間違いを正しく区別し,精査し,それぞれに対応する真実を示すのは,至難の業である
(ゲーテ)

池戸と藤巻と経世済民の騒ぎを見て、ウンザリした。

偽りには,それに関していつまでも無駄話ができるという利点がある。しかし,真実はすぐに役立てられなくてはならない。そうでないなら,そこに真実はない
(ゲーテ)

めっちゃ噛み合ってる(笑

ガミガミガミガミ★

銀河をまたにかけ始めたか★

こんなのもある

綴りがおかしい(笑

カワイイのにMTTだから使えない
ちび助君が喜びそうw

近日公開ー

ふむ

「金は、それ自身の価値の大いさを、相対的に、他の商品で表現するほかない。それ自身の価値は、その生産に要した労働時間によって規定される。」

これを「労働価値説(商品貨幣論)」だ!というのは読者が勝手にやってくれていいのだけれど、それが「信用貨幣論」というのと矛盾するものであるという理屈はあるの? 「俺はそう思う」以外に

MMTerは別に誰もこれに反対しないと思うよね

Wie jede Ware kann das Geld seine eigne Wertgröße nur relativ in andren Waren ausdrücken. Sein eigner Wert ist bestimmt durch die zu seiner Produktion erheischte Arbeitszeit und drückt sich in dem Quantum jeder andren Ware aus, worin gleichviel Arbeitszeit geronnen ist.

なんだろうね、日本語空間の「信用貨幣論」信仰というか

マルクスも確かにKreditgeldという表現自体は使っていますけれど

MTT

逆におもろい

「以上に検討したように,『資本論』第1部でのマルクス貨幣論は,商品貨幣の前提に制約されながらも,貨幣を交換の媒介物としてしか見ない中立的貨幣観を克服して,一般的等価物としての社会的機能から生じる貨幣の形式的使用価値を含む枠組みに基づいて,商品の実現(「使用価値としての実現」と「価値としての実現」)としての販売(C-M)と「貨幣の使用価値の実現」としての購買(M-C)との非対称性を明らかにし,商品貨幣の貨幣的実現という独自の論点を提出した」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,89ページ)

「商品貨幣の前提に制約されながらも」これがわからないけれど,こないだ知った草稿で、マルクスの戦略が自分にはクリアになりました

と言いますと?

何かを説明するにはその対象を限定しなければいけないわけで「制約された」というより自ら限定したわけでしょ

「『資本論』第1部の貨幣論では,「金を貨幣商品として前提におく」と註記されているとはいえ,第3章第3節「貨幣」では,各種の信用貨幣(credit money; 銀行券,手形,小切手,等々)が計算貨幣と決算手段として用いられている現実の金融システムにも言及されている」
(石倉雅男『貨幣経済と資本蓄積の理論 第2版』大月書店,85ページ)

なんでもいいんだよね、一般的等価形態を説明できれば。
その注記はどれだろう。

「簡単にするために,本書ではどこでも金を貨幣商品として前提する」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109)
Ich setze überall in dieser Schrift, der Vereinfachung halber, Gold als die Geldware voraus.

この論文では、簡単のために、金を貨幣商品として想定している。
deepl翻訳だとこうなるらしい

注記と言うか章の冒頭やね

なんでもいいのだから、何か一つに決めないと説明しようがないわけでねえ

Geldの分析はその前の節まで終わっているのよ。それを前提にここでGoldを選んだってわけ。

なるほど

GeldとGold…似た単語を使って継続性と断続性を同時に訴える

あはは

次の箇所は翻訳どうなってる?

「金の第一の機能は,商品世界にその価値表現の材料を提供すること,または,諸商品価値を同名の大きさ,すなわち質的に同じで量的に比較の可能な大きさとして表わすことにある。こうして,金は諸価値の一般的尺度として機能し,ただこの機能によってのみ,金という独自な等価物商品はまず貨幣になるのである。/諸商品は,貨幣によって通約可能になるのではない。逆である。すべての商品が価値としては対象化された人間労働であり,したがって,それら自体として通約可能だからこそ,すべての商品は,自分たちの価値を同じ独自な一商品で共同に計ることができるのであり,また,そうすることによって,この独自な一商品を自分たちの共通な価値尺度すなわち貨幣に転化させることができるのである。価値尺度としての貨幣は,諸商品の内在的な価値尺度の,すなわち労働時間の,必然的な現象形態である」(マルクス『資本論』第一巻,S. 109, /は段落の変わり目)

どうもありがとう!

資本論の時代は紙幣の時代が始まったばかり、ということを考慮するべきなんでしょうね。

商品たちから一般的等価形態が脱皮してゴールドが代表に選ばれたのだけど、もう一度脱皮して紙幣になり、電子マネーになったわけだ。

そこまでちゃんと書けという方が無理な注文だよね。 意識に現れる記号であることが示せれば十分じゃないか。

「マルクスのみが例外的に時代の洗礼を逃れうるはずはない。どんなに優れた人物であっても,200年前に生まれたという時代の制約は免れない」
(田上孝一『マルクス哲学入門』社会評論社,10ページ)

だとしても、草稿に見え隠れする洞察の深さよ

資本論草稿…

「この日本のどこかには,知られていないだけで,国民生活の具体的な問題を解決しようと日々努力している人々がいる。「日本経済学」は,そういう人々の実践の中に必ず宿っていて,その命脈をまだ保っている。本書の主張が正しければ,そのはずである」
(中野剛志『日本経済学新論』ちくま新書,430ページ)

「国民経済学」

「なおあらかじめ,ヘーゲルが近代国民経済学の立場にたっている,ということだけは示しておこう。ヘーゲルは,労働を人間の本質として,自己を確証しつつある人間の本質としてとらえる。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで,その否定的な側面を見ない。労働は,人間が外化の内部で,つまり外化された人間として,対自的になること[Fursichwerden]である。ヘーゲルがそれだけを知り承認している労働というものは,抽象的に精神的な労働である」
(マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫,邦訳199-200ページ)

「質」と「量」をめぐって(パート2:MMTの「質的」議論)

 前回に引き続き英語の quality ドイツ語の Qualität という言葉と、現代日本語の「質」という言葉の意味の差異について考察しています。

 前回はマルクスの資本論にちょっとだけ触れたわけですが、今回この件を一度ちゃんと書いてみようと思ったきっかけはマルクス関係ではなく、ケルトンの最近のブログエントリでした。

 ローハン・グレイさんがゲスト参加しています。

 これがちょっと面白かったので、翻訳して経済学101にアップしようかなーと思ったのですね。しかし…

 ここでグレイのセリフの中に qualitative という言葉が出てきて、ワタクシそこで考えてしまったというわけ。

 ケルトンのエントリの内容は、あるバズっている Podcast 番組を題材にケルトンとローハンが楽しく一緒に論評を加えるという形です。

 番組のホストはジョン・スチュワートという人で『ザ・デイリー・ショー』という風刺ニュース番組の司会をする人で、日本で言えばビートたけしや太田光のようなポジションの人。ゲストがトーマス・ホーニグというエコノミストで、カンザスシティ連邦準備銀行の副議長を務めたこともあるエコノミスト。

 この中でスチュアートはとても鋭い突っ込みをしていて、それが、ケルトンが「財政赤字の神話」で書いた話と本質的に同じだったという話なのです。ケルトンが引用しているのは以下の箇所です。

“If we really want to make the national debt disappear, there are more painless ways to go about it. The most straightforward option is to do it the way Lonergan described. Simply let the central bank buy up government bonds in exchange for bank reserves. A pain- free transaction that turns yellow dollars back into green dollars. It can be carried out using nothing more than a keyboard at the Federal Reserve.”
(本当に国家債務をなくしたいなら、そんな苦痛をともなわない方法がある。一番わかりやすいのは、ロナガンが説明した方法だ。中央銀行が準備預金と引き換えに全部の国債を買い上げるのだ。黄色いドルを緑のドルに転換する、なんの痛みもない取引だ。それは連邦準備銀行でキーボードを操作するだけで実行できる。)

chapter three of The Deficit Myth.

国債を廃止すればいいじゃんという話

 この「国債財高が心配ならいつでも廃止できるよ!」というレトリックはケルトンがしばしば使うやつで、自分が翻訳したものでは、たとえば2019年2月21日、クルーグマンとの論争から。

さらにFEDは今や、金利目標のため債券に依存すること(公開市場操作)はなくなっている。準備金残高に対して目標金利の利子を払っているだけだ。ならば国債を廃止すれば良いではないか? 私たちは借金を完済できるのだから。「明日」にでも。

「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」

人びとへのローンを減らしたい(Just make fewer loans.)

 そしてその話は、教育ローンや住宅ローンなど人びとへの貸出も減らしたいという話が続くんですね。そこが日本に流布する「うそうそMMT」と違うところ。

 上のローハンのセリフをもう一度引用します。

 Just make fewer loans.

 日本に流布する”うそうそMMT”ではよく「万年筆マネー」とか言って「銀行はゼロから預金を作る!」「信用創造を理解しろ!」とかズレたことばかりを強調する。

 それは、マネーサプライの増加→物価の上昇(インフレ)→好景気、のような「量」、quantity の議論です。MMTとしては、そういうのをやめて、quality、「IOUの種類」ごとの話をしましょうよっていう議論をしたい。

  量の議論である”うそうそMMT” でいくと「銀行貸出」は貨幣量を増やすのでそれは良いことという話になっちゃう。やれやれ。

 でもMMTの主張はむしろ逆で貸出を減らそうという議論なんですよね。マネーには種類と階層があるわけ。

ここの qualitative credit regulation、これは信用の種類を絞るという規制、ということですか?

単にマネタリーベースや「金利=国債利回り」を目標にするのではなく、MMTはIOUの性質、種類によって対処が違うだろという話をしたいわけですよ。
国債金利はゼロでいいし、統合政府の負債の量はまったく問題にならない。一方、住宅ローンや教育ローンはローン自体を減免して減らすような処置が必要だ、というように。

やっぱり教えてもらわないと全く分からないですね(^^ゞ

qualitative credit regulation を直訳すると「質的信用規制」でしょうけれど、 ローハンが具体的に言っていることは「銀行に電話して住宅ローンを縮小させる」とか「ローンの種類を変えていく必要があるんだ」みたいな話なわけで、この qualitative は「種類ごとの」みたいに翻訳すべきだと思いますね。 「具体的な」でもいいんじゃないかとすら思うくらい。

なるほど

単純翻訳だけだとうまく伝わらないことはよくありまして、話題は違いますが先日もこんなことが。ご参考にツリーを見てみてください

https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

(もし上のリンクが作動しなければこちらで)
https://twitter.com/yagusan98765/status/1487928126763986948

何回も読んで、やっと分かったような気がしました。
文脈とか背景とかが分からないと理解するの難しい・・・!

そうか、この物価をめぐる議論って論理の順序の話だと言えるわけだけど(税を先に考えて財政支出を論じるのではなく、財政支出を先に論じて税を設計する)、ここでもやっぱりMMTは、財政支出について「財政支出額」とか「一般物価」のような quantitative な議論をするのではなくて qualitative な議論こそをするべきと言っているのだ、と言えますね。

たとえば「物価が上がったから…」という話は定量的かもしれないけれど、じゃあどうすればいいかというときに「金利を上げる!」みたいな超乱暴な話になりがち。

そして政策金利とは実は金融資本へのベーシックインカムでした!金利を上げるとは、それを増やすということに。

物価が上がったなら、じゃあ価格が上がった物品は具体的に何?を調べるべきなんです。
燃料費かな?医療費かな?、とかね。それが quality の議論だということ。

前回の話で、quality の語源( qualis )は「何」とか「どんなもの」という意味なのでした。

そうそう

「質」と「量」をめぐって(パート1)

 さて、わたくしはMMTやマルクスあたりの考え方とか思想を現代の日本人にお伝えしようとしているわけですが、「質」(quality)という概念の説明ををしておく必要があると痛感することが多いです。

 ええ、「質」という日本語は皆さんお使いになっているわけで、それを「説明する」という偉そうなスタンスを取りたいわけではなくて、英語で言うところの quality 、ドイツ語の Qualität と日本語の「質」との違いを説明しておきたいわけです。

資本論の第一章「Ware und Geld(商品と貨幣)」を調べてみると Qualität という名詞形で29か所、qualitativ という形容詞形で21か所登場しています。だから大事なんですよー。

 これともう一つ「価値」という言葉にも似たような困った事情があると考えていまして「資本論をちゃんと読む」をちゃんと始める前にそのへんの話をしておこうというわけ。

 現代日本語の「質」は quality とはかなりズレていて、そのせいで、たとえばマルクス哲学の有名な言葉「量は質に転化する」の意味なんかがかなり分かりにくくなっている。

 Google検索で上位に出てくるサイトをざざっと眺めて頭が痛くなりました。

 

種明かし

 最初に種明かしをしておきます。

 quality は「質」よりも「種類」とか「多様さ」と翻訳した方がぴったりすることが多いです。

 たとえばよく「食事は質より量!」とか「いや量より質」とか言いますよね。これは体積や摂取カロリーという「量」を基準にするか、種類の多様さを基準にするかという感じで、この「質」は「種類」に近い。

 英語 Wikipedia を見てみましょう。七通りのページに分かれていることが分かります。

 現代日本語の「質」は、このうちの一番上の Quality (business) が一番近いように思います。

 対して英語やドイツ語の、特に哲学的な文脈ではしばしば Quality (philosophy)Logical quality の項目で説明されている意味が前面に出るんです。

 ご興味のある方はぜひ挑戦してみてください。

「質」をめぐる会話

「質」という言葉、英語の quality とだいぶズレてる

リッキー氏が言う柳と幽霊の区別ってのが quantitative(量的)な違いじゃなくて qualitative(質的)な区別が大事っていうことワンね。
政府債務の金利と銀行貸出の金利は違うだろ、みたいな。

ラテン語 qualis は「何」とか「どんなもの」。 リンゴでも帽子でもでなくミカンである。これが quality の違い。なんだけど「ミカンの品質」のように理解されちゃう。

qualisとquantum

qualityは質が良い悪いとかじゃなくて、種類の違いということですかね。

いわゆる原義は「何?」で、英語などの印欧語はその意味が強く残っているのだけど、現代日本語の「質」はあるカテゴリーの中での良い悪いになっている感じ

もともとは下の図みたいなものだったとして

商売人は次のような感じで考えたりしますよね

品質は、ある種の質なんですけれど、質のすべてではないわけ

なるほど

この項続きます…

フリートークの記録1

いろいろしゃべったので保存しようかなと。。。

三橋貴明ってMMT知ってるの?という話から

ちょっと枝分かれ

ここから国債のプライマリ問題の話題へ

改めて、しつこくプライマリ問題

雑談

対話11 続・「お金」と「貨幣」、英語の「money」

前回の続き的な話として

IOUの定義(レイのMMT入門)

An IOU (I owe you) is a financial debt, liability, or obligation to pay, denominated in a money of account. It is a financial asset of the holder. There can be physical evidence of the IOU (e.g., written on paper, stamped on coin), or it can be recorded electronically (e.g., on a bank balance sheet). Of course, an IOU is a liability of the issuer, but it is an asset of the holder (who is also called the creditor).

マネートークンは「貨幣単位で表示されたIOU」

IOUは「計算貨幣で表示された、金融負債、債務、支払い義務」

「貨幣単位で表示」と「計算貨幣で表示」は何が違うのか?

ここで
The word “money” will refer to a general, representative unit of account.

貨幣単位(unit of account)と計算貨幣(money of account)の関係はこうなる?
貨幣単位(unit of account)⊃計算貨幣(money of account) 

ちょうど良い質問ですね

この、色がついているのが money で。。。

で、スプレッドシートのセルに現れるひとつひとつがIOUです。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: image-19-1024x271.png

(前回の記事と併せて読むとますますよくわかると思います)

money に複数形はありません。ひとつの unit。
IOUはもちろん単複があるわけ。
この単数と複数の感覚は日本語にはまったくないのだけれども、英語を解釈するとき決定的に大事なんですよね。慣れです。

「お金ってさあ。。。」というときのお金が unit としての money という感じ。

moneyは全体を表す概念、IOUは個別具体的な概念?

moneyはEinzelne(一般・普遍)、IOUはAllgemeine(個別)

そこは。。。ドイツ語と英語、日本語でずれているところがあるので、、、Allgemeine は個別ではなくて、個別の全集合。だから「全般」がいちばんしっくりくるかな?
でも「一にして全」なので、Einzelne = Allgemeine でもある。

個別のIOU は Einzelne で、複数形は IOUs で 全部だと Allgemeine になります。

なるほどです

「moneyは全体を表す概念、IOUは個別具体的な概念」というのはまさにその通りです。

内心のIOUとは何だろう?
これがmoneyと全てのIOUとの違いを作っている。

I owe you には貨幣単位になっているものと、そうでないものがある。。。

これに単位が付いてIOUという一般名詞になったというか。

貨幣単位とは?計算貨幣との違いは?
上のピラミッド図はIOUの全体集合ですね。

翻訳するから混乱するのでは
それは通貨単位建てIOUの全集号であり、ひとまとまりのマネーでもあります。

だから
The word “money” will refer to a general, representative unit of account.
勘定を表す一般的な一つのまとまりである。としてみたわけです

IOUの全体集合の中にマネー(貨幣単位建てのIOU)や貸し借り、内心のIOUがある。

”I owe you”の全体集合の中にマネー(貨幣単位建てのIOU)や貸し借り、内心のIOUがある、かな。

あ、そうですね

とまあ、そんな感じで。

論理記号やベン図りも、ヘン・カイ・パーン(一または全)を考えることに慣れていった方がいいのだろうなという気はしています。

この 「…etc」が肝になるのですが、またそのうちに。

対話10 「お金」と「貨幣」、英語の「money」

日本語の「貨幣」と英語の「money」は微妙に違うのワンか?

まあ、そうだね。

日本語母語の人たちが、英語を根本的なところで読み損ねているっていうのはよくあって、たくさんの人がMMTについて変なことを言ってしまう大きな原因はこれなのかもしれない。

そうなの?!

日本人がマルクスをぜんぜん読めないのもこの辺と関係しているよ。

どゆこと?

たとえば
「かるちゃんは金持ちだ」という文。

これ、 かるちゃんはたくさん「お金」を持っているということだよね。

そりゃそうだ! 金-持ち と言っているのだから。

これが英語だと
Karu-chan has a lot of money.

とかでしょう。
money は「お金」に近い。

ふんふん

「かるちゃんはたくさん貨幣を持っている」
これは「かるちゃんはたくさんお金を持っている」とはだいぶ違うよね。

うん、ちがう!

「貨幣」と言ったら「具体的な何か」という感じ。
対して「お金」はなんでもいいからとにかく「お金」!という感じ。

たとえばかるちゃんの家に押し入ってナイフをちらつかせて「金を出せ!」と言うとして、このときもその人は具体的な何かをあまり考えていないでしょう?

iTunes Card や amazonギフト券でも受け取る

ニンテンドープリペイドカードでもOK!

お金という概念の要素として「硬貨」とか「紙幣」とか「預金」がある。

「貨幣」と言う言葉もこんな風にお金の要素だとはいえるけれども、お金の全部ではない。何よりも「貨幣」は具体的な事物だけれど、「お金」は概念なんですよ。

こういうことワンか

「お金」は一般的な概念で「貨幣」は具体的で、これで言うと右側ぽい。

そうですね。

MMT現代貨幣理論の
原著の説明を見ていきましょう

金ぴか本の原文分析

ではレイのMMT現代貨幣理論の、原著の説明を見ていきましょうか。

本の最初にある、本における用語の定義 Definition のところ。

The word “money” will refer to a general, representative unit of account. We will not use the word to apply to any specific “thing” – that is a coin or central bank note.Money “thing” will be identified specifically: a  coin, a bank note, a demand deposit. Some of these can be touched (paper notes); others are electronic entries on balance sheets(demand deposits, bank reserves). So “money token” is simply shorthand for “money denominated IOUs”. We can also call these “money records” as they record IOUs donominated in the money of account – recorded on metal, paper, clay tablets, and wooden sticks, or today mostly recorded as electronic entries.

冒頭
The word “money” will refer to a general, representative unit of account.
「お金」という言葉が表すのは、一般的な、勘定を表す、あるひとまとまりのことである。

Money “thing” will be identified specifically: a coin, a bank note, a demand deposit. 
「物(thing)」としてのお金は「これ」と特定されるもので、硬貨や紙幣や預金。

ほらね。

ほんとだ

Some of these can be touched (paper notes); others are electronic entries on balance sheets(demand deposits, bank reserves).
(そのうちで)あるものは手に取ることができ(紙幣)、またあるものはバランスシート上の電子的な入力物である(預金、準備預金)。

手に取ることができないデータであっても、「これ」と特定できるものは「thing」ワンね。。。

そそ。
カントの「物自体、Ding an sich」って聞いたことありますか?

ええと、われわれが認識しているのはモノそのものではなく、視覚などのカテゴリーを通じて意識に現れるものだ、っていうことワン?

そうね。
ロックの thing in itself

彼らの議論でわかるように、thing は感覚器、特に視覚で認識できる対象物という感じがある。

電子的なデータはどうワン?

ディスプレイを通じて「見て」判断するわけだから。。。

わんわん、わかった!
対して「money」はたしかに視覚とは関係ない「概念」ワン。

So “money token” is simply shorthand for “money denominated IOUs”.
だからマネートークンは「貨幣単位で表示されたIOU」を短い言葉で言ったものである。

さてここで。

このように定義ところで、”money token” と言う語をわざわざ説明しているということは、本文でこの表現を使うということです。

いま数えたら、21か所出てくる。

翻訳が心配である、というか、これは貨幣単位のIOUを指しているわけだからIOUが何かが明確でない翻訳だと、この21か所は意味が通じないだろねえ。

電子書籍内を検索

これは。。。

ん?
上の画像の下から二番目、ここちょっと気になるね。

There is also one more aspect to the story. With the rise of the regal predecessors to our modern state, there were the twin and related phenomena of mercantilism and foreign wars. Within an empire or state, the sovereign’s IOUs are sufficient “money tokens”: so long as the sovereign takes them in payment, its subjects or citizens will also accept them. Any “token” will do – it can be metal, paper, or electronic entries.

6.4 Commodity money coins? Metalism versus Nominalism, after Rome.
のところワン。

金ぴか本だとこの個所は。。。

この物語には別の側面もある。現代国家の前身である絶対王政の台頭に伴って、重商主義と対外戦争という、双子の互いに関連する現象が起きた。帝国や国家の内側では、主権者の債務証書は ー 主権者が支払いにおいてそれを受け取り、臣民や国民もまたそれを受け取る限り ー まぎれもなく貨幣である。証書が金属であれ、紙であれ、電子的な記録であれ、それは変わらない。

なんじゃああ、このクソ翻訳は わんわんわんわん

スイッチが入った

sufficient “money tokens”:

これを

「まぎれもなく貨幣である」って

IOUは「お金のトークン」、しるしになっている、くらいかしら。
nyun さん大丈夫?

気を取り直して引用の最後の文行こう。

We can also call these “money records” as they record IOUs donominated in the money of account – recorded on metal, paper, clay tablets, and wooden sticks, or today mostly recorded as electronic entries.
これら (マネートークン)は、当該の貨幣単位建てのIOUを記録するのだから、「お金の記録」と呼ぶこともある。金属なり紙なりや粘土板や木の棒や、現代ではほとんどが電子入力物として記録されている。

以上のにゅん訳を連結してみる。

「お金」という言葉が表すのは、一般的な、勘定を表す、あるひとまとまりのことである。「物(thing)」としてのお金は「これ」と特定されるもので、硬貨や紙幣や預金。(そのうちで)あるものは手に取ることができ(紙幣)、またあるものはバランスシート上の電子的な入力物である(預金、準備預金)。だからマネートークンは「貨幣単位で表示されたIOU」を短い言葉で言ったものである。マネートークンは、当該の貨幣単位建てのIOUを記録するのだから、「お金の記録」と呼ぶこともある。金属なり紙なりや粘土板や木の棒や、現代ではほとんどが電子入力物として記録されている。

金ぴか本!

金ぴか本は。。

あああそれやるの?

こうなっている

わんわんわんわんわんわんわ わんわんわんわんわんわんわ わんわんわんわんわんわんわ わんわんわんわんわんわんわ

ほらー

いきなり unit を「ひとまとまり」じゃなくて「単位」と訳しちゃっているんだね。

この訳注がまた。。。

翻訳者がいきなり混乱しているという。。。

対話9 マルクス読みのマルクス知らず

これは経済学徒の信仰心の告白ですね
https://twitter.com/awtjvyjz/status/1455421212633407490?s=20

ミンスキーが福祉を揶揄するように挑発めいたことをしたんですが、暴力というワードはちょっとやり過ぎでしたね。今見るとこのツイートも荒いし。

「暴力」でなく「力」とかならかなりよかったかも

フォースのない中立な場を想定するのはまさに経済学の思考で、これがマルクスを研究している「つもり」のこの人の信仰告白と言うのは正しいですね。

しかしそのような思考こそがマルクスが批判した経済学だというw

反経済学的思考だというのは松尾先生の意見なんですよね
数理マルクスとは

経済学的思考というのは、イングランド銀行のペーパーにあった、ロビンソン・クルーソーとマン・フライデーの交換経済が典型なんだ、と良く分かりました。

もうちょっと説明してみて?

ロビンソン・クルーソーとフライデーの取引には、相互が対等な取引をしてくれるだろうという期待が、暗黙の前提としてあります。
これは物々交換の説明ですが、イングランド銀行の解説ではこれを信用貨幣の説明につなげています。
信用貨幣の説明でも、この暗黙の前提は維持されたままです。

うん、ここでさ。
対等とか対等でないってどういうことだろう?、みたいなことをマルクスは考えるわけ。

たとえば、どうみても対等には見えないカップルがいても、当人はぜんぜん問題を感じていない、むしろ幸せ!みたいなね。

たとえば「あいつはDV亭主だ!」みたいな「価値判断」は、そもそも第三者がいないと出てこない。

つまり。

二者間の「価値」というものはそもそも意味をなさないわけ。

そうそう!自分の問題意識もそこです。
主観で対等と思っていても、客観的に見たら暴力的取引が行われていることだってあるわけです。
そうじゃないと、例えば、富めるものと貧しいものの間で格差が一方的に広がる力学が正当化されている理由が見つかりません。

経済学者が「価値」を測定するときに、その価値を決める経済学者自身の判断が入っているでしょう?っということなるわけ。

これは「観測問題」ですね。

「基本的には対等な取引」ということにしているのは、経済学者おまえじゃんwwwっていう。
(この発言はわたくしでなくマルクスさんの。。。)

しかもこれは恐ろしく傲慢な仮定だよね。

そういうことですね。

この人に「マルクスを読んだことあるんですか?」と聞いたことがあるのですが、もちろん読んだみたいですwww

いつも言うように、金ぴか本をいくら読んでもMMTはぜったいにわからない。
それと同じ話なんですよね。。。

うふふ。。。

というわけで、私かるちゃんも参加する新サイト「資本論を nyun とちゃんと読む!」は近日スタートです。

nyun のライフワークにするくらいのつもりで、これでもか!というくらい丁寧に一文づつ読んでいこうではありませんか。

マルクスは「ことば」の問題に取り組んでいるわけです。

さっそく最初の方にシェークスピアの引用がありますね。
戯曲「から騒ぎ」からの引用と言うことで。。。

あれはとても面白くて、それだけでいろいろ語れるのですが、いちばん注目すべきはマルクスがセリフを「改変」しているところです。

セリフを改変?

新サイトで詳しく読解しますが、もとの「運の賜」(the gift of fortune)を、マルクス
eine Gabe der Umstände
つまり「状況とか設定の賜」に変えています。

「価値」だって設定や状況によるってわけ。

なるほど

上の話と関連してそうですね

ですです。

マルクスって資本制生産様式という「設定」を問題にしているのだから、マルクス研究者がそこすっ飛ばしして『取引は基本的には「お互いが得をするもの」』なんていう「設定」からものを考えるとかありえない!

だいたい財政支出にいちいちいちいち国債が必要とかいう「設定」いるのかよ?
そもそも金利は剰余価値が姿を変えたものだろちゅうの!

わんわんわわんわんわ

スイッチが入った

しかたない、
黒柴にゃんが最初のページを特別公開するわん\(^o^)/

(この次のページ以降では驚きの展開が)

お楽しみに―

対話8 MMTやマルクス的な貨幣観(2/2)世界一よくわかるマネーのヒエラルキー

前回1/2はこちら

三人の子供たちが持っているカルちゃんマネーの表を見やすくしてみました。

次男はかるちゃんが知らない人から「この紙を持ってくれば1000円分の何かを買ってあげるよ」という紙をもらって持っているという設定。

(設定なのだった)

今度は、かるちゃんが所有しているいろいろなIOUも同じように書くことができるわけ。
硬貨は政府のIOU、お札は日銀のIOU、銀行預金は銀行のIOU。

私の持っているIOUの内訳は。。。
政府のIOU(硬貨)、日銀のIOU(お札)、銀行のIOU(預金)となりますか

そうですね、こういう感じと

xxxx は数字が入ります

ほかにもあるのでは?

ペイペイとか

美術館の割引券とか

ありますね

あと、大人の人は自分が発行したIOUがないですか?

夫とはポイントをやり取りしたことがないですけど、やろうと思えばできますね

たとえばクレジットカードの残高とか?

まだ引き落とされていない額です

あ!クレジットカードの残高はカード所有者のIOUなのか!

そうですよ。
現金を支払うかわりに、かるちゃんがIOUを発行してお店に受け取ってもらったというわけ。

子育て世代の多くの人はもっといろいろなIOUを発行しています。

え〜?

まだ払ってない今月の給食費とか?

ですよね

住宅は賃貸ですか?持ち家ですか?

賃貸です

じゃ家賃も!

なんなら光熱費も

そういうことになるんです。
その日までの未払い分は、後で払うからねということでかるちゃん「が」大家さんや電気会社にIOUを発行している。

IOUだらけ!

後払いになってるものってIOUだったのか〜意識したことありませんでした

表に入れると。。。

なるほど!
色分けするのですね。
黒は自分以外が発行したIOUでつまり資産、赤は自分自身が発行したIOUつまり負債。

そうです!
赤は借金、つまりマイナスの金融資産ですから。

青字、合計のところが各自の正味の金融資産が現れます。

自分は(人間の姿で)就職したあと、カードの支払いが大変なことになりそうだったので、毎月これを作っていました。
今思えばそれがMMTの理解にすごく役に立ったとよく思います。

私の金融資産は、政府、日銀及び市銀のIOUの合計額から自分の発行したIOU(子どもたちへの支払い、家賃光熱費、給食費とか)を差し引いた額になりますね。

かるちゃんはお仕事をされているから、労働債権があるのでは

今月もらえるはずの賃金ですか?

給食費と同じに考えると。。。

雇用主の発行したIOUですね

すでに労働した時間分については確定しています

表のすべての項目は刻々と変化しますよね。
一度表を作ってみませんか?項目だけでOK

表計算ソフトお持ちですよね?

やってみます!

自分は上の表、google のスプレッドシートで作りました

待ってまーす\(^o^)/

列は IOU の発行者、行はIOUの受取り手というふうに統一して作ってみても良いですか?

まずは自由にやってみましょう

できた!

知らないおじさんは別世帯ですよね。
切り離しておきましょう

なるほど!

あとカードの未引き落とし分くらいは

かるちゃんはあまりカード使わなそう?

これでどうでしょう

できた\(^^)/

わーい(*´▽`*)

世帯の正味のお金が把握されるわけです

なるほど。これなら今月ピンチとか事前に察知できそうです。

毎月、同じ日におなじ基準で作成すると、とてもよいです

あと一つ思ったんですけど、うちはスーパーの電子マネーを毎月数万円購入してそこから食品を買ってるんですけど、これも入れてもいいですか

むしろ入れないとだめです

(けど家族や税務署に隠したいときは隠します)

入れます!

さて。
英語の「マネー」、特にMMTやマルクスが言おうとしているマネーは、この表の全体のことなんです。

日本語の「貨幣」とは違いますよね。

たしかに

紙幣やコインや借用書はそのトークン。

紙や金属は、マネーを保持する媒体です。

レイの「MMT入門」でも、原文を精確に読めばこのことが説明されていることが分かります。

翻訳本ではちょっと何言っているかわからないけれど(笑)

なるほど

このような誰かさんの「貨幣の定義」とはまるで違う話なんですね、最初っから!

 勝俊/シェイブテイル【バランスシートでゼロから分かる財政破綻論の誤り】より

この違いが「ビューの違い」

なるほど!

すごく身近で、まさに現実の生活の話。

MMTやマルクスの思考は現実から出発して、現実を離れない。

すごくピンと来ました!理解できる話。宙に浮いてない感じ。

本当はもっと細かいです。

賃金のところ

これは手取り?

手取りを想定してました

賃金はもっと多いと思います

つまりですね

手取りをイメージした時に、引き落とし予定の未払い負債を合計しちゃっているわけ。

分けて書いてみましょう。

お手元に給与明細をどうぞ(笑

やってみます

財形貯蓄のようなものは資産ですね

作ってて腹が立ってきた!なんで賃金からこんなに天引きされないといけないの!ヽ(`Д´)ノプンプン

来年は住民税も来るからもっと引かれる!

この厚生年金保険見てくださいよ!

全部の控除額合計したら43919円も引かれてるんですよ!

さてこれは資産?負債?

ご意見は?

わたしにとっては負債です!
(キッパリ)

きっぱり!
あてにならんし

そうですよ!

これをやっていると怒りが涌くわけですが。。。

MMTのマネー観の話でしたね。

ええと、こうやると各主体の現実的な正味のお金を把握することができました。
個人単位に分解することもできますし、合計することもできます。

また教育ローンや住宅ローンや自動車ローンが残っていて、正味のお金がマイナスになっている人はすごく多いです。

ちょっと前まで奨学金を返済してました

この表でいえば赤字の部分に相当する奨学金、つまりマイナスのお金がたくさんあったのが、こつこつ返済することでだんだん減って、最近になってようやくゼロになったということですね。

なるほど

初めのころは「正味のお金」がマイナスではなかったですか?

卒業して就職したころは当然そうでした。マイナス300万くらいです。

一息ついても、お子さん三人だと教育費が心配ですよね

そうなんですよ!

どのくらいかかるのかとか、どんどん学費が上がっていきそうだし

私立に行きたいとか言われたらとか、県外に下宿するとか

ひどい国になってしまいました

そこでローンを使うとまたマイナスになる

働いても働いてもマイナス!

こうやって正味のお金のことをちゃんとかんがえると権力関係がよく見えてきますね。

なんかこう悪い労働条件でも働かざるを得ないような状況を政府が作ってる感じですか。生かさず殺さずで。

政府が作っているというか、マルクスが分析した通りで、資本の論理で必然的にそうなってしまうんですよね。

資本の論理っていうとなんだろう。経団連とか?と思ったけど、もっとユニバーサルな概念ですよね。

将来のために保険料を払うとか、お金を貯めるとか

今の生活を犠牲にして

うん、そのへんはこれから始める「資本論をちゃんと読む!」の方でやるとして。

言えることは、マネーというものをこのように把握すると「インフレまで財政支出!」みたいな議論とはまるで違った現実の議論になる、という点は覚えておきましょう。

そしてそれは、マネーを「フロー」でなく「ストック概念」として把握するということに近い。

だからバランスシートが重要であり、それは資本論に通じるところであると。

先ほど作った表はまさに家計のバランスシート(のIOU部分)ですから。

通貨建てIOU空間

いま作ったようなIOUバランスシートは、同じ基準を適用して日本じゅうのあらゆる個人および法人に適用することができますね。

そこには「知らないおじさん」も「学校」も「保険組合」から、「日本銀行」「政府」もです。もっと言えば、海外の政府や国際機関や個人が円建てのIOUを持っている場合ももちろんあるでしょう。

ちょうど前回、「日本語の言語空間」を想定したのと同じことでして「円建てIOU空間」を想定することで確かな議論ができるようになるわけ。

恣意的な経済学とは違って、MMTやマルクスはとても科学的なんです

円建てIOU空間、なるほど!

こう考えると、すごいことがわかるんですよ。

にゅん自身も「正味のお金」をほとんど持っていないというか、住宅ローンでめっちゃマイナス。
だから今日もほかにやりたいことがあっても、収入を得るための仕事をするしかない!
多くの人はこんな感じだと思うんです。

正味のお金を同じルールに基づいて評価すれば、これは思考としてそんなにむつかしくないはずですよね。
経済学者はどうしてこれをやらない???

わんわんわんわん

スイッチが入った

そして、驚くべきことは。

「円建てIOU空間」の全主体の「正味のお金」の合計は確実にゼロである、ということ。
これはすごいことですよ。

すごい(^o^)
でもそしたら私達が働いても働いてもマイナスで、政府もたくさんマイナスってことは誰かがプラスをしこたま持ってるってことですよね。

それを言いたかった!

やった(^o^)

統合政府以外のあらゆる主体の「正味のお金の合計」は、統合政府の純負債と一円もずれることなくピッタリ等しい。これ会計的事実! 

これがユニバーサルな把握の威力なんです。

ちゃんちゃん

ちょっとまとめてみませんか?

はい

経済学で扱われる「貨幣」?ってこんな感じ

現金もありますが、量は少ない。
内側のマルに入れればいいでしょう。

で、内側の貨幣(ベースマネー)が預金を作り出す、というような。
そのことを『信用創造』と彼らは「呼ぶ」。

でも英語とかMMTのマネーは、こんなイメージなんですよね。

おおお、これは★

債務ヒエラルキーとか、負債ピラミッド
(手形や社債もほしいけど)

ケルトンのアレのようなものが、できました!

ピラミッド…

\(^o^)/

そういうことなんですよね。
経済学は、世界の把握がおかしい。

マンガにしてみました

あ、いけない。

あわてて追記。。。

上から二つ目の表は、こう書く必要がありました。わかりますよね!

対話7 MMTやマルクス的な貨幣観(1/2)

かるちゃん、この件なんだけど

マネーに関するMMT的なビュー図を作ったり、対話したりとかやりたいのです。
よければ sorataさんも!

事の起こりは中村哲治さんのこれで

この文章をめぐるSNSのやりとりで中村さんはこう書かれている。

中村哲治
@NakamuraTetsuji

返信先: @Moka_Wisdomさん
モカさん、私は「国債をいくら発行しても、それは国民の資産になるから問題なし」なんてことは言っていません。 私がブログで書いていることも基礎勉強会で説明していることもオーソドックスな金融のしくみから説明しています。私の記述や説明内容に対して具体的なコメントをいただきたいです。
午後11:57 · 2021年11月3日

モカさんは、
「民間部門にとって国債購入により、預金が国債に代わるだけなので、資産は増えないと思います。
むしろ政府支出のことを仰っているものと推察します。」
と言われていて、これはむしろ正しい

わかりました
では賃労働の合間に読んでみます

中村さんいわく、

「民間銀行が国債を購入+政府支出+民間銀行が民間非金融に預金設定→信用創造が起こり民間非金融に金融資産として預金が増えるという流れになります。
(=マネーストックが増えます。)」

この信用創造という言葉に注目します

もし話し手と聞き手が信用創造という言葉の意味を共有しないなら相互理解はできないわけですが、中村さんが言っている「信用創造」って何でしょうね?

銀行の貸し出し?ローンとか

そうですね、「普通」は貸出だと思います。
ところが、中村さんの例だと銀行貸出はないわけです。はて?

政府支出のことを信用創造と言っている?

そうだといいのですが、もしそうならモカさんとの争点はない。

中村さんのこの発言。。。

中村哲治
@NakamuraTetsuji

返信先: @Moka_Wisdomさん
なるほど。あなたはそう思うのですね。 ただ「国民の資産が増える」という言葉が私の「特異な考え」と評価するのはあなたの特異な考えです。 「国債は「国の借金」か「国民の資産」か」は既に争点化しています。ジャーナリストの鮫島浩さんが書かれた記事を紹介します。
午前8:40 · 2021年11月4日

ん-、結果的に「国債が増えている」ということを「信用創造が起こった」と呼んでいる?
あるいは
(=マネーストックが増えます。)
という記述から、マネーストックが増えることを信用創造が起こったと呼んでいるか、どちらかです。

まとめると中村さんは
 1.銀行が関与
 2.マネーストックが増える
この二条件が成立することを「信用創造」と言っている。

そう考えれば、銀行貸出、ローンは「信用創造」にちゃんと包摂されているわけです。

さらに、
 3. 政府が関与する信用創造は、結果として国債が増えているという「事実」を主張されているわけですね。

でも

事後的な解釈を「ほら事実!」と言ったところで世界は変わりません。

Es kommt darauf an, die Welt zu verändern.
(重要なのは世界を変えること)
マルクス


To change the world, we have to quickly change our thoughts. Thoughts are the only thing we really have.
(世界を変えたいなら、私たちが思考を変えること。私たちが本当に持っているものは思考だけだから。)
オノ・ヨーコ

中村てつじさんの信用創造の定義

おおズバリだったw

中村てつじさんは、銀行貸出のことを「信用創造の第1の経路」と呼び、政府支出で銀行預金が増えることを「信用創造の第2の経路」と呼んでいます。

ふむふむ
「日本銀行が生み出したお金のことを「マネタリーベース」と呼び、市中銀行によって膨らまされて民間に流通しているお金のことを「マネーストック」と呼びます。この二つの差、言い換えれば、市中銀行がお金の量を膨らませることを「信用創造」と言います」

その定義は教科書からの引用ですね。

そうですね。
ですので、それを思わず「ザ・主流ビュー」と呼んでしまったわけです。

なるほど。まだ流れが追えてないです。

ということになった次第。

流れを把握しました

「日本銀行が生み出したお金のことを「マネタリーベース」と呼び、市中銀行によって膨らまされて民間に流通しているお金のことを「マネーストック」と呼びます。この二つの差、言い換えれば、市中銀行がお金の量を膨らませることを「信用創造」と言います」

ではここで
「マネタリーベース」を、MB
「マネーストック」を、MS
としましょう

【MS – MB】が増えること、これが信用創造である!

えっとさ
「【MS – MB】が増えること、これが信用創造である!」って、これにいったい何の意味があるのかしら。

「特に意味はない」

まあ、そうなんですが。。。

中村さんのブログに以下のすばらしい文章がありました。
引用して、一部を強調いたします。

「これに対して、国債のことを「国の借金」と呼ぶ現在の主流派の立場は、財政を緊縮させ、国民に十分な公的サービスを受けさせないことが、正しいと主張しています。しかし、彼ら財政緊縮派の立場によりこの30年間日本で実践されてきた経済政策では、例えば、就職氷河期世代以降の人やシワ寄せを受ける女性の方たちは、労働の非正規化、分断化で、とても厳しい生活を強いられる結果を導くこととなりました。そして、彼ら財政緊縮派は、非正規で働く人たちの苦しい生活を「自己責任」という一言で片づけ、環境を整えることを放棄しています。彼ら財政緊縮派は、将来の世代が豊かに暮らすことができるようにする芽を摘んでしまっています。実際に、この30年間日本で実践されてきた経済政策の結果、一部の人たちだけが富を巻き上げ、多くの人たちは生活に苦しむ社会構造が固定化されるに至っています。
しかし、そもそも世界一の純債権国として世界各国の人たちから「お金持ちの国」と認識されている日本において、非正規化や低所得化で人びとが生活に苦しんでいるということは客観的に見ればこっけいにさえ見えることです。
一部の人たちが富を収奪する構造を変えるためにも、事実を事実として認識できる「場」がすこしでも多く社会に存在していることが必要です。だから、私は、私にできることとして、その事実を共有することができる一つの「場」として「お金のしくみ」の勉強会を続けていこうと考えました。またその「場」を維持していくためにも私自身がより人の話を聞き、また、自らの表現もより磨いていかなくてはならないと考えています。」

中村哲治「日本再構築」ブログ 2021年頭所感「本当の意味での「将来の世代への責任」」

二つ問題があると思います。

一つは、主流派=「緊縮財政派」という誤謬

もう一つは、中村さんご自身のビューがご批判されている主流派のビューそのものである、ということですね。

【事実を事実として認識できる「場」】と言うならば、もっとちゃんと観察しようではありませんか!(マルクスのように)というわけ。

MMTの貨幣観を考えるためのとても良い素材が回ってきています。

このさしみさんのまとめですが、nyun にはどうしても「?」となる箇所があります。
どこだかわかりますか?

政府支出の制約が物価というところですか?

そこもですが、より根本的なとこなのです。
ひっかかるところというか。

たぶん、かるさんも「言われればわかる」と思います

貨幣が生み出される?

そこです!

貨幣っていうとなんかコイン、硬貨だけって感じがする

政府支出は日銀に振り込んどいてって依頼するから電子的な記録で銀行預金が増えるイメージ。

うん。
間違いではないのだけど、MMTの話としてなら???ってなるわけ。

ただ、ことの起こりは日本語の「貨幣」「お金」という言葉は英語の money は概念からして異なっていることですね。

前回のかるちゃんとの対談で「経済学の貨幣の定義は無意味にとても狭い」と説明しましたが、まさにあれ。

さしみさんにその意図がなくてもそう読まれてしまう

なるほど

彼ら主流の定義を再度

なので自分は貨幣の代わりに、日本人に馴染みのないIOUを使ってます。

なるほど!

普遍性、ユニヴァーサリティ

ここであえて話を変えてみます。
普遍性、ユニヴァーサリティという概念なのですが。

https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/r.htm

こちらの方が良かった
普遍性とはなにか?
数理科学 1997 年 4 月号、「くりこみ群と普遍性」から抜粋

力学の法則、流体の法則などの物理法則は、地球上どこに行っても現れていて観察することができます。
これはとても不思議なことではないでしょうか?

植物の種類はそれぞれ違っても、花から実ができて種ができるというような共通する性質を持っている。
そういうのが普遍性、ユニヴァーサリティですね。

言葉はもっと不思議で、力学の法則は海外のコドモでも同じように理解することができる、とか。

もちろんそれだけではなく、悲しいとか楽しいとかの共通した言葉を、いったいどうして私たちは互いに了解することができるの?

かるちゃんと nyun は会ったことがないですが、会話が通じるのはなぜ?

えーなんでですかね?

なにか共通するものがあるから?

同じ教育を受けたから、というのは説明になっていなくて、外形的に同じ教育を受けた他者がいったいどうして意思疎通できるのか?みたいな問題ですね。

言語空間

そこで同じ言語空間(language space)にいる、というような概念を先に想定するわけ。

とにかくユニヴァーサリティ(普遍性)めいたものがある。

なんとなく、伝わったかなあ

その言語空間の普遍性は日本のなかでの普遍性で、力学の普遍性は地球の中での普遍性?

人類はどこでも言語を使っているので人類の普遍性と言えます。

さて、財政支出でうまれ税金で消えるのはいったい何でしょうか?

政府のIOUですか

具体的にはなんでしょうか?

政府支出は、政府の当座預金口座から民間の業者の銀行口座に振込してました。
税金は給与から天引きされたり個人の口座から引き落とされる場合しか経験がないので、どうなるのかよく分かってないです。

なんかスッキリしないですよね

確かに

銀行があいだに入ってるから?

統合政府のIOUと考えると、上の本に出てくるように日銀券、日銀当座預金(以上は日銀のIOU)、そして硬貨、国債(以上は政府のIOU)と言うことになります。

そして
G-T≡ΔM+ΔB
である。

このMはベースマネー(MB)で日銀券、日銀当座預金、硬貨。
そしてBは国債。

⊿は変化量でしたっけ?

G-Tは民間部門にある統合政府IOUの量で、日銀が国債を購入してもMとBの割合が変わるだけで、統合政府IOUの総量は変化しない。

この式はユニバーサルな感じがします。

どの通貨でも成立する、ということでユニバーサルですね

主流がぜったいに触れない現実のマネー

先日話していたかるちゃんマネー

あれはお子さんのお手伝いポイントでしたね。
1ポイントが一円だから、それは円建てのIOU。

仮に今、次のようになっているとします。
 長男 100ポイント(円)
 長女 200ポイント(円)
 次男 300ポイント(円)

はい

彼らの持っているIOUはこれが全部ですかね?

彼らにとっては誰のIOUでもいいわけです。

たとえば、なんとパパも同じことをしていて、それはこうだとします。
 長男 200ポイント(円)
 長女 100ポイント(円)
 次男 100ポイント(円)

あれれ、IOUの発行者が二人いますね。
でもこの二人は夫婦だし、統合政府みたいに一体とみなせそうですよね。

母マネーが政府IOU、父マネーが日銀IOUみたいに。

あまーい
こういう可能性も!

もしかすると、ある日。。。
    母マネー 父マネー 知らないおじさん
 長男  100   200   0
 長女  200   100   0
 次男  300   100   1000

げげ!これは!

ぼうや、
おじさんがいいもの買ってあげるよ…

次男が危ない!

子どもたちがどれぞれどれだけIOUを持っているかは計算することができますよね。

んーそれどころじゃない!

かっこの中にそれぞれの合計を書いてみました。 

             母マネー 父マネー 知らないおじさん
 長男 (300)     100 200      0
 長女 (300)  200    100      0
 次男 (1400)   300         100                  1000

にゅんさん!!あなた人の心は!

犬です

後編につづく